ギリシア料理(ギリシアりょうり、ギリシア語: Ελληνικ? κουζ?να)は、典型的な地中海料理であり、イタリア料理、セルビア料理(英語版)、トルコ料理および中東の料理とその特徴を共有している。
現代のギリシア料理は大量のオリーブ・オイル、野菜やハーブ、穀物、パン、ワイン、魚介類および家禽やウサギなどの多種の食肉を使用する。ギリシア料理の代表的な材料は子羊肉と豚肉、オリーブ、チーズ、ナス、ズッキーニおよびヨーグルトである。デザートにはナッツとハチミツが多用される。多くの料理にフィロが用いられる[1]。
2010年にイタリア料理、スペイン料理、モロッコ料理と共に『地中海の食事』としてユネスコの無形文化遺産に登録された。 オリーブ油の強い風味とのバランスを取るためにしばしば料理にトマトで酸味を加えることが多い。なお、新大陸を原産地とするトマトが伝来する以前は酢を用いていた。 ギリシア料理は野菜の使い方が多彩である点にも特徴を持つが、これはギリシャではギリシャ正教会の戒律により肉食を禁じられる期間が非常に長いからである(斎を参照)。ちなみに1950年代までは多くのギリシャ人にとって週2回以上肉を食べることは稀であった。その一方で、タコやイカ、巻貝、魚卵の消費が多い。 また、バルカン半島や中東同様、酒を飲みながらメゼという前菜をつまむ習慣もある。 ギリシア料理は地中海料理の一種だが、イタリアや南フランスの地中海料理のみならずトルコ料理やレバノン料理など東地中海地方の料理との共通点も多い。これは、アナトリア半島(現在のトルコ)が長い間ギリシャ人主体の東ローマ帝国の領土であった上、近代に入ってギリシャがオスマン帝国領となり、独立後も希土戦争終結後に締結されたローザンヌ条約に従いトルコとギリシャの間で大規模な住民交換が行われるまでの約100年間は多くのギリシャ人がトルコ領内に居住していたためである。 トルコ料理との共通性は、特にマケドニアとトラキア地方の料理で顕著である。600年以上もヴェネツィアとイギリスに支配されたイオニア諸島では、イタリア料理とイギリス料理の影響が強く見られる。 人類が狩猟採集生活から自らの食料を育て、生産するようになったギリシャでの最も古い痕跡は新石器時代の7000年前のものである。当時の主な食料は栽培されたコムギ、エンバク、オオムギおよびライムギや、レンズ豆やエンドウマメなどの豆類に、野生のままの生や乾燥させたオリーブ、ドングリ、ナッツ、ウメ、ブラックベリーなどの果実類だった。その後、ブドウとソラマメが栽培され始め、イチジク、野生のナシ、甘いアーモンドがそれに続いた。彼らはまた、羊、豚、牛を乳と肉のために飼い始めた[2]。 徐々に新しい食品が使われるようになり、新しい調理法が開発されたり改良されて生活は豊かになった。このことは遺跡で発掘された数多くの調理だけではなく[3]、さまざまな宮殿遺跡で発見された焼かれた果実の痕跡によっても確認されている。煮たり焼いたり、場合によっては生の野菜や豆類は欠かせない食料だった。多くの料理はオレガノ、ペパーミント、タイム、サフラン、ニンニク、クローブ、ケッパーなどのスパイス類で風味を着けられていた。すべての料理の主な材料はコムギである。小麦は粉に挽かれ、ポリッジの主原料となり、ハチミツ、ゴマや、クレタ島ではケシの実もまぶした様々のパイを作るのに使われた。小麦粉は製パンにも使われる、しばしば寺院で供物とされた[2]。 オリーブとオリーブ・オイルもごま油、チョウジ油、亜麻仁油などとならびよく用いられる。亜麻仁油はパイを焼く際の油として使われていた。アーモンド、ヒヨコマメ、どんぐり、クルミ、イナゴマメなどのドライフルーツも使われていた。イナゴマメは、主に甘味料であるローカストビーンガム
解説
他国の料理との共通性
歴史「古代ギリシア料理(英語版
青銅器時代オレガノは古代から人気のあるスパイスだった
非常にさまざまな種類の肉が食べられていた。豚、牛、子羊、山羊の肉は、焼いたり、茹でたり、細かく刻んでパイに詰めて食べられることが多かった。牛乳やチーズは一般的な製品で、肉や卵のために鶏や鳩が飼われていた。古代の娯楽の一つでもあった狩猟では、イノシシ、シカ、ノロジカ、パサン、ノウサギ、野生の雄牛などが獲られた。クレタ島ではカタツムリも食べられていた。ミノア人は畑でカタツムリを採っていたので、それがギリシャの輸出品になったほどである。漁業が盛んで、海産物が食生活の大部分を占めていた。鯛、メダマヒメジ(英語版)、マグロ、スズキ、カサゴ、エイ、イワシ、ヨーロッパヘダイ、イカ、タコなどの魚介類は、焼いたり、塩焼きにしたり、天日干しにしたり、汁物にしたりして食べられていた。すべての料理には、ギリシャのすべての地域のさまざまな種類のワインがともに供されていた[2]。
古代
植物性食品カリンは古くからギリシア料理に使われており、レモンがなかった時代には料理に酸味を与えるために使われていた。
古い世界からの影響は、古代ギリシャ時代にも多く残っていた。この時代に、料理は芸術とみなされるようになった。紀元前5世紀には、多くの料理人が新しい料理を作り、ガストロノミーに関心を持っていたことが認められている。紀元前4世紀、シチリアでアルケストラトスによって最初の料理本が書かれた。しかしながら、今日伝えられる情報は、別の著作者アテナイオスがその著書『食卓の賢人たち』の中でホメーロスの時代から西暦200年までの調理過程を記述していることに由来する。