ギルガメッシュないと
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ギルガメッシュNIGHT
ジャンル女性向け情報番組
/ バラエティ番組
出演者岩本恭生
細川ふみえ
飯島愛
イジリー岡田
山崎まさや
鶴久政治
ほか、こちらも参照。
製作
プロデューサー斧賢一郎
製作テレビ東京

放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本
放送期間1991年10月5日 - 1998年3月28日
放送時間当該節参照
放送分55分
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『ギルガメッシュないと』は、テレビ東京系列局ほかで放送されていたテレビ東京製作の女性向け深夜番組である。製作局のテレビ東京では1991年10月5日から1998年3月28日まで放送。全放送回数324回。

一般的には成人男性向けのお色気番組と誤った認識が広まっているが、本来は情報番組であり、主に女性視聴者をターゲットに製作された[1]。この番組の在り方は後年のマスカットシリーズやりすぎコージーゴッドタンといった同局の深夜バラエティにも影響を与え、女性向けの深夜番組でありながらも男女が楽しく見られるように工夫していたという。

本稿では、2012年1月13日から同年12月21日までBSジャパンで毎週金曜 23:00 - 24:00に放送されていた『ギルガメッシュLIGHT』(ギルガメッシュライト)についても述べる。
概要

1991年10月5日、「男も楽しめる、女の子のためのエッチ番組」というコンセプトで放送開始。

初代ディレクターは菅直満、中村豊志。初期の出演者は、岩本恭生・3人の女性ダンサーからなるVIVID・イジリー岡田の5人構成で最初の3ヶ月間は映画紹介やオススメのデートスポット情報といった内容のあくまで真面目な情報番組であり、後のお色気パートはイジリーの担当コーナー程度で、全国ネットではなかった。

1992年1月のテコ入れでスタッフが一新され、後に『ASAYAN』を手掛ける佐藤哲也と後に『開運!なんでも鑑定団』『おはスタ』を手掛ける中尾哲郎にディレクターが交代。そこで第2のコンセプトとして「グラビアアイドルをテレビでブレイクさせる」というスター創りを試んだ。岩本恭生に当時、人気のあったグラビアアイドル細川ふみえを司会に起用した。さらに、これまでのレギュラーコーナーを全廃し、なぎら健壱と裸エプロン姿の野坂なつみによる「夜食ばんざい」や、グラビアアイドルたちがボディコンで鉄棒競技などのスポーツをする企画などがスタートし、お色気番組(イジリー曰く「大エロス番組」)というイメージが定着した。

1992年2月に入り、飯島愛が発掘されCM前に「ギルガ?メッシュ!」とカメラ目線にセクシーな声で、スカートを捲ってTバックを見せるポーズで注目を集め、細川の降板後に司会に昇格した。番組スタートから1年後の1992年10月には全国ネット放送が開始され、AV女優やグラビアアイドルの他、若手芸人、ミュージシャン等も多数出演しながら大人気番組となった。女性には知りたい情報をしっかりと伝え、男性には裸が見たいという欲求をふくらまさせるといった明るく楽しく男女が見られる番組を目指していた。

2022年12月25日より、当番組をドラマ化した『ギルガメッシュFIGHT』が「Paravi」にて配信される[2]
制作の経緯

1980年代半ば頃から深夜番組の過激化が社会問題[3][4]となり、各局は「脱・お色気」の風潮が強まっていた。当時のテレビ東京も1985年に「夜はエキサイティング」を終了させて以降、約6年間に渡り深夜のお色気番組は自粛していた[5]。それまでの深夜のお色気と言えば主に成人男性向けの内容であることが多かったが、1990年代に入ると男女雇用機会均等法や女性の社会進出などの影響もあり、仕事から帰宅した若い女性層も深夜番組を視聴する傾向が増加していた。一方で男性層はこの時期、アダルトビデオ(レンタルビデオ)、アニメテレビゲームパーソナルコンピュータといったオタク・マニアック層が形成され、趣味嗜好も細胞化、分散化(テレビとは違うコンテンツに移行)する状況となる[6][7][8]

そんな深夜番組へのコンプライアンスが厳しかった状況の中、単なるエロを売りにした内容ではなく「成人女性向けの情報番組」・「女性にも楽しめるセクシー番組」として製作された[9]。「女性必見!」、「エステ」、「温泉」、「ランジェリー」、「下着」、「美容」といったテーマに加え、司会者や出演者の大半を女性タレントで固め、街頭インタビューする際は若い女性に尋ねるなど全体的にも女性視聴者を意識した番組作りがなされた。実際に視聴者の約半数は女性で特に『ギルガメ治療院』や『ランジェリー歌謡祭』といったコーナーはツボの療法、流行のランジェリーなどが役に立つなどの理由で女性人気が高く、下着ファッションショーや店紹介などの実用ネタも貴重な情報源として女性層に好評だった[10]。一方で男性層の視聴者は独身男性の割合が多かったという。

他局の11PMトゥナイトのような番組とは異なり、頑なに風俗情報を扱わない「女性が嫌がるモノはNG」といった姿勢をとっており、番組のプロデューサーだった斧賢一郎は放送当時のインタビューで「この番組は女性の視点で作っており、風俗番組(エロ番組)といわれると心外。[11][12]」と語っている。また当番組の初期のディレクターを担当していた中尾哲郎は、学生時代に見た同局の「独占!男の時間」に影響を受け、「このようなゲリラ的なテレビ番組をつくってみたい」としてテレビ東京(当時:東京12チャンネル)に入社したという。
主なコーナー・企画
GNNヒップライン
リニューアル後のオープニング企画。飯島 愛が他愛もないニュースを読み上げた後、Tバックを見せる。ニュースチャンネル「CNNヘッドライン」のパロディ
[13]。番組人気最高潮時には本家CNNから取材が来た。
ボディコンdeスポーツ
グラビアアイドルなどがボディコン姿で様々なスポーツに挑戦する。
ギルガメ治療院
イジリー岡田が治療院院長に扮し、AV女優が患者としてゲスト出演する番組初期の頃の女性向けコーナー。スリーサイズなど問診しつつ、実際の指圧師であるジェフ古川がコリをほぐしていく内容で女性視聴者からも好評を得ていた。コリの原因としてAV作品を紹介する場面は男性視聴者を狙って放送していたが、毎回VTR終わりはイジリーのアップとなっていた[14]
夜食ばんざい / ギルガメクッキング
裸にエプロンの女性アシスタントとともに夜食を作る食欲と性欲を交えたお料理コーナー。

初代のホストと女性アシスタントは、なぎら健壱と野坂なつみ。

「新」はイジリー岡田と憂木瞳

「ギルガメクッキング」は山崎まさや城麻美

ランジェリーファッションショー
当初はセクシーメイツがモデルとなり飯島愛とイジリー岡田が女性視聴者向けに最新ランジェリーを紹介。後に出演女性は水谷ケイやAV女優が務めるようになった。
ランジェリー歌謡祭
下着姿の歌謡祭。出演女性が歌声を披露しながら最新の下着を紹介するという体のコーナーで、実際女性人気も高かった[13]
ギルガメ写真館
女性カメラマンがAV女優やグラビアアイドルのヌードや水着姿を撮影するコーナー。女性向け番組のため、カメラマンも女性が担当していた。
ドラマ 三乳士
Eカップ以上のバストを持つ女性(AV女優)が出演するコーナー。
バスルームシネマ
憂木瞳と城麻美が入浴しながら映画紹介するコーナー[14]
番組から誕生したユニット

VIVID

独特なキャラクターとダンスを得意としたユニットで番組開始当初から3ヶ月間、アシスタントとして出演していた女性3人組。その後、細川ふみえと交代する形で番組を降板した。

LADY´S (
細川ふみえ藤崎仁美山崎真由美)

番組初期の頃に活躍したユニットであり以降、番組では3人組のセクシーユニットが継続される事となる。

コブトリブラザーズ(日高充・イジリー岡田)

ボディコンdeスポーツのコーナーで実況・解説を担当、又トークなどでも絡む場面が多かった事から名付けられた愛称であり、実際はユニットやグループではない。一時期、ファンクラブが存在した。

憂木 瞳&イジリー岡田

番組企画の一環としてシングルCD「マンゴ・ナタデ・ココ」をリリースするために組まれたユニット。

仔寵仔寵 (相羽香奈・山川小春・葉山みどり)

LADY´Sに続く3人組で乳房が露出している衣装が特徴的だった。

ギルガメ セクシーメイツ(斉藤りさ・星野かおり・染谷まさ美)

番組においてオーディションが行われ、結成されたセクシーアイドルユニット。後に他局等への出演も増え、グループ名も長いという事で「セクシーメイツ」と称すようになった。

MASK

桜井あゆみ水谷ケイによる期間限定ユニットで写真集も発売された。

ラテンガールズ 情熱娘 (土田理奈・山本恵美・山岡要子)

1997年、ブラジルのアーティストであるCarrapichoの「恋のチキチキ」の日本語版を歌唱するセクシーグループとして結成。3人のメンバーは番組内でのオーディションによって選抜された。

山崎まさや&香月あんな

「恋の東京ナイトクラビング」という曲を歌うために結成された音楽ユニット。この曲は、お笑い芸人のアンジェラ・デストロイがアイドル時代に所属していたHako (With Bibian)というグループのシングルCD(カップリング)に収録されている。

ピーチガールズ 桃姫隊 (斉藤容子・高原奈美・細井架奈美)

番組の終盤に出演していた3人組。メンバーの1人に中森あきない(当時:高原奈美)が在籍していた。
視聴率

平均視聴率は、5%?6%を記録するなど90年代を代表する深夜番組として大ヒットした。放送開始当初は、番組の知名度も低く、視聴率も伸び悩んでいたが1992年に全国ネットの放送がスタートして以降、人気番組に成長した。アルベールビルオリンピックの開会式中継の真裏で放送した回が視聴率で勝利した事もある[15]。「殿様のフェロモン(フジテレビ)」や「ロバの耳そうじ(日本テレビ)」など他局のお色気深夜番組は人気を維持できず短命で終了していた中、当番組は1人勝ち状態で安定した人気を得ており、6年半の放送が続いた。
苦情・クレーム

ギルガメ治療院では当初、AV女優の作品を紹介する場面が放送されていたが女性視聴者も多かったため、苦情が付き途中から作品紹介は行われなくなった。また指圧の際もトップレス姿であったが下着で行うように変更された。

人気コーナー「新・夜食ばんざい」は開始当初、父兄からの苦情がたくさん寄せられていた。

放送当時、番組には苦情がたくさん寄せられており、それに対応する形で一時期「
バカルディの苦情受け付けます」というコーナーがあった。飯島愛と当時レギュラー出演していた、バカルディ(現:さまぁ?ず)が番組に寄せられた苦情のハガキを紹介するというもの。

1998年1月31日の放送で視聴者からテレビ東京の放送番組審議会宛に「内容がお色気番組として笑って見過ごせる範囲を超えているのでは?」という苦情が多く寄せられ、番組の内容について審議された結果、同年4月の改編で3月28日放送分をもって打ち切りが決定し、7年間の放送にピリオドを打った。

その他

1990年代は既にビデオデッキが普及しており、アダルトビデオレンタルビデオ全盛時代であった。次第に視聴率を獲得できない、スポンサーがつかないなどの事情から深夜のお色気番組の需要は低下傾向を辿っていった。

1997年12月16日、同局で放送中だったテレビアニメ「ポケットモンスター」の放送終了後にポケモンショックが発生し、番組の放送がおよそ4カ月間休止という措置が取られ、テレビ東京は大打撃を受けた。この影響を受けて当時、人気が低迷していたギルガメッシュNIGHTの打ち切りも検討された。

1998年2月に開催予定の長野冬季五輪1998年長野オリンピック)を間近にして外国人観光客や日本にもより良いイメージを持ってもらうために過激な内容を自粛し、お色気要素を控えめにした内容に変更された。

影響
芸能界

オードリー星野源しみけん雨宮まみ吉村崇秋山竜次宮地謙典渡辺 隆あやまん監督綾野剛根本はるみSILVA赤いプルトニウムゴールデンボンバーベッド・イン大野智村上純堂本光一村上信五横山裕関谷友美山下健二郎神田伯山山崎弘也ニューヨークなど学生時代この番組を視聴していたという芸能人が多く、一方で関根 勤鶴久政治(実際に番組に出演)、鈴木奈都小堺一機といった既に成人していたタレントもこの番組を好んでいたという。さらに大堀恵有馬すず澤部佑清水あいり大木亜希子坂井伊織といったこの番組の世代ではない芸能人も¨ギルガメ¨を知っている人が多く知名度は今も衰えていない。


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