ドイツの政治家ギュンター・マロイダGunther Maleuda
ギュンター・マロイダ (左)。右は自由民主党のマンフレート・ゲルラッハ。1989年11月13日、マロイダを議長に選出した人民議会当日の写真
生年月日 (1931-01-20) 1931年1月20日
出生地 ドイツ国
プロイセン自由州
アルトベーリッツ村
(現:ポーランド
ルブシュ県
スタレ=ビェルツェ
ギュンター・マロイダ(ドイツ語: Gunther Maleuda、1931年1月20日-2012年7月18日)は、ドイツの政治家。ドイツ民主共和国(東ドイツ)で1989年11月のベルリンの壁崩壊の直後から翌年3月の東ドイツ初の(そして最後の)自由選挙まで人民議会議長を務めた。 1958年から1967年にはケーニッヒス=ウュステルハウゼン(Konigs Wusterhausen、現在はブランデンブルク州に所在)の郡議会議員となったことを皮切りに、1967年から1976年にはポツダム県議会議員に、1976年から1982年にはハレ県議会議員になった。そして1981年には東ドイツの国会に相当する人民議会議員となった。 1977年から1990年のあいだ、マロイダはドイツ民主農民党の幹部会員だった。1987年3月27日、マロイダは党議長(党首)となり、同時にエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長(東ドイツの国家元首)を補佐する国家評議会副議長(他国の副大統領に相当)に就任した。 東欧革命の波が東ドイツに及びベルリンの壁が崩壊すると、その直後の1989年11月13日、人民議会はホルスト・ジンダーマン議長を解任。後任の議長には当初はドイツ自由民主党のマンフレート・ゲルラッハが有力視されていたが、投票の結果、マロイダがゲルラッハを破って人民議会の議長に選出された[1]。
経歴
生い立ち・青年期(英語版))生まれ。1950年、ドイツ社会主義統一党(共産党)の衛星政党、ドイツ民主農民党に入党。1952年から1955年にかけて経済を学ぶ。
民主農民党から政界入り
ベルリンの壁崩壊から民主化期の立法府の長として