ギリシア詞華集
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『ギリシア詞華集』(ぎりしあしかしゅう、: Anthologia Graeca)は、ギリシア語の選集(アンソロジー)。前7世紀アルカイック期)から10世紀マケドニア朝ルネサンス期)までの詩人300人以上による約4500篇全16巻の短詩からなる。

前1世紀ヘレニズム期)のメレアグロス編『花冠』にはじまる歴代の選集の集大成として、特に10世紀以降の『パラティン詞華集(英語版)』と『プラヌデス詞華集(英語版)』を統一する形で、18世紀ドイツ古典学者ヨハン・ヤコブ・ライスケ(英語版)により編纂された。
内容

本書の詩は全て「エピグラム」というジャンルの詩である[1]。この「エピグラム」という語は、現代では一般に「警句詩」「寸鉄詩」という意味で用いられるが、本書では意味が異なり、碑銘詩哀悼詩奉献詩・風刺詩・恋愛詩・飲酒詩・牧歌詩教訓詩・宗教詩を含む、あらゆる主題の「短詩」を指す[1]。それだけでなく、なぞなぞやギリシア数学(英語版)の問題、金貸し広告文など、詩とは言いがたい作品も含まれる[2]。この「エピグラム」の用法はヘレニズム期の「エピグランマ」(?π?γραμμα) の用法に由来する[3]。エピグラムの韻律は基本的にはエレゲイオンだが、まれにヘクサメトロン散文詩も含まれる[1]

本書を全訳した沓掛良彦によれば、傑作と言える詩はごく一部で、大半は凡作である[2][4]。しかしながら、それら凡作も、当時の文化や社会を知るための歴史資料として価値がある[2]

つまり例えば、第2,9,16巻に集中している事物描写詩や芸術作品描写詩(エクプラシス詩)は、当時の様々な事物??例えばアレクサンドリアの大灯台公衆浴場金貸しビール水車ギリシア医学の道具、ガラス蚊帳公衆便所日時計水時計書物クテシビオスオルガンミュロンプラクシテレス彫像パラシオスアペレス絵画??を詠っており、これらの事物についての資料となっている[5]

同様に、9,10,11巻の風刺詩は、当時の笑いの価値観[6]、6巻の奉献詩は、ギリシアの神々への奉献文化と人々の生活[7]、5,11巻等の飲酒詩は、ギリシアのワインや饗宴(シュンポシオン[8]、5,12巻の恋愛詩は、当時の恋愛??多くは男から高級娼婦(ヘタイラ)への性愛??[9]、12巻の稚児愛詩は、当時の男性間の稚児愛(パイデラスティア[9]、7巻の碑銘詩や哀悼詩は、当時の戦死自殺・早逝など様々な死や死生観[10]の資料として価値がある。

そのほか、キリスト教詩、哲学的述懐詩、教訓詩、古都や古跡の追懐詩、過去の著名人への頌詩田園生活を詠った牧歌詩などが含まれる[11]


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