この項目では、フランスのイラストレーター、画家について説明しています。スイスの作曲家、指揮者については「ギュスターヴ・ドレ (音楽家)」をご覧ください。
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ポール・ギュスターヴ・ドレ
Paul Gustave Dore
ナダール撮影。1867頃。
誕生日 (1832-01-06) 1832年1月6日
出生地 フランス王国・ストラスブール
死没年 (1883-01-23) 1883年1月23日(51歳没)
死没地 フランス共和国・パリ
国籍 フランス
芸術分野イラストレーション、絵画
代表作神曲
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ポール・ギュスターヴ・ドレ(Paul Gustave Dore, 1832年1月6日 - 1883年1月23日)は、フランスのイラストレーター、画家(版画家、挿絵画家、彫刻家)。
生涯(英語版
1851年より、油絵を展示する傍らで、宗教的な主題の彫刻も制作し、『Journal pour tous(フランス語版)』(みんなの新聞)を含む数多くの新聞雑誌に寄稿し、15歳の時から画家として活躍した。1853年にはジョージ・ゴードン・バイロンの挿絵を手がける。1854年には、出版者ジョセフ・ブリーがドレの挿絵によるフランソワ・ラブレー全集を出版した。また、イギリス版の聖書やエドガー・アラン・ポーの『大鴉』も手がけ、バルザック、フランソワ・ラブレー、ミルトン、セルバンテスの挿絵も手がけた。名声はますます高まり、エネルギッシュな独学の人であったドレは1852-1853年の間にフランスで刊行された120冊以上の書籍のみならず、イギリス・ドイツ・ロシアの書籍にも挿絵を描いた。クリミア戦争の際には著者兼イラストレーターとして、フランスとイギリスが戦端を開いたロシアを攻撃・風刺した『神聖ロシア帝国の歴史(フランス語版)』を著した。この本はバンド・デシネの原型となる画集で、テクストとイラストレーションの間のずれを巧みに利用し、見事な視覚的機転を展開した。
ドレは社交界でも活躍し、大きな絵画を制作し絵画活動を拡大させた。1861-1868年の間に製作したダンテの『神曲』を題材とした連作の中でも『地獄第9圏のダンテとウェルギリウス(フランス語版)(ウェルギリウス)』(1861年、311x428cm、ブルー美術館蔵)や、『謎』(オルセー美術館蔵)、幅6メートル・高さ9メートルの『法廷から退場するキリスト(フランス語版)』(1867-1872年)などがある。キリストの絵は1998年から2003年にかけてストラスブール現代美術館(英語版)で修復され、ドレのための特別室に展示されている。『法廷から退場するキリスト』(1872)、ストラスブール現代美術館蔵
同時期に、(幻想画や攻撃的な肖像画を含む)ありとあらゆるジャンルの素描やイラストレーションを量産し、ドレの名声は全ヨーロッパ規模に拡大した。1865年に出版された彼の挿絵入り聖書は大好評で、1869年にロンドンに開いたドレ画廊は大成功を収めた。同年から4年に渡って、記者とともにロンドン市内のスラム街やアヘン窟などにも出向いて180点の版画を描いた『London: A Pilgrimage(英語版)』を出版した[1]。ロンドンの貧民街セブンダイアルズ。1872年。大英図書館ジョルジュ・ラフォス(フランス語版)作品『トロンビノスコープ(フランス語版)』(似顔絵つき名士録)に載ったギュスターヴ・ドレの似顔絵(1875年)
数多のイラストレーターたちに強い影響を与えることになる1万以上もの作品を残し、1883年にパリの聖ドミニク通り(英語版)にて、51歳で心筋梗塞で没し、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。
1931年に、アンリ・ルブランがイラストレーション9850枚、音楽作品68曲、ポスター5枚、オリジナルのリトグラフ51枚、淡彩画54枚、素描526枚、水彩画283枚、油絵133枚、彫刻45体の計11015作品からなるドレの解題付き類別目録を出版した。ブール=カン=ブレスにあるブルー美術館(英語版)はドレの油絵、素描、彫刻など136作品を所蔵している。日本の国立西洋美術館収蔵『ラ・シエスタ スペインの思い出』は国立西洋美術館に常設展示されている。国立西洋美術館所蔵『ラ・シエスタ スペインの思い出』
歌手ジュリアン・ドレの曾曾大伯父に当たる。 シャルル・ペローの寓話集『マ・メール・ロワ』(1697)より。1867年出版。
イラストレーション・ギャラリー
マ・メール・ロワ
赤ずきん
狼と赤ずきん
長靴をはいた猫
長靴をはいた猫
魔法の鍵を渡す青ひげ
親指太郎(親指小僧)
オーガ
七里靴
妖精の園
シンデレラ
眠れる森の美女