ギャル
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この項目では、日本における若い女性の呼称について説明しています。その他の用法については「ギャル (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ギャルは、英語において少女を指す girl(英語発音: [g??rl] ガール)の、英語における俗語 gal(英語発音: [gal] ギャル)に由来する外来語日本語でも英語と似た 若い女性を意味する昭和初期からの流行語(モダン語)[1]。または、10代後半から20代前半という、若く、軽薄だが健康的で元気のいい女性[1]。容貌そのものではなく、価値観・文化・マインド[2][3]

前者に文化的な意味合いはないが、後者には若い日本人女性ファッション的な意味合いが強くなる。本項では後者について詳述する。日本国外では若い日本人ファッションを指す言葉として、日本語ローマ字表記にあたる "gyaru" が英語に借用語がつくられ、「gal」と区別している。平成のギャル文化である「コギャル文化(コギャル・ファッション)[4][5][6]」は、サンリオなど日本企業で商品化されたり[7][8]、日本ブランドとして日本政府の外務省などが「ロリータ・ファッション」と共に紹介や支援している[9]

ギャルからの派生語として[10]、1990年代後半の日本で発祥した「男性のストリートファッション」、あるいはその系統に属するファッションをする男の総称は ギャル男を参照。
ギャル文化以前の「ギャル」

昭和初期に若い女性を馬鹿にしたモダン語として、「ギャール」という表記で使われだした[1][11][12]

1972年昭和47年)にラングラーから「Gals」という女性用ジーンズが発売された時に広まったとの意見もある[13]

1978年には少女向けファッション情報誌『ギャルズ・ライフ (GAL'S LIFE)』が創刊されたが、この雑誌は当初アメリカ西海岸のギャル文化を紹介する雑誌となっており[注 1]パンク・ロックニュー・ウェイヴインディーズ系のミュージシャンが頻繁に登場するなど、日本における「ギャル文化」とは特に関係ない傾向の誌面であった。なおのちに、この雑誌は性表現の過激さが問題となり国会で取り上げられることとなる(有害図書#有害図書規制の進展を参照)。

1979年には沢田研二の曲『OH! ギャル』がヒットした。
渋谷系と原宿系渋谷系ギャルモデルの撮影風景
(左右)白ギャル
(中央)黒ギャル
(※:2009年池袋にて)

ギャルファッションは「渋谷系ギャル」と「原宿系ギャル」の2つに大別される。

東京においては、1973年(昭和48年)に渋谷PARCOが開店し、新宿に代わって渋谷が若者の街として流行の最先端を担うようになるという変化があった。

渋谷系ファッションのギャルを「109系」などファッションビルの名称を使用して細分化する例が見られ、特に地方のギャルファッションを取り扱う商業施設をこのように呼称する場合も多い。代表的な例としては名古屋駅前にある近鉄パッセや、札幌大通にある4丁目プラザ(再開発により閉鎖)など、こうした商業施設のファッションを109系と呼ぶ。この他に商業施設の名称を使用したギャルファッションの細分化に「丸井パルコ系」などと呼ばれるものもある。

一方、渋谷系ファッションに限らず原宿系ファッションに対してもギャルという言葉が用いられる場合もある。この理由は原宿系ファッションも10代中盤から後半、20代前半にかけての最先端ファッションの1つとして広く認識されていることが大きい。ファッションのテイストやメイクの手法が根本的に違うために厳密には彼女らのファッションは全く別の変異を遂げたギャルである。原宿系ギャルは元来はロック系のファッションを取り扱う店舗も多かったことと、ロック系のメイクは細部の異なりはあるもののギャルのメイクを踏襲した手法が用いられるため、こうした女性が集まるために原宿系を「ギャル」と誤認されたともいえ、この場合は広義におけるギャルとも見做せるが、その興りと歴史には差異が見られる。

ギャルファッションは当初、渋谷系ファッションとして興ったものであった。そのため狭義におけるギャルとは1990年代中期から末期にかけて、渋谷を中心に活動する前衛的なファッションをする女性を指して表現する言葉であった。当時は女子高生や女子中学生といった世代を反映してコギャル、あるいはマゴギャルなどという語で呼ばれることが多かったが、現在ではどの世代もギャルを使用することで落ち着いている。また、当時はお姉系というファッションも流行を示しており、本来はギャルに該当する女性が趣味嗜好をそのまま維持して大人になった者を指していたが、現在は過去にギャルであったか否かは別として独立的なファッションを形成している。また、ギャルファッションが進化を遂げる過程で、その中間的な役割としてお姉ギャル(オネギャル)という存在もあったが、ファッションの系統の分類が明確化された現在では前述の通りギャルとお姉系が完全に別物もファッションとなってしまったため、お姉ギャルという言葉はファッション用語としてあまり用いられなくなりつつある。

Popteen』『egg』『Ranzuki』、あるいはかつて発行されていた『Cawaii!』などといったファッション雑誌がギャルに対して大きく影響を与えており、これらの雑誌内にはギャルのアイデンティティなども色濃く書かれ、特に雑誌内に登場するモデルは他のティーンズ誌と比較するとオープンな活動を行っている者も多い。それらに影響された読者がサークルギャルサーとも呼ばれる)を作って活動している者も多くみられる。また、雑誌内のコラムやアイデンティティがしばしば性的描写が過度になってしまったために問題となる場合もあった。

また、ギャルに相当する男性を「ギャル男(ギャルお)」と呼ぶこともあった。彼らのファッションを取り扱う雑誌『men's egg』は、前述のギャル系ファッション雑誌『egg』の兄弟誌として創刊された経緯があり、当初のコンセプトの一つとして「ギャルの理想的な彼氏(または一緒に連れて歩く男性)」としてこの言葉が用いられた。現在ではギャル男という言葉はほとんど聞かれず、代わりに「お兄系(おにいけい)」と呼ばれるが、お兄系は本来ジャニーズ系ファッション(丸井・パルコ系)までの綺麗目なファッションを含む幅広い呼称であったものが、次第に雑誌『MEN'S KNUCKLE』に登場するようなファッションが「強めのお兄」と呼ばれ始め、最終的にはこれをお兄系という呼称することに落ち着いた。これらの記述から分かる通り、お姉系とお兄系とでも進化の過程に大きな差異がある。
昭和のギャル
1970年代 -

1970年代は世界的にファッションの変革が強かった時代で、ジーンズもストレートボトムのものからベルボトムが登場するようになり、よりファッションの幅や自由性が広がった期間ともいえる。また『anan』『non-no』といった女性ファッション雑誌が相次いで創刊したのもこの時代であり、ニューファッションに身を包んだ女性が多く登場した。こうした女性の中で特に神戸を中心に発生したニューファッションを「ニュートラ」(和製英語:New Traditional ) と呼び最先端ファッションとして位置付けられた[14]。当時のファッションの最先端は女子大生や若手OLなど現在より年齢層が高いのも特徴である。

1973年渋谷PARCO1979年にはファッションコミュニティ109(現在はSHIBUYA-109)が開業し、それまでの新宿に代わり、渋谷が若者文化の中心地として開花しはじめた時代でもある。

一方、原宿においても1976年頃より竹下通りブティック飲食店が集積した商店街化し、独自のファッション文化を形成していった。また、1977年には代々木公園横に歩行者天国が導入され、渋谷とは違う若者文化が築かれていった。
1980年代 - ボディコンと呼ばれるファッションに身を包む女性
(写真は2008年)

1980年代後半のバブル絶頂期には、ボディコンと呼ばれる非常にタイトでボディラインを強調したワンピースあるいはレディーススーツに身を包んだ女性が登場するようになる。発祥は1980年代前半のヨーロッパファッションであったが、日本経済が潤沢な時期でもあったためにこうしたファッションが受け入れられてくるようになる。この時期まではこのようなニューファッションを女子大生やOLが特に着用し、ギャルという言葉は若い世代の女性を指した。「ピチピチギャル」「イケイケギャル」という言葉も1980年代前期に登場した言葉である。

渋谷では、渋谷ロフト西武SEED館(現:モヴィータ館)、109-2など様々なファッションビルや百貨店における建設ラッシュが興り、より若者らしい街へと形成していくことになる。

一方、原宿では1980年代初頭より竹の子族という路上ダンスカルチャーの一大ブームが巻き起こり、竹の子族が下火となった1980年代後半においても原宿を中心に路上ライブパフォーマーなど様々な若者文化が興った。また、竹下通りにおいてはタレントショップが次々に開業していき、独自の流行を発信していった。
平成・令和のギャル
1990年代 -

1990年代に入っても、ギャルという言葉は使用され続けた。特に中尊寺ゆつこが描いた漫画、『スイートスポット』に登場する「オヤジギャル」は、流行語大賞を獲得するまでの知名度を得た。このオヤジギャルとは主に当時の若いOLを風刺した題材でもあり、1980年代の末期より流行していたジュリアナ族のように、企業の就業時間の定時時刻である17時頃を迎えるとこぞってOLの制服からボディコンに着替え、夜な夜な街に繰り出してはディスコで踊ったりする反面、どこか中高年男性(オヤジ)のような性格を髣髴させる、女性としてはどことなくルーズでかつ大和撫子的要素の欠損した女性を的確に描いたものであった。この現象はギャルそのものファッションとはあまり関連はないものの、ギャルのイメージを「見た目は最先端ながらも言動に秩序やマナーなどがどこか欠落している」と印象付けたともいえ、後に流行するギャル、コギャルらは当時の比較対象としてオヤジギャルを引き合いに出されていた。

この頃の渋谷では、109やPARCOなどのショップテナントが次第に10代向けのものに変移していったことにより、ティーンズファッションの最先端地区としての地位を確立していくこととなる。

一方、原宿においても1993年頃から、メインストリートから少し入った地区で(地名ではないが俗に「裏原宿」と呼ばれた)、比較的テナント賃料が安い物件でストリートファッションを開花させた「裏原系」が興っていく。また、1998年頃からはゴスロリファッションが興り、のちにギャル系とも結びついてさらに多様な若者文化を形成していくこととなる。
コギャル・アムラー1990年代後半のギャルのカリスマとなった安室奈美恵
(写真は2005年)

バブル崩壊直後の1992年から1993年にかけて、スカートを短くしてルーズソックスを履いた、それ以前では見られなかった制服の着崩しをした女子高生が登場し、それ以前のジュリアナお立ち台ギャルや女子大生ブームと入れ替わる形で、マスメディアから注目され始めた。

1990年代に入ってからは、ストリートファッションなど「カジュアル」というキーワードをもったファッションが注目される。また、10代の女性の間ではSUPER MONKEY'S安室奈美恵の登場により、彼女の装いに特に影響された者が続出した。この現象もしくは安室に心酔した彼女らのことを「アムラー」と呼び、10代の女性の多くが彼女のファッションである1970年代風のサーファーファッション、LAファッションなど回帰的なファッションが流行を示した。特に大きな変化として、それまでの日本人にはあまり馴染みがなかった茶髪に対する抵抗感がなくなったことが挙げられる。このファッションの流れを汲むのが狭義でのギャルの原点であるというのが定説となっている。また安室は「初代ギャルのカリスマ」とされた。

「コギャル」という言葉は、上記のアムラーの発生とほぼ同時期の流行語とされ[15]、前述のルーズソックスを履いた女子高生が流行し始めた1993年頃から、写真週刊誌『フライデー』などの媒体に記述が見られるようになった。ただし、本格的にコギャルという言葉が使われ出したのは、バブル崩壊などの影響で、1980年代から続いていたOL・女子大生ブームが完全に終焉し、「女子高生ブーム」が本格化していた1995年前後からである。これは、若者の娯楽風俗までが、より低年齢である女子高生・女子中学生を中心とした文化に変化していたことを象徴しており、以降、広告代理店や企業のマーケティングも、未成年の学生をターゲットとする傾向が強くなる。

OL・女子大生ブームの担い手が、1960年代生まれのバブル世代であったのに対して、この当時のギャルの年齢層は1970年代後半から1980年生まれ前後の「ポスト団塊ジュニア」の女性に相当する。コギャルの語源については諸説あるが[15]、有力な説としてはディスコ・クラブにおいてエントランスチェックの黒服が、本来は深夜入場が不可な女子高校生を成人女性と区別するための隠語として、幼く見えるギャルを「子ギャル」「小ギャル」と呼んでいたという説や、「格好はギャルだけど、未だ本物のギャルになりきれない格好だけのギャル」から、「カッコ(格好)・ギャル」と呼ぶようになり、その「カッコギャル」が縮まって「コギャル」となったという説、またそれをマスメディアが「コギャル」の「コ」を「子」ないし「小」であると誤認した結果であるとする説、あるいは「高校生ギャル」を略して「コーギャル(高ギャル)」からコギャルという言葉に派生した説もある[注 2]


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