ギルガメシュ叙事詩
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楔形文字でギルガメシュ叙事詩の一部が刻まれた粘土板

『ギルガメシュ叙事詩』(ギルガメシュじょじし)は、古代メソポタミアの文学作品。実在していた可能性のある古代メソポタミアの伝説的な王ギルガメシュを巡る物語。人間の知られている歴史の中で、最も古い作品[1]

ギルガメシュを主人公とする物語は古くから存在するが、現在『ギルガメシュ叙事詩』として知られているのは前1300?1200年頃にまとめられた「標準版」(「標準バビロニア語」で記されているため)と呼ばれるもので、新アッシリア時代のアッシュルバニパルの図書館から出土した。12枚の書版から成る。『ギルガメシュ叙事詩』というタイトルは近代学者により付けられたもので、古来は作品の出だしの言葉を取って題名とする習わしがあったことから、原題は『深淵を覗き見た人』[2]もしくは『すべてを見たるひと』[1]となる。人物およびそれに基づく作品等については「ギルガメシュ」を参照
概要

『ギルガメシュ叙事詩』は古代オリエント最大の文学作品であり、これを英雄譚と称する場合、古代ギリシアの『オデュッセイア』や中世ヨーロッパの『ニーベルンゲンの歌』『ローランの歌』『アーサー王円卓の騎士』などに肩を並べる世界的な物語と言える[1]。一方、古代オリエント文学とりわけ古代メソポタミア文学界の多くが持つ宗教性と政治性という点は出張っておらず、むしろ世俗的でヒューマニズム的な芸術的感覚が見られるのが特徴とされ、日本文学としての相性も悪くない[1]。口伝を含めてギルガメシュ叙事詩より古い物語はあるが、人間が主人公となり、人間味溢れる物語としては記録に残っている最も古い物語の一つといってよい。多くの人に読み継がれる文学作品として、また、死すべき定めの人間が、また2人1組の関係がテーマになっているという意味では、ギルガメシュ叙事詩は最古の物語だと言える[3][4]
成立

現在に残る最古の写本は、紀元前2千年紀初頭、書記学校の生徒たちによって書き写された、シュメール語版ギルガメシュ諸伝承である。シュメール語版の編纂は紀元前3千年紀に遡る可能性が極めて高いが、オリジナルは残っていない。おそらく文字に書きおこされる以前から口承などで伝えられており、叙事詩を構成する個々の題材は、シュメール時代には既に流布していたとみられる。

シュメール伝承を基に、紀元前1800年頃に成立したアッカド語による古バビロニア版は、書記学校の生徒による書写により残っているが、このときすでに後述の「標準版」の筋書きがほぼ出来上がっていたことがわかる。A. Georgeによれば[5]、アッカド語は学校のカリキュラムではなく、アッカド語版は生徒達がシュメール語の勉強の息抜きに書き写したものであり、そのためフワワ(フンババ)討伐の話が人気で最も多く残っている、という。

紀元前1300?1200年頃の中バビロニア時代(カッシート王朝時代)には、いわゆる「標準版」が成立した(「標準バビロニア語」という文学作品を書くのに使われたアッカド語で書かれているため、そう呼ばれる)。アッシュルバニパルの図書館から出土した「標準版」の奥付には「ギルガメシュシリーズ、シン・レーキ・ウニンニの言葉」と、作者の名前が記されている。前述の通り古バビロニア版と共通する点が多いが、シン・レーキ・ウニンニのオリジナルの部分もある。たとえば、古バビロニア版の書き出しは(奥付に記された題名によると)「他の王達にまさる者」であることが知られているが、標準版では「深淵を覗き見た人」となっている。したがって、このプロローグの部分はシン・レーキ・ウニンニの創作であろう。また洪水伝説も標準版で挿入された。

また、前二千年紀後半、バビロニア語版がヒッタイトシリアパレスティナで発見されているほか、ヒッタイト語版、フルリ語版が発見されており、ギルガメシュ叙事詩が各言語に翻訳されて各地に広まっていたことがわかる。
研究

楔形文字で粘土版に記された『ギルガメシュ叙事詩』の断片の解読が最初に発表されたのは1872年のことであった[6]1853年にホルムズド・ラッサム(en)によってニネヴェアッシュールバニパルの図書館紀元前668年-紀元前627年)から発見されていた遺物の1つに記されていた文字を、大英博物館の修復員であるジョージ・スミスが解読を進め、『旧約聖書』の洪水物語に酷似した「(『ギルガメシュ叙事詩』第11の書版に当たる』)大洪水」部分を見つけたのが始まりである[6]。この発見は大きな旋風を巻き起こし、スミスは自らニネヴェ発掘を繰り返すと、次々と叙事詩を構成する書版を発見。解読が進むにつれその文学性に注目が集まり、19世紀末には更に研究が進んだ。その後、スミス没から15年の時を経た1891年に、1人の研究者が登場人物の名を「ギルガメシュ」と初めて正しく読むことに成功する[7]。以降1900年の独訳を嚆矢に各国語への翻訳が進み、各地の神話・民話との比較が盛んになる。1930年にはセム語を用いた『ギルガメシュ叙事詩』をカムベル・トムソン(en)が刊行し、それが後の翻訳に関する全ての基盤となるとともに、各著者によって叙事詩の改訂増補が成されていった[8]

和訳は矢島文夫により完成し、1965年山本書店から、その33年後には文庫化に伴い、『イシュタルの冥界下り』を加えた増訂版がちくま学芸文庫として筑摩書房から刊行された。和訳にあたって矢島版からは性的表現が削除されている。また刊行後の半世紀以上のギルガメシュ叙事詩研究で明らかになった成果は反映されていない。現在では月本昭男訳(1996年)[9]が一般的である。この他にも『ギルガメシュ叙事詩』とする書籍は複数に渡り出版されているが、多くは物語として成立するように各言語のテキストを充足しながら編成されているため、史料的な翻訳書であるとは限らない。
あらすじ

ウルク市の王ギルガメシュは、強き英雄であると同時に暴君でもあった。その横暴ぶりを嘆いた市民たちの訴えを聞いた天神アヌは、女神アルルにギルガメシュの競争相手を造るよう命ずる。アルルは粘土からエンキドゥを造り、ウルクから離れた荒野に置いた。

エンキドゥははじめは自分の使命に気付くことなく荒野で獣たちと共に暮らしていた。しかしある時、巫女からギルガメシュのことを聞き、仲間が欲しいと思い喜び勇んでウルクに向かう。仲間を求めるエンキドゥと、近々やって来るエンキドゥという男と友人関係になることを夢で見ていたギルガメシュ。2人は顔を知る前から互いを意識していたが、ギルガメシュが国の花嫁を奪い去るという噂を耳に挟んだ瞬間エンキドゥは憤激し、出会って早々、大格闘を繰り広げる。結局のところ決着がつかず、2人は互いの力を認め合い深く抱擁を交わして親友となった。

彼らは常に行動を共にし、様々な冒険を繰り広げる。昔日の暴君とは異なるギルガメシュと、野人としての姿を忘れ去ったエンキドゥはウルクの民から讃えられる立派な英雄となっていた。だが、冒険の果てに彼らを待っていたのは決してかんばしいものではなかった──。
登場人物

この項目では主に「標準版」に基づく。
主要人物
ギルガメシュ〔シュメール名:ビルガメス[10]〕(Bilgamesh)
主人公。母が女神(ニンスン)、父が人間(ルガルバンダ)。3分の2が神、3分の1が人間とされるが、不死の神ではなく、死すべき運命を免れない人間として描かれる。物語の前半では、肉体の死を怖れず英雄としての名声を求める生き方を希求。エンキドゥと共にフンババを討伐し、またイシュタルの求愛をつっぱねて怒りを買い、イシュタルが差し向けた天の牡牛を殺す。しかしエンキドゥの死により、自らの死に対する恐怖におののき、肉体の不死を追い求めることになる。しかし結局肉体の不死は手に入らず、ウルクに帰ったのち城壁を建造し、後世に名を残した。ウルクの王として『シュメール王朝表』に、エンメルカル(治世420年)、ルガルバンダ(治世1200年)、ドゥムジ(治世100年)に続いて記載される(治世126年)が、神として扱われ、その存在は極めて神話的。もっとも、シュメール語の「ビルガメスとアッカ」に登場する、アッカ(キシュの王でビルガメスのライバル)の父親のエンメバラゲシに言及する碑文の断片が見つかっているので、エンメバラゲシは紀元前2650年頃に実在した人物と考えられる[11]。したがって、同じ頃に、ウルクにギルガメシュという王がいた可能性はあり、ギルガメシュやルガルバンダやその他の王達が生きたすぐ後に、吟遊詩人達が彼らを主人公に物語を作ったとも考えられる。ただしギルガメシュが実在した証拠、また叙事詩で語られているように、ギルガメシュがウルクの城壁を建造した証拠はない(2002年、イラク戦争が始まる前、ウルクで発掘された墓が、一時はギルガメシュの墓ではないかと言われたが、結局もっと新しい時代のものということが分かった)。
エンキドゥ(Enkidu)
ギルガメシュの無二の親友。ギルガメッシュの傲慢を諫めるために神々によって作られたが、逆に彼の友となってしまう。ギルガメシュと共に幾多の困難をともにくぐり抜けた。友と繰り広げた冒険の果てに、自身に降り注ぐ運命を夢のお告げで知ることとなる。
ルガルバンダ (Lugalbanda)
ギルガメシュの父で牧夫。


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