襲撃機型のキ102乙
用途:襲撃機・戦闘機
設計者:土井武夫、根本毅
キ102は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の襲撃機・戦闘機。非公式通称として四式襲撃機、五式複座戦闘機、五式双発襲撃機などが伝えられているが、公文書上に記録が残るのが五式双[1]であることから、冠称年式は五式だった可能性が高い。連合軍のコードネームはRandy(ランディ)。開発・製造は川崎航空機。設計主務者は土井武夫、根本毅[2]。
甲型・乙型・丙型の3タイプがあり、それぞれ高高度戦闘機、襲撃機、夜間戦闘機として開発された。 1943年(昭和18年)4月に陸軍は、キ45改(二式複座戦闘機「屠龍」)の性能向上型のキ96を試作中の川崎航空機に対して、キ96をベースとした複座の襲撃機の開発を指示した。これがキ102で、同年6月には同じ機体を高高度戦闘機として開発することも指示された。この時に高高度戦闘機型はキ102甲、襲撃機型はキ102乙の試作名称(キ番号)が名付けられた。 川崎では土井武夫技師を設計主務者として設計を開始、1944年(昭和19年)1月に乙型の設計を終え1号機は1944年3月に完成した。甲型は1944年1月に設計開始、同年4月に設計を終了した。6月には搭載エンジンである排気タービン付のハ112-IIルが完成したため、これを増加試作機に搭載して甲型の原型機としてテストを開始した。なお、試作1?3号機は当初の予定では乙型の原型機であったが、甲型の審査を急ぐために甲型の原型機として審査が行なわれた。 襲撃機型(キ102乙)は1944年3月に試作1号機が完成し、試作機3機増加試作機20機が製作され、1944年7月には基本審査が終了し、川崎の明石工場で量産が開始された。本機は基本的にはキ96と同一の機体を複座化したものだったが、エンジンナセルなどがスリムに洗練されたものになっていた。 武装は強力で、機首に57mm機関砲(ホ401)を装備した他、機銃には20mm機関砲(ホ5・二式二十粍固定機関砲)2門と12.7mm旋回機関砲(ホ103・一式十二・七粍固定機関砲)1門を装備し、爆弾は500kgまで搭載できた。基本性能は概ね良好だったが、部隊配備後、離陸滑走時に方向安定不良になることが指摘された。これについては、尾輪柱を100mm延長することで応急的に対処した。本格的な対処としては胴体を延長することが計画されていたが、終戦まで実施されなかった。 本機は制式名称こそ付けられなかったが[3][4]相当数が襲撃機として第一線の飛行戦隊などの実戦部隊に配備された。だがこれらの部隊では上級司令部の命令により本土決戦に備え機体を温存していたため、一部が実戦に参加した以外は使用されなかった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}これらの部隊の中では、本機を四式襲撃機と呼称していた部隊もあった。[要出典]また、1945年(昭和20年)6月頃からは、一向に実用化の目処がたたない甲型を補う形で、重武装を生かした防空戦闘機として使用された。
開発
キ102乙