キーフ・ハートリー
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キーフ・ハートリー
Keef Hartley
出生名Keith Hartley
生誕 (1944-04-08)
1944年4月8日
出身地 イングランド ランカシャー州プレストン・プランジントン
死没 (2011-11-26) 2011年11月26日(67歳没)
ジャンルブルースブルース・ロック
職業ミュージシャン
担当楽器ドラム
レーベルデラム・レコード
共同作業者キーフ・ハートリー・バンド、ジョン・メイオール

キーフ・ハートリー[1](Keef Hartley、1944年4月8日 - 2011年11月26日[2]は、イングランドのドラマー、バンドリーダー。キーフ・ハートリー・バンドまたはキーフ・ハートリー・ビッグ・バンドとして知られる自身のバンドでフロントに立ち、ウッドストックで演奏した[3]。後にドッグ・ソルジャーのメンバーを務め、ロリー・ストーム、ジ・アートウッズ、ジョン・メイオールと様々な仕事をした[2]
略歴

キース・ハートリーは、ランカシャー州プレストン北西部のプランジントンで生まれた[4]。彼は、フィル・コリンズにドラムの基礎(ルーディメンツ)を教えたロイド・ライアンの下でドラムを学んだ[5]。彼のキャリアは、リバプールを拠点とするバンド、ロリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズのドラマーとなり始まった。これは、ビートルズに加入したリンゴ・スターの後任であった[4]。その後、ジ・アートウッズで演奏と録音を行い、ジョン・メイオールのドラマー[4]として名声を博した(メイオール以外の唯一のミュージシャンとして、メイオールの1967年の「ソロ」レコード『ブルース・アローン』で演奏したことを含む[6])。その後、キーフ・ハートリー・(ビッグ)・バンドを結成し、ジャズブルースロックンロールの要素をミックスしていった。グループは1969年にウッドストックで演奏[4]。しかし、バンドはフェスティバルにおいて演奏を行ったものの、そのセットは公式にリリースされたアルバム(2019年以前)にも映画のサウンドトラックにも含まれていなかった唯一のアーティストとなった。

彼らは、『ハーフブリッド』、『戦闘』(「Vancouver Sun」紙の評論家は「驚異的な妙技の展示」と評した[7])を含む5枚のアルバムをリリースした。

ジョン・メイオールのバンド在籍時、メイオールはハートリーに自分のグループを結成するよう勧めていた。ハートリーの「発砲」のモックアップは、アルバム『ハーフブリッド』のオープニング曲「Sacked」で聞かれた[4]。ファースト・アルバムのバンドは以下の構成であった。ミラー・アンダーソン(ギター、ボーカル)、ゲイリー・セイン(ベース、後にユーライア・ヒープ)、ピーター・ダインズ(オルガン)、イアン・クルックシャンク(スピット・ジェームス名義、ギター)[4]。その後、ハートリーの流動的なラインナップに加わったメンバーには、ミック・ウィーヴァー(別名ウィンダー・K・フロッグ、オルガン)、ヘンリー・ロウサー(1941年7月11日生、イギリス・レスター出身、トランペット/ヴァイオリン)、ジミー・ジュエル(サクソフォーン)、ジョニー・アーモンド(フルート)、ジョン・ハイズマンハリー・ベケットらがいる[4]。ハートリーはしばしばアメリカ・インディアンの格好をし、時には完全なヘッドドレスを着用しウォーペイントをして、小さなクラブ・シーンにおける人気のアトラクションとなった[4]。1969年のアルバム『戦闘』は、彼のクラブでの評判をさらに高めたが、チャートにおける成功はまだつかめずにいた。サード・アルバムまでにロウザーとジュエルは脱退した[4]

その後、ハートリーはソロ・アルバム (『ランカシャー・ハスラー』、1973年) をリリースし、ミラー・アンダーソン (ギター)、ポール・ブリス (ベース)、デレク・グリフィス (ギター)、メル・シンプソン (キーボード) と共にドッグ・ソルジャーを結成した。彼らは1975年に同名アルバムをリリース。2011年初頭にエソテリック・レーベルからCDでリマスター盤がリリースされた。

2007年、ハートリーはゴーストライターによる自伝『Halfbreed (A Rock and Roll Journey That Happened Against All the Odds)』を出版した[8]。ハートリーは、プレストンで育った自身の人生と、ウッドストックでのキーフ・ハートリー・バンド出演時の話を含む、ドラマーおよびバンドリーダーとしてのキャリアについて書いている。

ハートリーは、2011年11月26日、プレストン北部のフルウッドにあるロイヤル・プレストン病院にて、手術の合併症により[9]67歳で死亡した[2][3]
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム

『ランカシャー・ハスラー』 - Lancashire Hustler (1973年)

キーフ・ハートリー・バンド

『ハーフブリッド』 - Halfbreed (1969年)

『戦闘』 - The Battle of North West Six (1969年)

『ザ・タイム・イズ・ニアー』 - The Time Is Near (August 1970年) ※
全英41位[10]

『オーヴァードッグ』 - Overdog (April 1971年)

『リトル・ビッグ・バンド』 - Little Big Band (1971年) ※マーキー・クラブでのライブ

『72人目の勇者』 - Seventy-Second Brave (1972年)

『ノット・フーリッシュ・ノット・ワイズ』 - Not Foolish Not Wise (1999年) ※1968年?1972年スタジオ+ライブ録音

ドッグ・ソルジャー

『ドッグ・ソルジャー登場』 - Dog Soldier (1975年)

参加アルバム

ジョン・メイオール

『革命』 - Crusade (1967年)

『ブルース・アローン』 - The Blues Alone (1967年)

『ブルース・バンドの日記 VOL.1』 - The Diary of a Band - Volume One (1968年) ※ライブ

『ブルース・バンドの日記 VOL.2』 - The Diary of a Band - Volume Two (1968年) ※ライブ

Live in Europe (1971年)

『バック・トゥ・ザ・ルーツ』 - Back to the Roots (1971年) ※数曲のみ

『ムーヴィング・オン』 - Moving On (1973年) ※ライブ

『テン・イヤーズ・アー・ゴーン』 - Ten Years Are Gone (1973年) ※スタジオ+ライブ

ヴィネガー・ジョー

『ロックン・ロール・ジプシーズ』 - Rock'n Roll Gypsies (1972年)

脚注[脚注の使い方]^ 「キーフ・ハートレー」「キーフ・ハートレイ」の表記もある。
^ a b cThedeadrockstarsclub.com Archived 18 August 2015 at the Wayback Machine.
^ a b “Preston drummer who played at Woodstock dies aged 67”. Lancashire Evening Post. (2011年12月1日). ⇒オリジナルの2011年12月5日時点におけるアーカイブ。


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