キルロイ参上
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ワシントンD.C.第二次世界大戦記念碑に見られるキルロイ参上の落書き

キルロイ参上(キルロイさんじょう、Kilroy was here、キルロイ・ワズ・ヒア)は、アメリカ大衆文化などで見られるのひとつ。の向こうから長い鼻を垂らして覗く姿を伴った落書きとして描かれることが多い。その起源は諸説あるが、少なくとも第二次世界大戦の頃にはアメリカの各所で見られた。目次

1 概要

2 発祥の説

2.1 J・J・キルロイ説

2.2 恋人を待つ男説

2.3 レッドソックス・ファン説


3 噂

4 最近の「キルロイ」

5 影響

5.1 小説・詩作

5.2 音楽

5.3 映画・TV・ミュージカル

5.4 漫画・アニメ

5.5 ゲーム

5.6 その他


6 脚注

7 外部リンク

概要

このフレーズはアメリカ軍軍人が配備先や野営地などの壁または適当なところに書いた落書きが広まったとも言われ、 英語ことわざ辞典『Brewer's Dictionary of Phrase and Fable』 は、少なくともイギリスではアメリカの空輸軍団員が用いたと推測している。作家のチャールズ・パナティは「このいたずら感にあふれたツラとフレーズは国民的ジョークになった」と語り、続けて「これのとんでもないところは台詞にあるのではなく、予想外なところにまで現れる奇抜さにある」と述べている。

同じ構図のいたずら書きには、イギリスでは壁の向こうから覗きながら文句を垂れる「チャド」(Chad)と呼ばれるものもある。戦前のオーストラリアでは児童を中心に「キルロイ」の代わりに「フー」 (Foo) が登場したものが流行った。また チリにも同じようなものがあるが、こちらはカエルのような飛び出た眼から「サポ」(sapo、ヒキガエルの意)と呼ばれる。この他にも、カナダでは「クレム」、カリフォルニア限定で「オーバービー」なども見られた。最も流行した「キルロイ」を含めこれらは第二次世界大戦の記憶が薄れた1950年代には廃れたが、フレーズおよび落書きは古典的ミームとして、しばしば用いられることがある。
発祥の説
J・J・キルロイ説

有力な説のひとつに、アメリカの造船所で働いていた検査官「ジェームス・J・キルロイ」が起源というものがある。第二次世界大戦中、彼はマサチューセッツ州クインシーベスレヘム・スチールフォアリバー造船所で、検査したリベットにチョークでつける印としてこのフレーズを用いたと言われる。工員は据付けたリベットの数に比例して賃金が支払われたため、印を消して二度カウントされようとする画策が横行した。キルロイは対抗上消しにくい黄色のクレヨンを用いるようになり、このサインは時が経過してもなかなか消えず残る結果になった。この頃、船は細かな箇所までは塗装されず軍に納品されていたため、特に通常は封鎖された区域などに整備のため立ち入った軍人たちは、殴り書きされた謎の署名を見つけるに至った。その多さと不可解性から、軍の中で「キルロイ」と彼のフレーズは一種の伝説として形成されたと思われる。そして、進駐地や作戦などで到達した場所にこのフレーズを残したと想像されている。 ニューヨーク・タイムズは、1946年頃に船を建造した印としてキルロイが残したサインであるとの記事を掲載した。その根拠として、封鎖区画など後に落書きをしようとする輩が決して立ち入ることが出来ない場所にあることを強調し、誰かに見せる目的で記したものではないと説明した。

1946年、アメリカの運輸会社が「キルロイ」なる人物を見つけた者に路面電車1台を賞品として探すイベントを開催した。J・J・キルロイは職場の同僚にかつぎ出されて名乗り出たが、応募した他の40人ともども本物の「キルロイ」と証明する術は彼には無かった。それでも賞を授与されたが、J・J・キルロイはたまたま家の前で遊んでいた9人の子供たちに賞品を譲り渡した。[1]

Michael Quinion はこの「キルロイ」のフレーズと、別な発祥を持つ「チャド」の落書きが混ざり合い、現在多く用いられる図柄になったと主張している[2]。この「チャド」は出典がはっきりしており、第二次世界大戦前のイギリスの漫画家、ジョージ・エドワード・チャタトンによる創作とみなされている。戦争中の物資や配給不足を皮肉り、壁の向こうから「なんでまた…が無いの?」「一体…はどこに?」[3]とつぶやく図はイギリスでは広く知れ渡ったものだった。戦後の1950?60年代には広告に用いられる例もあり、屋内トイレ設置工事のポスターに「なんでまた家の中にトイレが無いの?」というコピーとともに使われたりもした。

この異説としては第二次大戦中のデトロイトにあった弾薬製造所に勤めたキルロイが、やはり完成した爆弾にこのセリフを書き込み、これが戦争中に広まったというものもある。[4]
恋人を待つ男説

やはり第二次大戦時を舞台に、ボストンの造船所で働くアイルランド人のキルロイを起源とする説がある。J・J・キルロイと同じくリベットの点検職に就いていた彼のところにも召集令状が届いた。彼は毎夜馴染みのレストランで恋人と会い、時に妖精伝説などを語らい合いながら残された時間を大切に過ごした。そしてついに軍隊に召集される前夜、キルロイは恋人にプロポーズする決意を固めてレストランで待っていた。ところが、いつまで経っても彼女は姿を現さない。幾許かの時間が過ぎ、じっと待っていた彼はレストランの主人の許しを得て、いつものテーブルにリベットで「Kilroy was here(キルロイはここにいたよ)」とのメッセージと、彼女お気に入りだった長鼻を持つ妖精の絵を刻み込むと、ひとり立ち去った。この頃のボストンには戦地に赴く兵士や軍の関係者が多く滞在しており、このメッセージは彼らに強く印象づけられ広まったものと思われている。

なおキルロイは無事に帰国することができた。懐かしいレストランに現れた彼を見て、店の主人は恋人に連絡を取り、ふたりは再会した。あの夜、彼女は不測の交通事故で入院してしまいレストランに来られなかったのだった。キルロイのメッセージは恋人にしっかりと伝わっており、彼女は彼の帰還をずっと待っていた。[5]

なお、この項の「伝説」は日本人による創作であり現地に伝わる伝説ではない。造り上げたのは医師で、宇宙飛行士向井千秋の夫である向井万起男。造り上げネット上に掲載されるまでの経緯は著書「謎の1セント硬貨真実は細部に宿るinUSA」に詳述されている。
レッドソックス・ファン説 シャルル・ド・ゴール

これは壁の向こうから野球の試合を観戦する男性がモデルだとする説である。長鼻が特徴的なボストン在住のキルロイは大のレッドソックスファンで、学校を抜け出してはフェンウェイパークレフトスタンド側の壁越しに試合を観戦していた。そんな彼も軍に召集され、砲撃手となった。ノルマンディー上陸作戦で彼の部隊がフランスに赴任したとき、そのシャルル・ド・ゴールばりの鼻がドワイト・D・アイゼンハワー最高司令官の目に止まった。フランス軍服を着た数人の兵士と張り子の本部の真ん中に、ひときわ立派なフランス人司令官然とキルロイはポーズを取り、敵のスパイをひきつけた。ドイツ軍はこのニセモノにも戦力を振り分け、手薄となったところを連合軍本体が攻め入り、作戦は成功を収めた。本物のシャルル・ド・ゴールとの面会を文字通り鼻と鼻を突き合わせるかのように済ませ、キルロイは部隊に戻った。仲間たちは攻撃されればひとたまりもなかっただろうキルロイを案じ、そこいらじゅうに「Kilroy was here」の殴り書きをしていた。戦後退役した彼は、愛するレッドソックスをグリーンモンスターの上から眺めながら応援し続けた。[6]

「キルロイ」に関しては第二次世界大戦にからんだ様々な都市伝説がある。ドイツ情報機関によってアメリカ軍捕虜の装備の中から頻繁に見つかったため、どんなところにでも容易に入り込む超人的な連合軍のスパイだとアドルフ・ヒトラーは信じていたという[1]。また、ポツダム会議に臨んだスターリンは、控えに設置された専用の屋外トイレに最初に入り、用を足して出てきて一言「キルロイって誰だ?」と補佐官に聞いたともいう。


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