クァンタン・メイヤスー
Quentin Meillassoux生誕 (1967-10-26) 1967年10月26日(56歳)
フランス・パリ[1]
時代現代哲学
20世紀の哲学、21世紀の哲学
地域西洋哲学
学派思弁的実在論
研究分野唯物論、数学の哲学、実在論
主な概念思弁的唯物論、相関主義、事実性、原‐化石、絶対時間
影響を受けた人物
アリストテレス、ガリレオ・ガリレイ、ルネ・デカルト、バールーフ・デ・スピノザ、アラン・バディウ、アンリ・ベルクソン、G.W.F.ヘーゲル、カール・ポパー、ジル・ドゥルーズ、デイヴィッド・ヒューム、ステファヌ・マラルメ、フリードリヒ・ニーチェ、マルティン・ハイデッガーなど
影響を与えた人物
レイ・ブラシエ、グレアム・ハーマン、トリスタン・ガルシア、メディ・ベラ・カセムなど
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クァンタン・メイヤスー(Quentin Meillassoux, 1967年10月26日 - )は、フランスの哲学者。パリ第1大学パンテオン・ソルボンヌで教鞭を執る。人類学者クロード・メイヤスーの息子。カンタン・メイヤスーとも表記される。 メイヤスーは高等師範学校で哲学者のベルナール・ブルジョワとアラン・バディウの薫陶を受けた。バディウはメイヤスーの処女作『有限性の後で(Apres la finitude)』(2006年)の序文を執筆し[2]、そこで同書は近代哲学にとっての全く新しい選択肢を紹介するものであり、イマヌエル・カントの3つの選択肢、すなわち批判主義
『有限性の後で』
同書でメイヤスーはポスト・カント哲学が「相関主義
(correlationism)」と彼が呼ぶものに支配されていると主張している[4]。それは人間は世界なしに存在できず、また世界も人間なしには存在できないとする立場で、あまり公言されることはない理論である。メイヤスーによれば、これは不誠実な戦略であり、あらゆる人間のアクセスに先立って世界がどのように存在しているか、そしてそれをいかにして記述するかという問題を回避してしまう。彼はこの前‐人間的な現実を「祖先以前的(ancestral)」領域と名付ける[5][6]。師であるアラン・バディウが数学に対して関心を抱いていた影響もあり、数学は物体の知覚において表れる二次性質ではなく一次性質そのものに達することができるとメイヤスーは主張する。原因と結果の存在を疑う不可知論的懐疑主義者たちは、そもそも因果的必然性など全く存在しないというラディカルな主張を取るべきだとメイヤスーは示そうとする。この主張により、自然法則が偶然的であるということそれ自体は絶対的に必然的である、という主張をメイヤスーは宣言することになる。世界は超(ハイパー)カオス的であり、無矛盾律は保持されるが、充足理由律は打ち捨てられるのである。
これらの理由により、メイヤスーは哲学においてカントのコペルニクス的転回を拒絶する。カントは観察者である人間の条件に世界を依存させてしまっており、「プトレマイオス的反革命」を起こしたとしてメイヤスーは非難する。 メイヤスーの論文のいくつかは英訳され、イギリスの哲学雑誌『Collapse』に掲載されたことで英語圏での関心を集めた[7]。未刊行の博士論文『L'inexistence divine』(1997年)は、単著として出版を予定されている[8]。 2011年9月、メイヤスーはステファヌ・マラルメについて論じた著作『Le nombre et la sirene. Un dechiffrage du Coup de des de Mallarme』をフランスで発表した[9]。第二作目にあたる同書にて、彼はマラルメの有名な詩『骰子一擲』を詳細に読み解き、テクストに秘められた数的暗号を解き明かしている[10]。 メイヤスーは2012年にベルリン自由大学で行った講義にて、『有限性の後で』で表明した見解のいくつかを明確化した上で部分的に修正している[11]。 フランスの分析哲学者パスカル・アンジェルは、思弁的実在論とその他の現代的実在論を扱った論考において、メイヤスーの立場を「キッチュな実在論(realismes kitsch)」と呼び批判的に反応している[12]。メイヤスーの『有限性の後で』における論証(他の「新実在論者」と同様に「尊大かつ不明瞭で、大部分が自己言及的」だとみなされる)を分析した上で、アンジェルはメイヤスーの筆致が「傲慢」だと述べる。この自己言及的な筆致のおかげで、メイヤスーは「自分が反駁しようとする立場を自ら定義し、概念に対して自分が意図した通りの意味を与え、止められないとみなした議論を推し進めることで、厚顔無恥としか言いようがない結論の真実性を説得的に示すという見事な技をやってのける」[12]。パスカル・アンジェルによれば、「メイヤスーは盛んに相関について語るが、その相関とやらが一体どのような関係なのかについては何も語らない。それはものと思考の間の関係であり、伝統的に真理の対応説として定義されてきた理論だと考えたくなるだろう。しかし、メイヤスーは真理の概念について論じることを注意深く避けており、また関係についてはそれ以上に触れないようにしている。[…]実際、相関主義とは単にカント的批判主義の別名であるように思われ、そこから派生する全ての思想はその変種にすぎない」。そして、パスカル・アンジェルは批判的分析を次のように結論付ける。「『有限性の後で』の主張は結局のところ、実在論の一種である、ある種の絶対的観念論に近いものだと言える」[12].。
展開
批判的受容
著作
単著
Quentin Meillassoux および Alain Badiou (preface), Apres la finitude. Essai sur la necessite de la contingence
Quentin Meillassoux, Le Nombre et la sirene. Un dechiffrage du Coup de des de Stephane Mallarme, Paris, Fayard, 2011[英訳]The Number and the Siren:A Decipherment of Mallarme's Coup De Des, trans. Robin Mackay (Urbanomic, 2012)
Speculaive Solution, Editions Mego, Urbanomic, 2011 (coffret produit par Florian Hecker contenant un CD avec 4 compositions musicales de ce dernier (Speculative Solution 1, 2, 2 et Octave Chronics), des textes Anglais/Francais de Quentin Meillassoux (Metaphysique et fiction hors-science), Robin Mackay (Ceci est ceci) et Elie Ayache (Le futur reel), une Bibliographie ainsi que 5 billes en metal (diametre de 3, 669 mm) - cf. le Colophon du livret)
Quentin Meillassoux, Metaphysique et fiction des mondes hors-science, Paris, Aux forges de Vulcain, 2013 (edition revisee - et annexee de la nouvelle La boule de billard d'Isaac Asimov -, d'une conference donnee a l'ENS le 18 mai 2006 dans le cadre de la journee d'etudes Science-fiction et metaphysique)[英訳]Science Fiction and Extro-Science Fiction, trans. Alyosha Edlebi (Univocal, 2015)
Quentin Meillassoux, Time without becoming, Mimesis Edizioni, coll. Mimesis international, 2014 (inedit en francais)
Quentin Meillassoux, Iteration, Reiteration, Repetition: Eine spekulative analyse des bedeutungslosen zeichens, Merve Verlag Gmbh, 2015 (inedit en francais)[英訳]Iteration, Reiteration, Repetition: A Speculative Analysis of the Meaningless Sign, trans. Robin Mackay (2012)
論文
≪ Nouveaute et evenement ≫, in Alain Badiou. Penser le multiple, C. Ramond (ed)., Paris, L’Harmattan, 2002.(conference prononcee en octobre 1999: il s'agit de la premiere allocution du philosophe puis du premier texte publie apres sa soutenance de these en 1997)