ギ=マニュエル・ド・オメン=クリスト
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ギ=マニュエル・ド・オメン=クリスト

基本情報
出生名Guillaume Emmanuel de Homem-Christo
別名Guy-Man
生誕 (1974-02-08) 1974年2月8日(50歳)
フランスヌイイ=シュル=セーヌ
ジャンルハウス, ディスコ
職業ミュージシャン
担当楽器ギター
シンセサイザー
キーボード
ドラムス
ドラムマシーン
活動期間1992 ?
レーベルCrydamoure
共同作業者ダフト・パンク
ル・ナイト・クラブ
クリダムール

ギヨーム・エマニュエル・"ギ=マニュエル"・ド・オメン=クリスト (Guillaume Emmanuel "Guy-Manuel" de Homem-Christo フランス語発音: [?i man??l d? ?m?m k?isto]1974年2月8日 - )[1] は、フランス出身のミュージシャントーマ・バンガルテルと共に ハウス /エレクトロデュオ 「ダフト・パンク」の一人として活動していた。また、彼の個人レーベルである「クリダムール」から、共同経営者のエリック・シェドヴィルと共にいくつかの作品を制作している。彼とシェドヴィルは「ル・ナイト・クラブ」という音楽デュオを結成している。
生い立ち

1974年2月8日、パリ郊外のヌイイ=シュル=セーヌで生まれる。[2]ポルトガル系の一家であり、曽祖父は作家でファシストのオメン・クリスト・フィリォ[3]、高祖父は軍人のフランシスコ・マヌエル・オメン・クリスト(ポルトガル語版)[4]。インタビューにて、ギ=マニュエルはおもちゃのギターとキーボードを7歳ぐらいの時に買ってもらい[5]、14歳でついにエレクトリック・ギターを手に入れたことを述懐している。なお、彼は作曲の際には通常ギターを用いると述べている。[6]
経歴

1987年、ギ=マニュエルは同じ学校のトーマ・バンガルテルと出会う。二人はお互いが1960年代と70年代の映画や音楽、イージーライダーヴェルヴェット・アンダーグラウンドなど[7]をこよなく愛していたことで意気投合する。1990年には二人とローラン・ブランコウィッツ(現フェニックスのギタリスト)で「ダーリン」というインディーロックバンドを結成し、ギ=マニュエルはギターを担当した。イギリスの音楽誌に「ダフト(愚かな)パンク」と酷評され[8][9]、この言葉を気に入ったギ=マニュエルとトーマは、二人の新たなユニット名とした。[9]1992年にとあるクラブに行って以来、二人はダンスミュージックに傾倒しはじめた。ダフト・パンクの1stアルバムである『Homework』のライナーノーツには、ギ=マニュエルがダフト・パンクのロゴの作者として記載されている。

ダフト・パンクにおける創作過程やトーマとの共同制作について、ギ=マニュエルは「トーマは僕よりずっと技術力のある人間だ。僕たちは何だって二人でこなしてる。でも僕の方がもっと距離をおいて見てるし、僕らのやってる事を批判的な視点で見てる。僕らはお互いが補完しあって強固な完全体になってるんだよ。」[10]

ギ=マニュエルは、パンプキン・レコードのエリック・シェドヴィルと共にル・ナイト・クラブというグループを結成している。二人はクリダムール(Crydamour、フランス語で愛の叫びという意味の"cri d'amour"に由来する)というレコード会社も設立している。クリダムールでは、ギ=マニュエルの兄弟であるパウル・ド・オメン=クリストも"Play Paul"と称し作品をリリースしている。クリダムールについてギ=マニュエルはこう述べている。

「僕自身とトーマは同じ音楽の趣味を持ってるんだ。クリダムール用に僕がレコードを作る時は、ダフト・パンクの音楽とは違うスタイルになるようにしてるんだよ。僕はトーマの好みが何か知ってるし、トーマも僕の好みが何か知ってる。クリダムールはたとえダフト・パンクとそこまでかけ離れてるっていう訳じゃないとしても、それほど生産指向性は強くない。ダフト・パンクで用いる音の素材はもう少し管弦楽的で異なったもんさ。僕がクリダムールの為にサンプルを作ってるとして、他の誰もダフト・パンクと違いが分からないとしても、僕らはわかるのさ。とても明確にね。[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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