ギュンター・ブローベル
Gunter Blobel
ギュンター・ブローベル(2008)
生誕1936年5月21日
ドイツ国、プロイセン州ニーダーシュレージエン県ヴァルタースドルフ
(現 ポーランド、ニェゴスワヴィツェ)
死没 (2018-02-18) 2018年2月18日(81歳没)
アメリカ合衆国、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン
居住
国籍 ドイツ
アメリカ合衆国
研究分野生物学
研究機関ロックフェラー大学
出身校エバーハルト・カール大学テュービンゲン
ウィスコンシン大学マディソン校
指導教員ジョージ・エミール・パラーデ
博士課程
指導学生ピーター・ウォルター
ノーベル賞受賞者
受賞年:1999年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:タンパク質が細胞内での輸送と局在化を支配する信号を内在している事の発見
ギュンター・ブローベル(Gunter Blobel, 1936年5月21日 - 2018年2月18日)は、アメリカ合衆国の生物学者。 ナチス・ドイツ領シュレージエンのヴァルタースドルフ(現・ポーランド、ニェゴスワヴィツェ(Niegos?awice))に生まれる。1960年にテュービンゲン大学を卒業、1967年にウィスコンシン大学からPh.D.を受け、翌年からはニューヨークのロックフェラー大学で研究を進めた。また、1986年には、ハワード・ヒューズ医学研究所から研究資金を得ている。1987年には、アメリカの市民権を獲得した。 彼はタンパク質が細胞内での輸送と局在化を支配する信号を内在している事の発見により、1999年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。 また、1994年にドイツのドレスデン聖母教会の再建のため、非営利の「Friends of Dresden, Inc.」の創設者兼社長となり、ノーベル賞賞金の大半を寄付したことでも知られる[1]。さらに、エルベ川の景観保全と、聖母教会周辺のノイマルクト再建にも努めた。イコモスに対する彼の働きかけが契機となって、UNESCO世界遺産委員会が新橋建設による景観悪化を問題とするようになり[2]、最終的にはドレスデン・エルベ渓谷が世界遺産のタイトルを失うことへと通じた。 妻および3頭のイギリスのセッターと共にマンハッタンのアッパーイーストサイドに住んでいた。 2018年2月18日、癌のため死去[3]。81歳没。
経歴
受賞歴
1978年: 米国科学アカデミー賞分子生物学部門(旧U.S. Steel Foundation Award in Molecular Biology)
1982年: ガードナー国際賞
1983年: リチャード・ラウンズベリー賞
1983年: オットー・ワールブルク・メダル
1986年: E・B・ウィルソン・メダル
1987年: ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞をコロンビア大学より受賞
1992年: マックス・プランク賞
1993年: アルバート・ラスカー基礎医学研究賞
1995年: Ciba Drew Award in Biomedical Research
1996年: キング・ファイサル国際賞科学部門
1997年: Mayor's Award for Excellence in Science and Technology
1999年: マスリー賞
1999年: ノーベル生理学・医学賞
脚注^ “完全崩壊からほぼ忠実に蘇ったドレスデンの教会
^ “ ⇒Die Brucke der Schande(不名誉な橋)” (独語). Suddeutsche紙(2009年6月23日). 2015年8月9日閲覧。
^ “Gunter Blobel, Nobel Laureate Who Found Cell ‘ZIP Codes,’ Dies at 81”. The New York Times. (2018年2月19日). https://www.nytimes.com/2018/02/19/obituaries/gunter-blobel-nobel-laureate-who-found-cell-zip-codes-dies-at-81.html 2018年2月20日閲覧。
表
話
編
歴
ノーベル生理学・医学賞受賞者 (1976年-2000年)
バルーク・サミュエル・ブランバーグ / ダニエル・カールトン・ガジュセック (1976)
ロジェ・ギルマン / アンドルー・ウィクター・シャリー / ロサリン・ヤロー (1977)
ダニエル・ネイサンズ / ハミルトン・スミス / ヴェルナー・アーバー (1978)
ゴッドフリー・ハウンズフィールド / アラン・コーマック (1979)