ギルドホール_(ロンドン)
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ギルドホール
Guildhall


概要
建築様式ゴシック様式
等級
指定建築物 ? 等級 I
登録日1950年1月4日
登録コード1064675
所在地ロンドン
住所71 Basinghall St
London EC2V 7HH
イギリス
イングランド
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度30分57秒 西経0度05分31秒 / 北緯51.51583度 西経0.09194度 / 51.51583; -0.09194
着工1411年
完成1440年
所有者City of London Corporation client
高さ16 m
技術的詳細
階数4
改築関係者
建築家ジョージ・ダンス
ホレス・ジョーンズ
ジャイルズ・ギルバート・スコット
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ギルドホール (: Guildhall) は、イギリスロンドンの中心部シティ・オブ・ロンドンのムーアゲート地区にある市庁舎である。この建物は数百年前から庁舎として使用されており、現在でもシティ・オブ・ロンドンの行政の中心地となっている。大ロンドン庁の本部であるシティ・ホールと混同を避けるため、ギルドホールという言葉は、建物全体と大広間の両方を指している。
歴史ギルドホールの地下室
古代・中世

ローマ時代、ギルドホールが建設された土地にはイギリス最大の円形闘技場があった。闘技場の遺跡は1988年に再発見されており、現在その一部がギルドホール美術館の地下に展示されている。[1]

ギルドホールに関する最初の文献は1128年のものである。伝説では、ブリテンの建国者であるトロイのブルータステムズ川の岸に都市を建設し、現在ギルドホールがある場所に宮殿を建てたとされている。[2]

ギルドホールの語源は古英語で支払いを意味するギルドであり、ギルドホールは市民が税金を納める場所であったと考えられている。[3]
現在の建物大ホール

現在見られるギルドホールは、そのほとんどが再建された部分で構成されている。オリジナルのギルドホールがいつ建てられたかは不明だが、1411年から1440年頃にかけてギルドホールは改築され、[4]当時のロンドン市長だったトマス・ノールズ(英語版)は、小さなコテージから大きな家に生まれ変わると表現している。1666年のロンドン大火では部分的に被災し、1670年に修復されている。[5]また壮麗なゴシック様式の大玄関は、1788年にジョージ・ダンス(英語版)によって付け加えられた。[1]1866年にはホレス・ジョーンズ(英語版)によって天井部分を修復されている。1940年12月29日と30日のドイツ空軍による夜間空襲にも曝され被災したが、1954年にジャイルズ・ギルバート・スコットによって修復された。

ギルドホールは、中世ロンドンの市庁舎として、行政や市民の中心であっただけでなく、政治、宗教、社会的なドラマの舞台にもなっていた。例えば、イングランドの宗教改革の指導者であるトマス・クランマーの裁判や、九日間の女王の異名で知られるジェーン・グレイの裁判などがギルドホールで行われている。[6]
現在の使用状況ギルドホール西棟

現在、シティ・オブ・ロンドンの通常業務はギルドホールのすぐ北側にある近代的なビルで行われている。ギルドホール本体と隣接する建物は、現在も公式行事に使用されており、毎年開催されるオープン・ハウス・ロンドン(英語版)で一般公開される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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