キートン山田
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きーとん やまだ
キートン 山田
プロフィール
本名山田 俊司
[1][2]
(やまだ しゅんじ)[3][4][5]
性別男性
出生地 日本北海道空知郡北村(現・岩見沢市[5]
出身地 日本北海道勇払郡穂別町(現・むかわ町[5]三笠市[6]
生年月日 (1945-10-25) 1945年10月25日(78歳)
血液型A型[7]
職業声優俳優ナレーター[8]
事務所リマックス(最終所属)[9]
配偶者あり
公式サイトキートン山田|+-- REMAX --+(アーカイブ)
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重176 cm / ― kg
スリーサイズ95 - 82 - 89 cm
靴のサイズ26.5 cm

声優活動
活動期間1970年代 - 2021年
ジャンルアニメ吹き替えナレーションCM
デビュー作タイガーマスク[要出典]
俳優活動
ジャンルテレビドラマ舞台
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

キートン 山田(キートン やまだ、1945年10月25日[10][11] - )は、日本の元声優俳優ナレーター[8]

北海道出身。本名および旧芸名は山田 俊司(やまだ しゅんじ)[1][3][4]。最終所属はリマックス[9]
経歴
声優・俳優になるまで

1945年、北海道空知郡北村(現在の岩見沢市)で誕生し、4歳で養子になり勇払郡穂別町(現在のむかわ町)へ引っ越す[5]。一時生家に戻った後、中学3年生で三笠市に移住[5][6]

1963年北海道三笠高等学校卒業[12]後、就職のため上京、建設会社に就職しサラリーマン生活を始める[13][14]。しかし、「一生この会社にいるのかな?」と思い、「ほかに何か自分に向いている道があるのでは」と半年くらい考えていたという[13][14]。同時に「劇団員募集」の広告を見つけて、憧れだった俳優も目指して日本児童芸能学園を経て[4]劇団日本児童[15][16]に入る[13][14]。子供の頃に映画を観て「面白いな」と思っていたことはあったが、「役者になるんだ」という強い意志は持っていなかったという[14]。もしそこで入団オーディションに落選していたら、断念していたと語っている[14]

サラリーマンと俳優の掛け持ちを4年間続けた後、22歳くらいの時に退職して役者に専念するようになる[13][14]。それまで昼間は会社、夜は劇団という生活を続けてきたという[14]。しかし劇団の公演があると夜だけの活動というわけにはいけず、その時は会社を休んだり、誰かに仕事を代わってもらったりしていたという[14]。そういうことも次第にしづらくなっていたため、思い切って退職したという[14]。親にはものすごく猛反対され、黙って会社を退職しまっていたため、僕を連れ戻すために伯父が上京してきたくらいだったという[14]。しかし辞める気はなく、夢に破れて地元に帰って「ほら見たことか」と言われるのが悔しく、「とにかく一人前の役者になろう」と余計にのめり込んでいたという[14]
キャリア

アルバイトをしながら役者生活をしていた中、アルバイト先のスナックの店主と知り合いで常連だった柴田秀勝から「声専門のプロダクションができるから」と紹介され、創立したばかりの青二プロダクションに預かりで所属となった[13][14]。所属事務所はその後、ぷろだくしょんバオバブ[17][18]賢プロダクション[3]→リマックスと変遷。バオバブ所属者の劇団であるすごろくにも所属していた[19]。第二次アニメブームの昭和50年代(1970年代後半から1980年代前半)には声優業が中心になり、一番ファンの人に知られたのは『ゲッターロボ』の神隼人の役だと雑誌のインタビューで答えている[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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