キンベレラ
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キンベレラ
生息年代:
エディアカラ紀 558?555 Ma Pre??OSDCPTJKPgN
化石
分類

:動物界 Animalia
亜界:真正後生動物 Eumetazoa
階級なし:左右相称動物 Bilateria
:軟体動物門? Mollusca?
:Kimberella
Wade, 1972[1]
:K. quadrata
Glaessner & Wade, 1966[2]

シノニム

Kimberia quadrata
Glaessner & Wade, 1966[2]

キンベレラ (Kimberella) は、エディアカラ紀に繁栄したエディアカラ生物群に含まれる生物の1種。長い吻で堆積物をひっかいていたとされる。体長は数センチメートル。原始的な軟体動物である可能性が高いとされる。

オーストラリアのエディアカラの丘で最初に発見された。最近の調査では白海地域で大量に発見されており、年代は5億5800万年前-5億5500万年前と推定されている。他のエディアカラ生物群のように、その系統的位置は議論の的となっている。最初はクラゲとされたが、歯舌で引っ掻いた痕のような生痕化石が発見されたことで、現在はおそらく軟体動物とされている。

また、この生物の系統的位置はカンブリア爆発の解釈に大きな影響を与える。
命名想像図

属名は収集家の John Kimber に由来する。属名は最初 Kimberia とされたが[2]、Dr. N. H. Ludbrook により、この名はキリガイダマシ属 (Turritella) の亜属 (Kimberia Cotton & Woods, 1935) として使用されていることが指摘された。このため、1972年に Mary Wade により Kimberella という名に変更された[1]
産地

オーストラリアのエディアカラの丘[3]白海地域のウスチ=ピネガ累層から産出する。白海ではトリブラキディウム Tribrachidium・ディッキンソニア Dickinsoniaなどのエディアカラ生物群、蛇行した生痕化石藻類などと共に産する。この地層を挟む火山灰層に含まれるジルコンウラン・鉛年代測定法を適用することによって、この層の年代は 555.3 ± 0.3 Ma から 558 Ma の間であることが分かった[4]。また、火山灰層の上下からも本種の化石は見つかっている[5]。エディアカラの丘の化石に関しては、正確な年代は不明である。
保存状態

化石は主に、砂層下の粘土層の上部に保存されている[6]。全ての化石は基盤に埋まっており、堆積物の圧力で破壊されない程度には頑丈だったと見られている。軟体部が腐敗した後に泥が進入し、生物の形を残すに至ったと考られる[5]

ほとんどの標本は急速な堆積によって海水から隔離されることで保存された。また、生物の腐敗によって発生した物質が、周囲の堆積物を強化した可能性も考えられる[5]。分泌された粘液によって保護されていたという主張もあるが[5]、実験では粘液はすぐに分解してしまうことが示されている[7]
形態復元図の変遷:左から、
* M. Wade, 1972[1] - 箱虫綱 * M.A. Fedonkin, B. Waggoner, 1997,[8] M.A. Fedonkin, 2001 - 軟らかい殻、大きな足を持つ軟体動物様生物 * M.A. Fedonkin, A. Simonetta, A.Y. Ivantsov, 2007[5] - 軟らかい殻、鉤爪の付いた吻を持つ軟体動物様生物 * R. J. F. Jenkins, 1992[9] - 生痕化石の作り手としての仮説的三葉虫類 * A.Y. Ivantsov, 2009[6] - 完全な殻がなく、口に細かい石灰質の歯が並んだ生物化石の一部。モジュール構造が確認できる。

白海地域のきめ細かい砂岩層からは、様々な成長段階からなる1,000以上の標本が得られている[5][6]。保存状態が良いため、形態や内部構造、運動や摂餌方式に関する様々な情報を得ることができた[5]

化石は楕円形で、前後軸方向に長い[6]刺胞動物クラゲイソギンチャクヒドロ虫など)に特徴的な放射相称の体制は見られず、左右相称的な特徴を示していた。クラゲとされていたオーストラリアの化石からも、左右相称的な特徴は確認できる[8]

背面には"殻"があったと見られ、大型個体では長さ15 センチメートル・幅5 - 7 センチメートル・高さ3 - 4 センチメートルに達している [10]。最小個体では長さ2 - 3 mmであった[5]。"殻"は石灰化しておらず、成長とともに大きく丈夫になったようである[5]。折り畳まれたり、引き伸ばされたりした標本もあることからすると、この殻は硬いが柔軟性があり、おそらく骨片のような構造の集合体であったと思われる[6]。殻の一端には鞍型の部分があり、こちらが前であったと推測される[8][10]。幾つかの標本では殻の内側に横紋が観察され、これは筋肉の付着痕と思われる[5]。同じような模様が殻の縁にも見られ、足を殻に引き込むための筋肉があったのかもしれない[5]

殻の中央は盛り上がる。体節は確認できないが、それに似たモジュール構造がある。各モジュールには背面から腹面に向かう筋肉と腹足を横断する筋肉があり、この組み合わせによって移動していたと考えられる[8][10]

体の周囲には褶を持ち、これは呼吸器系の一部としてに似た機能を果たしたと考えられる。褶は体の周囲に広く伸びており、鰓としての機能が不十分なため大きな表面積が必要だったということを示すものかもしれない。また、天敵がいなかったため、殻の機能は主に筋肉が付着する基盤としてのものだったという解釈も可能である[10]
生態

穏やかで酸素に富む浅瀬(10 m以浅)を動き回り、バイオフィルムを摂食していたと考えられる。ヨルギアディッキンソニアトリブラキディウムカルニオディスクスなどの化石が共に見つかるため、おそらくこれらの生物と共存していたのだろう[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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