キングヘイロー
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キングヘイロー
1997年10月5日 新馬戦ゴール前
欧字表記King Halo
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕 (1995-04-28) 1995年4月28日
死没2019年3月19日(24歳没)
登録日1997年6月26日
抹消日2001年1月11日
ダンシングブレーヴ
グッバイヘイロー
母の父Halo
生国 日本北海道新冠町
生産者協和牧場
馬主浅川吉男
調教師坂口正大栗東
調教助手福留健一
厩務員時岡和幸
競走成績
生涯成績27戦6勝
獲得賞金5億26万6000円

勝ち鞍

GI高松宮記念2000年
GII中山記念1999年
GIII東京スポーツ杯3歳S1997年
GIII東京新聞杯1999年


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キングヘイロー(欧字名:King Halo、1995年4月28日 - 2019年3月19日)は、かつてJRAに所属した競走馬。主な勝ち鞍は2000年の高松宮記念などで、引退後は種牡馬としても優秀な成績を収めた。
競走馬時代

以下、年齢は旧表記で統一する。
3歳時

父は80年代ヨーロッパ最強の声も高いダンシングブレーヴ、母がケンタッキーオークスなどアメリカG1を7勝した名牝グッバイヘイローという世界的な良血馬であり、相当の期待馬であった。福永祐一の回想によれば、元々デビュー戦で騎乗予定だった武豊毎日王冠に出走予定のジェニュインの騎乗依頼を受け、調教師坂口正大に断りの電話をかけた際に、その場にたまたま福永がいたため「乗る?」という一言で騎乗が決まった。デビューから4歳までは1戦を除き、デビュー2年目の福永が手綱を取った。

デビュー戦、黄菊賞と2連勝で重賞東京スポーツ杯3歳ステークスへ駒を進めると、2着のマイネルラヴに2馬身半の差をつけ、無傷の3連勝を飾った。鞍上の福永にとっても初めての中央の重賞勝ちであった。暮れのラジオたんぱ杯3歳ステークスでは断然の1番人気に推されたが、最後の直線でロードアックスに差されて2着となった。
4歳時

1998年、春初戦は皐月賞トライアル弥生賞となった。ここでも引き続き1番人気となったが、ジュニアカップを圧勝してきたセイウンスカイの逃げを捉えきれず、またきさらぎ賞勝利で真価を発揮したスペシャルウィークにも歯が立たず、2頭から4馬身離された3着に終わった。評価を落とした皐月賞ではスペシャルウィークを抑えこみ猛然と追い詰めたが、逃げたセイウンスカイを捉えることが出来ず2着。続く日本ダービーでは逃げを打ち、当時史上2番目にあたるハイペースとなり直線で失速、14着と大敗した。

秋に入り神戸新聞杯岡部幸雄に乗り変わったものの、ボールドエンペラーとの叩き合いとなり3着に敗れた。続く京都新聞杯はスペシャルウィークを苦しめたがクビ差2着となった。その後菊花賞で5着、有馬記念で6着と距離が伸びたGI2競走は良いところがなかった。
5歳時

1999年は年明け早々から柴田善臣騎乗で東京新聞杯中山記念と重賞を連勝した。タイキシャトルの抜けたマイル路線の中心的存在と期待されたが、3ヶ月ぶりの安田記念は11着に沈み、宝塚記念も8着とふるわなかった。秋初戦の毎日王冠横山典弘が騎乗したが5着、天皇賞(秋)も柴田善臣が騎乗したが7着とふるわなかったため、マイルチャンピオンシップでは鞍上を福永祐一に戻した。この際の騎乗にあたって、福永は頭を丸めて臨むという気合の入れようだった。だが、レースでは武豊騎乗のブラックホークをかわすも、春秋マイルGI制覇を達成したエアジハードの横綱相撲の前に2着に敗れた。続くスプリンターズステークスでも福永が乗ったが、ブラックホーク、アグネスワールドを捕まえきれず、3着と勝ち切れなかった。
6歳時

2000年の初戦は初ダートフェブラリーステークスだった。血統的背景、新境地開拓の意味でも期待されて、1番人気に推された。しかし、レースでは砂をかぶりやすい1枠に入ったため全く動かず、終始後方のまま13着と惨敗した。調教師の坂口は批判を浴びたが、本馬に「GIタイトルを」という意志は揺るがなかった。次の高松宮記念は再び柴田善臣が騎乗し、直線で粘っていたブラックホーク、アグネスワールドなどのスプリンターを大外からゴール直前で差し切って、悲願のGI初制覇を成し遂げた。坂口はこの勝利に人目もはばからず涙した。なお、このレースで2着になったディヴァインライトに騎乗していたのは福永であった。

高松宮記念後、福永の騎乗で安田記念に挑み、日本馬最先着の3着に入った。秋になると、鞍上を柴田善臣に戻したが、スプリンターズステークス7着、マイルチャンピオンシップ7着、と目立った活躍をすることは出来なかったが、引退レースとなった有馬記念では後方から追い込んで4着と健闘した。

GIレースの中で唯一勝利したレースは結果的に短距離走の高松宮記念のみであったが、後述の競走成績から見て取れるようにマイル戦、中距離走、長距離走に至るまで、距離を問わず善戦することもあれば、同等距離の別レースで大敗することもあるという距離適性だけでは語れない実績を残し、現役競走馬生活のピリオドを打つこととなった。
引退後

2001年優駿スタリオンステーションにて種牡馬入りした。魅力的な血統と100万円前後の手ごろな種付料から、例年100頭を越える繁殖牝馬に恵まれたことが幸いし、2004年ファーストシーズンサイアーランキング5位。初年度産駒のニシノドコマデモがオープンを勝ち、青葉賞2着から日本ダービー6着などの実績をあげた。そして2006年シンザン記念でゴウゴウキリシマが勝利し、産駒初の重賞勝ちをおさめた。また、同年の優駿牝馬(オークス)では、カワカミプリンセスが勝利し、産駒初のGI制覇を達成した。さらに同馬は無敗のまま秋華賞も制し、エリザベス女王杯でも1位入線(進路妨害により12着降着)した。2009年にはローレルゲレイロが高松宮記念を制して、キングヘイロー自身が現役時代に唯一制したGIでも父子制覇を達成している。

現役時代には様々な距離で走っており、産駒は様々なタイプを輩出している。さらに自身と同様に産駒は冬場に強く、夏場に弱い傾向がある。また首の高い走法の産駒も多い。産駒の活躍と共に種付料も上昇し、特にカワカミプリンセスなどが活躍した翌年の2007年度は受胎条件付きで350万円にまでになった。

2010年3月28日に中京競馬場第12競走のJRAプレミアムレースとして開催された「中京サンクスプレミアム」において、当馬が最多得票を獲得したことから「キングヘイローメモリアル」の副名称を付与して施行された。

2019年3月19日に繋養先の北海道新冠町・優駿スタリオンステーションで、老衰のため死亡した[1]。その5日後に開催された第49回高松宮記念では福永祐一ミスターメロディで勝利を収めており、かつてのパートナーに捧げる勝利となった[2]


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