ギターヒーロー
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ギターヒーロージャンル音楽ゲーム
対応機種PlayStation 2
開発元Harmonix Music Systems
発売元レッドオクタン
人数1人?
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2005年11月8日 (2005-11-08)

2006年4月7日

2006年6月15日

デバイスギター型専用コントローラ
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『ギターヒーロー』(Guitar Hero)は、ハーモニクス・ミュージック・システムズ (Harmonix Music Systems) 開発の音楽ゲーム。通称「ギタヒロ」。
概要

レッドオクタンによってPlayStation 2用のコンソールが販売された。ギターヒーローシリーズ第1作であるこのソフトは2005年11月8日に北アメリカで発売され、2006年4月7日にはオーストラリアで発売された。このゲームの開発は、ハーモニクスとレッドオクタンが「北米版GUITARFREAKSみたいなゲームをつくろう」と考えて行われた。

このゲームはプレイヤーがロックミュージックを演奏している気分にするために、ギブソン・SGを小さくしたような形のギター型コントローラーを、画面に流れてくる楽譜に合わせてコントローラー上のボタンを押すという形で用いる。ゲームに使用された曲は、ボーナストラックにあるインディーズバンドのものを含めて1960年代から2005年の30曲のカバーバージョンが使われている。

このソフトは驚くほど売れ、賛否両論ながらも有名ゲーム誌で数々の賞を受賞した。これらの成功を受け、ギターヒーローという商標を使った販売方法による売り上げは10億ドルを突破、続編や拡張パック、関連商品等が数多く売り出された。続編の情報については、「シリーズ作品」節を参照のこと。
開発ゲームに同梱されているコントローラーは実物の3/4サイズである

このゲームのリードデザイナーであるロブ・ケイによると、このゲームは同じくギター型コントローラを用いて遊ぶコナミのギターフリークスからじかにインスパイアを受けて作られた。

一方レッドオクタンは家庭版Dance Dance Revolutionなどに向けたダンスパッドを開発していたメーカーで[1]、コンピュータゲームのレンタルサービスも運営していた。このレンタルサービスで人気を集めていたのが日本のギターフリークスというゲームであった[2]。当時コナミはアメリカではギターフリークスを発売しておらず[1]、一時はアメリカ版も検討されたものの、ギター型コントローラに関わる法的問題によりアメリカ版は実現が困難であった[2]。レッドオクタンのケイとCharles Huangは、コントローラもそれを使ったゲームもアメリカで作ろうと考えた[3]

あまりにもそのアイディアが奇抜過ぎたということで、複数のゲーム開発者に却下されたが、Huangらは、175万ドルの資金を集めた[3]アクレイム・エンタテインメントの創設者の一人であったen:Greg Fischbachは、「誰がそんなどうでもよさそうなゲームで遊ぶんだ?」と言って企画を却下したことを、数年後に悔しそうに振り返った[4]

Huangらは、Frequency, Amplitude、 Karaoke Revolution といった音楽ゲームを世に送り出したハーモニクスに、ギター型コントローラを用いたゲームのアイデアを持ち込んだ。

約100万ドルの資金(ケイ曰くこの金額はコンピュータゲーム開発にしては超低予算であるとのこと)を持って、二つの企業がギターヒーロー開発のために手を組む結果となった。このことについて、ケイは「誰も大成功を収めようなんて考えなかった。ただ楽しめるものを作ろうと思っていた」と語っている[5] 。ハーモニクスの代表であるAlex Rigopulosは、「マイクロソフトへ Frequency の企画を持ち込んだとき、マイクロソフトのゲーム部門の副部長だったエド・フライズ(英語版)から、独自のハードウェアのない音楽ゲームはうまくいかないといわれたことが、このゲームの制作へ間接的に影響を与え、ギターヒーローの企画が上がったときその企画についてもっとよく調べてみようということになった」と話している[6]

制作チームは「このゲームのコントローラは、まさに我々のやりたいことが詰まった魔法のソースだ」とすぐに直感した[7]。チームはゲームを際立たせるための3つのゲームプレイのイメージを作り上げた。3つとも、音符に合わせてボタンを押すだけでなく、ワーミーバー(whammy bar)を使用したり、コントローラを傾けることで、よりゲームを楽しめるようになっている。さらに、スターパワーを使うより、このゲームに深みがまし、ユーザーが何度でも遊びたくなるようになっている[7]

当初ハーモニクスはゲームの開発にギターフリークス用のサードパーティー製コントローラーを使っていたが、後にレッドオクタンがギターヒーロー用コントローラのプロトタイプを用意した[7]。当初ギターヒーローのコントローラは、本物のギターのように演奏できるよう、フレットの部分に感圧式のボタンをつけるという案もあったが、操作が難しくなりすぎるということでその案は見送られた[8]。ワーミーバーでスターパワーを増幅したり、長い音符の音高に変化をつけるというアイデアは、ゲームが完成する1か月前に出来上がっていた[8] 。また、プレイヤーが即興をこなせるよう、フリー・スタイルのモデルを作り上げるのに貴重な時間と労力を費やしたが、エキサイティングなゲームにするのには無理があったため、結局見送られた[9]

ゲーム内の楽譜であるジェム・トラックスは、ハーモニクスが制作したもので、1曲につき1日かかった[5]。楽譜はプレイヤーが素晴らしいミュージシャンになりきれるようにデザインされている[5] 。また、難易度はソフトウェアのアルゴリズムで調整されており、品質保証チームがゲーム全体の難易度がちょうどよくなるまで曲目を変更したり楽譜を作り直したりした[5]

制作に着手したとき、制作チームは、どの曲を収録するか一切決めていなかった。3,40曲ほど使うつもりで、使いたい曲リストに曲を書き足していったところ、リストは100曲になった[7]。ゲームはハードロックの楽曲を中心に収録していたが、著作権の関係で使用できる曲が限られていた。その一方で、若いプレイヤーたちにも懐かしのロックの名曲を知ってもらうために、ラモーンズの『アイ・ウォナ・ビー・シディテッド』などを入れる道徳的義務があると制作チームは感じていた[8]。何度も曲の人気度と難易度のバランスを見ながら、ハーモニクスは、曲を追加したり、権利関係などから曲を外したりして、開発期間中に曲目の調整を行った[5] 。許諾の取れた楽曲のカバーはWaveGroup Soundが行い[10]、多くのカバー曲のリードギターはドリストのメンバーであるマーカス・ヘンダーソン(英語版)が担当した[11]

WaveGroup Soundはエフェクトの再現もこなしており、例えばブラック・サバスの『アイアン・マン』の原曲ではオジー・オズボーンが金属製の扇風機の前で歌っていた。 WaveGroup Soundはそのことに気付き、Craigslistを通じて同型の扇風機を手に入れ、その効果を再現した状態で収録した [8]

ボーナス曲の演奏には、ハーモニクスの社員も何らかの形で参加している[12][13]。また、バンドからオリジナル曲を募集し、その中からゲームに採用する"Be a Guitar Hero"も開かれ、Graveyard BBQの Cheat on the Churchが選ばれた[14]。さらに、オジー・オズボーンのギタリストだったザック・ワイルドのリクエストにより、彼自身のバンドブラック・レーベル・ソサイアティ のFire it Upもボーナス曲として収録され[8]、出荷日直前になってこのゲームの曲目が完成した[5]

開発当初のギターヒーローのグラフィックは『ポン』のようなグラフィックだったが、リードアニメーターのライアン・レッサーが美術スタッフたちの音楽の好みを利用した結果、現在のような形になった。また、FrequencyとAmplitudeの経験から、抽象的な映像ではユーザーがゲームの世界に入り込めないことを制作チームは悟っており、Karaoke Revolutionでも用いられた、ミュージシャンのライブのアニメーションを導入することになった[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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