キリバス語
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キリバス語
ギルバート語
Te taetae ni kiribati
話される国
キリバス
フィジー
マーシャル諸島
ナウル
ソロモン諸島
ツバル
バヌアツ
話者数120,000人
言語系統オーストロネシア語族

マレー・ポリネシア語派

大洋州諸語

ミクロネシア諸語

中核ミクロネシア諸語

中央ミクロネシア諸語

キリバス語






表記体系ラテン文字
公的地位
公用語 キリバス
統制機関Kiribati Language Board
言語コード
ISO 639-2gil
ISO 639-3gil
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キリバス語(キリバスご、またはギルバート語、キリバス語: Te taetae ni kiribati)は、オーストロネシア語族マレー・ポリネシア語派大洋州諸語ミクロネシア諸語に属するVOS型言語である。主にギルバート諸島キリバス)で話されるほか、フィジーマーシャル諸島ナウルソロモン諸島ツバルバヌアツといった周辺のミクロネシア、ポリネシア諸国でも話されている。

キリバス語は英語とともにキリバス共和国の公用語に定められており、これは1979年7月12日の憲法(第127条)で実質的に認められている[1][2]
概要

言語名にもなっているキリバス(Kiribati)という名称は、1788年にキリバスの島々を通過したトマス・ギルバートに由来しており、ヨーロッパ人の一般的な名前である「ギルバート(Gilbert)」をキリバス語読みしたものである。キリバス語の ti は歯擦化して語末では「ス」のように発音されるので、Kiribatiは「キリバティ」ではなく「キリバス」となる。

正式名称は te taetae ni Kiribati(キリバス語)だが、一般名は te taetae n aomata(民衆の言語)である。

ISO 639による言語コードはgilである。2字の言語コードは定められていない。
歴史

ギルバート諸島のいくつかの島々は当初、1765年にニクナウで船に乗ったジョン・バイロンを始めとしたヨーロッパ人よって、キングスミル(Kingsmill)またはキングスミル諸島(Kings Mill Islands)[3]と名付けられていた。しかし、1788年にジョン・マーシャルとともにこれらの島々を通過したトマス・ギルバートにちなみ、1820年にアダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンによってフランス語で「ギルバート島(le iles Gilbert)」と改名された。1820年代に捕鯨や石油取引をきっかけとしてヨーロッパ人や中国人が頻繁にこの島を訪れていたため、キリバス語はヨーロッパ人に学習されるようになった。

1845年にコルベット艦ル・ライン号はギルバート諸島のタビテウエア近くにあるクリア環礁に漂着した。この軍艦に乗っていた補助外科医によって、1847年に『Revue coloniale』(フランス語)においてキリバス語の語彙リストが初めて出版された。その後、1860年代にヒラム・ビンガム2世(英語版)がアベイアンで宣教活動を開始した頃に、現在の正書法が用いられ始めた。ビンガムはキリスト教聖書をキリバス語に翻訳した最初の人物であり、その他にも数冊の賛美歌集、辞書、解説書を執筆した[4]

キリバス語に関する包括的な記述は、カトリックの司祭であるエルネスト・サバティエ(フランス語版)の『Dictionnaire gilbertin-francais』(981ページ、1952-1954年)で発表された後に、南太平洋委員会の協力を得てシスター・オリヴィアによって英訳された。
系統「オーストロネシア語族」および「ミクロネシア諸語」も参照

キリバス語はミクロネシア諸語に属する中核ミクロネシア諸語に分類され、マックス・プランク進化人類学研究所[5]および語彙統計学研究[6]もこれを支持している。中核ミクロネシア諸語にはミクロネシア連邦コスラエ島で話されるコスラエ語マーシャル諸島で話されるマーシャル語ミクロネシア西方で話されるチューク・ポナペ諸語が含まれる。ただし、ポリネシア諸語、特にツバル語から長い間影響を受けているため、他の「典型的な」ミクロネシア諸語とは音韻論語彙形態論統語論的特徴に関して差異が見られる[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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