この項目では、2007年7月1日以降のキリンホールディングスについて説明しています。2007年6月30日以前のキリンホールディングスについては「麒麟麦酒」をご覧ください。
キリンホールディングス株式会社
Kirin Holdings Company, Limited
本社のある中野セントラルパークサウス
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 2503
キリンホールディングス株式会社(英: Kirin Holdings Company, Limited[4])は、ビールメーカーのキリンビール、清涼飲料水メーカーのキリンビバレッジなどを傘下を持つ、キリングループの持株会社(ホールディングカンパニー)である。三菱グループの一員であり、三菱金曜会[5] 及び三菱広報委員会[6] の会員企業である[7][8]。東京証券取引所プライム上場。日経平均株価およびTOPIX Large70、JPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ[9][10][11]。 1870年、ノルウェー系アメリカ
概要
その後、日本初のビアガーデンの開業、経営破綻(工場の一時閉鎖)、トーマス・ブレーク・グラバーや岩崎弥之助らによる企業再建(「ジャパン・ブルワリー(二代目)」を設立)などの変遷を経て、1907年に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足し、第二次世界大戦後は、国内ビールのシェアの首位を獲得した。アサヒビールのスーパードライの台頭までは、継続的に首位を守っていた。2016年現在は、アサヒビールに首位を譲っているが、創業以来の独特の苦みとコクを売りにしたビールの固定ファンの存在と、新商品の投入合戦で、熾烈なシェア争奪戦を繰り広げている。ただし、最近はビールや低アルコール飲料の新商品を大量投入しており、ビール系飲料のラインナップ数とビール系飲料以外も含めた酒類の販売高は業界一となっている。
近年は、酒類事業とバイオ事業を基軸にした総合企業を標榜し、永昌源との業務・資本提携、武田薬品から調味料事業を買収する(後のMCフードスペシャリティーズ、現・三菱商事ライフサイエンス)などの多角化を行い、2007年7月1日、それまでの事業持株会社から、純粋持株会社へ移行し、キリンホールディングスと社名変更した。なお、2007年6月30日までの「キリンホールディングス株式会社」は、持株会社の準備会社(企画部門)として設立された会社であり、2007年7月1日に麒麟麦酒株式会社(旧)が担っている国内での酒類の製造・販売事業を引き受け、事業会社として「麒麟麦酒株式会社(新)」と社名変更している。逆に、麒麟麦酒株式会社は「キリンホールディングス株式会社(新)」と社名変更し、純粋持株会社へ移行している。
それと前後して、会社分割を行い、事業子会社として、国内酒類事業会社の麒麟麦酒(旧・キリンホールディングス)、医薬品事業会社のキリンファーマ(現・協和発酵キリン→協和キリン)、経理・人事など間接業務を取りまとめる会社のキリンビジネスエキスパートなどを設立した。また、2006年10月1日に飲料事業を担当するキリンビバレッジを完全子会社化し、同年12月にメルシャンを友好的な株式公開買い付け(TOB)によって子会社化し、2007年4月1日からは、メルシャンとの営業の共同展開を開始した。また、RTD(低アルコール飲料)・焼酎などの研究開発機能をキリン醸造研究所に集約した。2007年7月1日からは、RTD、焼酎、梅酒、洋酒(一部商品を除く)、合成清酒の販売を麒麟麦酒へ移管し、逆に麒麟麦酒のワイン販売事業をメルシャンへ移管した。物流部門ではメルシャンから移管を受けたRTDは麒麟麦酒の物流網(キリン物流、2016年現在はキリン株式会社傘下のキリングループロジスティクス)に統合し、ワイン、梅酒、洋酒、中国酒、合成清酒はメルシャン物流網に統合した。なお、メルシャンからキリンへ移管された商品のブランド名は、順次メルシャンからキリンへ変更されている。
2009年7月13日、複数のマスメディアにより、サントリーホールディングスとの経営統合に向け交渉している事が報道された[12][13]。狙いは日本が市場として縮小する中で、海外に商機を拡大するのが目的とされている。しかし統合比率などで両社の隔たりが大きすぎたことから、2010年2月8日に交渉中止を発表した[14]。
2013年1月1日に、国内での飲料事業を統括するための新会社として、キリン株式会社が設立(キリングループオフィス株式会社の事業内容と社名を変更)され、主要子会社である麒麟麦酒株式会社、キリンビバレッジ株式会社、メルシャン株式会社の全株式を同社に移管した。さらに2019年7月1日にキリン株式会社はキリンホールディングスに吸収合併されている。
2019年2月5日、取締役会を開き、孫会社にあたる協和発酵バイオの子会社化を決定した。子会社の協和発酵キリン(現・協和キリン)から、株式95%を約1280億円で取得する[15]。
沿革
1870年 - スプリング・バレー・ブルワリー開設。
1907年 - 麒麟麦酒株式会社設立。
1923年 - 東洋醸造株式会社を合併。
1933年 - 販売協定を結ぶため「麦酒共同販売会社」を設立。
1941年
8月 - 原酉自動車運輸株式会社(現・キリングループロジスティクス株式会社)設立。
10月 - 有限会社麟鳳商会(現・キリンエコー株式会社)設立。
1963年 - 自動販売サービス株式会社(現・キリンビバレッジ株式会社)設立。
1965年 - 本店を東京都中央区京橋に移転。
1972年 - キリン・シーグラム株式会社(現・キリンディスティラリー株式会社)設立。
1976年 - 小岩井農牧社(三菱グループ)との共同出資で「小岩井乳業株式会社」設立。
1977年 - 本店を東京都渋谷区神宮前に移転。
1995年 - 本社を東京都中央区新川に移転
2007年
7月1日 - 麒麟麦酒株式会社をキリンホールディングスに商号変更し、純粋持株会社に移行。
持株会社の準備会社として運営されていた旧・キリンホールディングスを事業子会社の麒麟麦酒株式会社(新)に商号変更。国内酒類事業(ビール系飲料、RTD)を同社に移管し、さらに、子会社のメルシャンからは、RTD、焼酎、梅酒、洋酒(一部商品を除く)、合成清酒の販売が麒麟麦酒株式会社(新)に移管され、逆に麒麟麦酒株式会社(旧)のワイン販売事業をメルシャンへ移管した。
10月22日 - 協和?酵工業の友好的買収を公表。TOBと傘下の医薬品事業子会社キリンファーマとの統合により、協和?酵工業を子会社化する。
12月28日 - 豪州最大手の乳製品・果汁飲料会社ナショナルフーズ社を、現地法人を介して買収・完全子会社化。
2008年4月1日 - 協和?酵工業が株式交換によりキリンファーマを完全子会社化、協和?酵工業を連結子会社とする。
2009年
4月1日 - キリンヤクルトネクストステージをヤクルトに完全移管(株式売却)し「ヤクルトヘルスフーズ」となりグループから離脱する。協和発酵フーズ株式会社とキリンフードテック株式会社が合併し、「キリン協和フーズ株式会社」が発足。
5月22日 - フィリピン・サンミゲル社の全保有株式(約20%)を売却。代わってサンミゲルのビール事業をスピンオフしたサンミゲルビール社の株式約48%を取得し連結子会社化。
10月21日 - 1998年から出資していた豪州ビール大手ライオンネイサン社の全株式を取得・完全子会社化。23日にはナショナルフーズを傘下に置く現地法人に株式を譲渡。
2011年11月4日 - ブラジルのビール大手スキンカリオール(後のブラジルキリン → ハイネケンブラジル)を完全子会社化すると発表。
2013年
1月1日 - 麒麟麦酒・キリンビバレッジ・メルシャン3社の全株式を子会社のキリングループオフィス(旧・キリンビジネスエキスパート)に譲渡、キリングループオフィスは「キリン株式会社」に商号変更。また信州ビバレッジをキリンビバレッジに譲渡。
4月・5月 - グループ会社を含め本社機能を東京都中野区の中野新都心地区(中野四季の都市)にある「中野セントラルパークサウス」に移転[16]。
2015年
12月期の決算で、ブラジル子会社で1100億円の減損が発生し、上場来初の赤字(473億円)決算となった[17]。
2017年 - ミャンマーのビール大手、マンダレー・ブルワリーの買収を発表。同時にブラジルキリンの全株式をオランダのハイネケングループに売却。
2019年
2月5日 - 孫会社にあたる協和発酵バイオの子会社化[15]。
7月1日 - 中間持株会社のキリン株式会社を吸収合併し、麒麟麦酒・キリンビバレッジ・メルシャンの3社を直接子会社化[18]。