キングス・カレッジ・ロンドン
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King's College London
モットーSancte et sapienter
モットー (英語)"With holiness and wisdom"
種別国立
設立年1829年
総長アン王女ロンドン大学
学務長エド・バーン (en)
職員数5200人
学生総数32,895人
学部生19,200人
大学院生13,690人
所在地 イギリス
イングランドロンドン
スクールカラー

           

Golden Triangle & Russell Group
公式サイト ⇒kcl.ac.uk

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キングス・カレッジ・ロンドン (King's College London、略称KCL)は、イギリスロンドン国立大学ロンドン大学の加盟校である。日本ではロンドン大学キングス・カレッジとも呼ばれる。これまで14名のノーベル賞受賞者を輩出するイングランドでは4番目に古い名門大学である。
概要

1829年にジョージ4世と初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーによって設立されたイングランドで4番目に古い大学である。ロンドンに5つのキャンパスを持つ総合大学で、学生数は3万名ほどで、ロンドン大学のカレッジの中で最大規模を誇る。

フローレンス・ナイチンゲールが本校で世界初の看護学校を設立したことも有名で、その背景もあり医学系の学科、特に看護学や歯学の分野で非常に評価が高く、世界ランキングで常にトップ5に位置している。

また、社会科学の分野においても影響力が強く、国際関係の分野では世界最高峰の大学の一つとして知られている。戦争学部を世界で唯一持つ大学であり、この学部は英国統合軍指揮幕僚課程の一部としても機能しているため、防衛・外交関係の研究機関として高い地位にある。

また本校は日本の私立大学2校のモデルでもある。同校の医学部は高木兼寛によって東京慈恵会医科大学が設立されるモデルとなり、キングス・カレッジ・ロンドン設立時の附属高校であるキングス・カレッジ・スクールは同校を訪れた福沢諭吉によって慶應義塾のモデルとされた。[1][2]

トップ大学グループを示すイギリス版アイビーリーグのゴールデントライアングルの一校、また、ラッセル・グループのメンバーでもある。過去に14名のノーベル賞受賞者を輩出している[3]
歴史

1829年、ジョージ4世の勅令によって設立された。当時、オックスブリッジは男性・イギリス国教徒・貴族出身者のみに入学を許可していた。これに対し「万人に開かれた大学」を実現すべく、哲学者ベンサムが1826年に性、宗教、人種、政治思想による入学差別を撤廃したロンドン・ユニバーシティ(後のユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)を設立した。

しかし、この動きは、既得権益を失う事を恐れたオックスフォード大学、ケンブリッジ大学や聖公会から激しい反発を受けた。ジョージ・ドイリー(英語版)主教は非宗教的な大学の在り方を批判し、公開書簡の中でロンドン市内に対抗する宗教的で聖公会の意図を反映した大学機関の設立を提言した。この書簡に刺激を受けた時の首相ウェリントンは、1828年6月21日のジョージ4世が開いた本件に関する会議の中で議長を務め、大学設立は実現に向かっていった。こうして1829年8月14日のジョージ4世の勅許により、正式な設立となった。ジョージ4世

なお、このようなウェリントンの聖公会やカトリック救済法案への過剰な肩入れは、カトリック教会に対しほとんど完全な市民権を与えることになるとウィンチルシー伯ジョージ・フィンチ=ハットン(英語版)による抗議があり、これは1829年3月21日のバターシー・パークにおける決闘へつながった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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