ギルガメシュ
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「ギルガメッシュ」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ギルガメシュ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ギルガメシュ
ウルク
ドゥル・シャルキンサルゴン1世宮殿に残されたライオンを捕獲したギルガメシュのレリーフ[▼ 1]。(ルーブル美術館

子女ウル・ヌンガル
王朝ウルク第1王朝
父親ルガルバンダ
母親ニンスン
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ギルガメシュ(アッカド語: ??? - Gilgame?)またはビルガメシュ(シュメール語: Bilgame?)は、古代メソポタミアシュメール初期王朝時代の伝説的な紀元前2600年頃?)。シュメール王名表によれば、ウルク第1王朝第5代の王として126年間在位した[1]。シュメール語の古形では「ビルガメス」と呼ばれ、後にビルガメシュに改められるとアッカド語名「ギルガメシュ」という名が成立した[2]。いずれの場合も「祖先の英雄」を意味する[3]
古代オリエント界最大の英雄シドニー大学のグラウンドにあるギルガメシュ像

多くの物語から成るメソポタミア神話の中でも、とりわけ有名な英雄譚『ギルガメシュ叙事詩』に主人公として描かれた。文中では「全てのものを国の果てまで見通した」「全てを味わい全てを知った」「知恵を極めた」「深淵を覗き見た人」といった表現がなされている。
概要

ウルク第1王朝の伝説的な王ルガルバンダを父に、女神リマト・ニンスンを母に持ち、シュメールの最高神(天空神)アヌ、主神(大気神)エンリル、水と知恵の神エンキ(エア)から知恵を授かる。その体は3分の2が神、3分の1が人間という半神半人であった。また、シュメール王名表や神話『ギルガメシュとアッガ』では「クラバのエン」と記されている[▼ 2]

ギルガメシュの容姿生成については諸説あり、太陽神シャマシュから美しさを、気象神アダドから雄々しさを授かったとされる他、標準版では女神ベレト・イリ[▼ 3]が「完璧に形作った」とされ[4]、ヒッタイト語版においては「偉大な神々が姿を造った」とする中で具体的にはシャマシュが「男らしさ」を授けたとある[5]。このように書版ごと差異があるものの、ギルガメシュの容姿が神々によって仕上げられたとの叙述は一貫している。

フンババ征伐に向かう際には15kgある黄金の短剣や90kgもの斧[6]、更に巨大な弓を携えつつ300kg相当の武装で身を固めたり、グガランナ天の牡牛、聖牛)退治では弓と211.5kgの剣と210kgの斧を扱うなど[7]、かなりの剛腕。武器の扱いぶりが並びないだけでなく、掴み合いや殴り合いのような己の拳で戦う武勇に優れた人物としても知られている。

怪力無双かつ高い神性を宿している一方、その性格は極めて人間的であった。叙事詩に限って言えば、ギルガメシュは良く笑い良く怒り良く泣き良く祈る、感情の起伏が激しい人物のように描かれている。
略歴

神々に創られしギルガメシュの持つ力は強大で、ウルクで彼に敵う者は1人もいなかった。人々に対し思うがままに振る舞うギルガメシュは、強き英雄であると同時に、暴君として民たちに怖れられていた。「神々によりすすめられた」「夫はそのあと」などの叙述から、当時初夜権を行使していたという見解もある。ただしギルガメシュは暴君として登場するので、乙女を奪い去るという行為が慣習的なものであったか、単なる悪癖であったかどうかについては議論がある[8]

天空神アヌは、増長するギルガメシュを諌めるため彼と同等の力を持つエンキドゥを作るよう命じる。星の落ちる予知夢を見たギルガメシュが、神聖な結婚式に出席するため神殿に入ろうとしたとき、エンキドゥが挑むように立ち塞がる。神々の思惑通りにギルガメシュとエンキドゥは激しい戦いを繰り広げたが、エンキドゥとは死力を尽くした熱戦の末に決着がつかず、互いの力を認め抱き合い無二の親友となった。それからはエンキドゥと行動の全てを共にし、ギルガメシュの王政も穏やかになり民から愛される王となる。

不死の草を求める旅から帰国した後も国を治め、ウルクの城壁を完成させるなど王としての責務を全うしたギルガメシュは、息子であるウル・ヌンガル(ウルク第1王朝6代目)に国を委ねて眠りについた。その際には王の死を悼み、殉死が行われたようである[9]

ウル・ヌンガルの在位後も王朝は続き、最終的にウルク第1王朝は計12名の王による統治を経てウルク第2王朝に入る。その後ウルク第6王朝期(紀元前2000年)前後に一度衰退し政治的地位は薄れるも、ウルク市そのものは再興し、サーサーン朝時代(226年-651年)まで居住が続けられていたが次第に衰退し、634年のアラブ人によるメソポタミア侵攻の前か、あるいはほぼ同じ時期に放棄された[10]
功績

ギルガメシュの主な功績としてあげられるのは、古代メソポタミアの都市(または国家)キシュの包囲を撥ね退けたこと、フンババ征伐、およびその際にをウルクに持ち帰ったこと、聖牛退治、賢人ウトナピシュティム(シュメール名:ジウスドラ)から不老不死についての知識を学んだこと、ウルクの城壁建設、イシュタル(シュメール名:イナンナ)の神殿群「エアンナ」の一部を築き捧げたことが有名。

キシュからウルクに政治的地位を移した、という伝承は後世の神話に色濃く残るが、最も偉大な功績として重要視されるのは、ウルクを城壁で囲み護国に貢献したことである。物語中では既に「周壁持つウルク」と評され、バビロン第1王朝時代にも引き合いに出されている[▼ 4]
系譜

母が女神ニンスンであることはどの書版でもほぼ共通しているが、父に関しては後世の王たちが発した言葉や、『ギルガメシュ叙事詩』における描写からルガルバンダが父であることは定説となっているものの、シュメール王名表でのみリル(リリスの男性版)と呼ばれる夢魔がギルガメシュの父となっている[11]。また、『ルガルバンダ叙事詩』でルガルバンダの父がエンメルカルであること、そのエンメルカルがシャマシュの御子と表現されることから、ギルガメシュにとってエンメルカルは祖父、シャマシュは曾祖父にあたると考えられるが、明記されている例はない。仮に身内だったとしても、「実の血の繋がり」の有無という点においては不明瞭である[▼ 5]

子孫についても同様に詳らかではないが、例えばギルガメシュを継いで6代目のウルク王となったウル・ヌンガルは、シュメール王名表いわく「神ビルガメシュの子」と記されている[11]。後代では『シュルギ王讃歌』でギルガメシュを讃えているウル第三王朝第2代の王シュルギは、ギルガメシュの兄弟であると自称した(後述)。

ほか、祖先神にルガルバンダ、個人神にシャマシュまたはエンキ(エア)を守護神として設けており[12]、神であることを示す神印ディンギル)が付いた女神マトゥルを妹に持つ[▼ 6]
遠見

ギルガメシュは良くを見るが、この夢が叙事詩では大きな役割を担っている。死ぬ間際に冥界でエンキドゥと再会する夢を見たというエピソードを含め、これらの夢のほとんどは未来を告げるものであり、ニンスンやエンキドゥなど周囲の者にその内容を解かれて初めて、自身が見た夢の真意を知ることも多い。未来視の方法としては夢判断の他に、神託を占うこともあった。

エンキドゥがウルクへやって来る前にギルガメシュが見た「星が自分に降ってきた(星が降る夢)」は、古代メソポタミアの一般的な夢占いにおいて凶とされがちだが、この夢をニンスンは「友の到来」と解きギルガメシュが彼を深く愛するだろう事だけを伝えた。ニンスンはその後の未来である、エンキドゥの死とそれに伴ってギルガメシュ自身が悲しみに暮れるという、ある種の悲劇が待ち受けていることを見通していながらあえて言うのを差し控えたのか、単に凶の判断を避けたのかについては不明である[13]

また、杉の森への遠征途中で見たいくつかの夢に関しては、ギルガメシュにとっては不吉な内容のように思えていたが、エンキドゥが吉夢と良い方に解釈して励まし、太陽神シャマシュの助力もあり杉材調達を完遂することができた。しかし実際に夢が告げていたのは、エンキドゥに訪れる運命を暗示するものであったとされる[14]

エンキドゥの死をギルガメシュは気が触れたように悲しみ、彼が眠りから醒めるのではないかと考え彼の体が腐るまで側を離れなかった。また、友の死をきっかけにギルガメシュは眠りを極度に恐れるようになり、眠りたくても眠れないという不眠症のような症状に苦しめられるようになる[15]
王権

ギルガメシュの王権は、自身に知恵を授けた主神エンリルによって授与された。これはいわゆる「王権神授説」を連想させ、少なくとも紀元前2000年期までの古代メソポタミアでは、神による王権授与があったことが「ウルクの大杯[▼ 7]」によって明かされている[16]。古代メソポタミアの王は、神の代わりに人を諌めるという概念のもと「人間と神とを繋ぐ」存在であり、天と地・神と人の仲介者という役割があった。天界を神の世界、現世を人の世界とし、王をその中間に置いて天の声を届けそれを地上に伝えさせるというイメージである[17]

王の責務はその立場上、地上における神々の住まいである神殿の建設と維持がとりわけ重要とされた[18]。シュメール語の創世記録に関する伝承は数多いが、中でも『エヌマ・エリシュ』のように「人間は神々の労働を身代わりさせるために創られた」という旨の神話が古代メソポタミアには多くあり、神々の意に反したときは大洪水などによって人類は滅ぼされてしまう[19]。故に、神を正しく祀れば国の防衛と豊穣・平安に繋がると観念されていた[20]

王が人と神を繋ぐという思想はオリエント文明の仲間であるエジプトファラオにも共通するが、エジプトの王が「現人神」であるのに対し、メソポタミアの王は限りなく人間に近い「神の代理人」であったのが特徴である[21]。よってシュメールにおける王の神格化が起こるのはずっと後のことかつ極めて稀少で、歴史上ではサルゴンの孫(または子ども)であるアッカド王朝第4代の王ナラム・シンが初めての例となる[▼ 8][22]。それが伝説上では、ギルガメシュやルガルバンダが既に神格化を果たしており、ナラム・シン以降ウル第3王朝初代王ウル・ナンムとその後継者シュルギらが「女神ニンスンから生まれた」と言って自らをギルガメシュの兄弟であると表現し、メソポタミア王の神統性が語られることとなった[23]。当時ギルガメシュはウル・ナンムの王碑文において、冥界神として崇められている[24]

生きた人間の王が神格化するに伴って、神による支配の必要性が問われなくなった王権は基盤が整い、神と人ではなく人と人の関係が尊重される社会主義の覚醒が起こる。神権的・神話的な政治理念からの脱却には転換期間を要しウル第3王朝期にはまだ不完全ながらも、社会主義を前提とした人間社会は神々の秩序からある程度自立したものと考えてよい[25]。そうしてウル・ナンム在位中には都市群の繁栄が頂点を極め、新シュメール文化が築かれた。こうした社会主義樹立の背景に、当時の王たちがギルガメシュを意識していたことは明らかである[▼ 9]
逸話

オリエント文明が滅亡した後にローマに伝わった伝承では、『捨て子伝説』の主人公としてギルガメシュの誕生にまつわる別のエピソードが確認された。それはギリシア人の作家アイリアノス著書『動物の特性について』という本に記されている。

バビロニアの王セウエコロスの娘が身ごもる子供は、いずれ王国を支配するという予言がカルデア人によって先見された。支配権の簒奪を警戒した王は、娘を城に幽閉し見張りも置いたが、運命の神により娘は子どもを授かった。王に叱られることを恐れた見張りは娘から赤子を奪い、城の塔高くから落とした。見かねたが赤子を大きな羽で受け止め、地上に降りると何処かの庭へそっと置いた。庭の番が赤子を見つけるやいなや、その子があまりにも可愛かったのでそのまま養育することにした。子どもは「ギルガモス」と名付けられ、後にバビロンの王となった。

この物語はヘレニズム時代におけるヘレニズム版ギルガメシュ叙事詩に付け加えられ、オリエント終焉後もギリシャに伝わっていった。ただしギルガメシュの名前を借りているだけで、『捨て子伝説』の一変系であるとも考えられている[26]。また、ギルガメシュの系譜はギリシャ神話においては半神の英雄ヘラクレス、愛する者を失う英雄アキレウス、放浪の英雄オデュッセウスなど、多くの英雄譚の原型として受け継がれたとされる[27]
ギルガメシュとエンキドゥ「エンキドゥ」も参照『The Chaldean Account of Genesis』におけるギルガメシュの絵。1枚目の図像と似ているが、良く見ると異なっている。こちらのモデルはエンキドゥか【月本(1996)最初の頁】。(1876年、ジョージ・スミス
関係性

様々な関係性を内包するが、どんなふうにせよギルガメシュとそこに寄り添い常に支えるエンキドゥは2人で1人の半身であるように描かれている。二人の関係は「友」であることが現代では一般的だが、古いシュメール版では「主従関係」であった。神殿の門番を務める一対の神々(タリメ)と考えられていたこともあれば、エロティックな表現が見られることから友人を兼ねた「恋人関係」[28][29]、または「義兄弟」とか[30]、1人の人間の多面性を表す「二重身(=ドッペルゲンガー)」ではないかと推察する研究者もいる[31]


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