キリスト教民主主義_(イタリア_1942-1994)
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イタリア政党キリスト教民主党
Democrazia Cristiana(DC)

成立年月日1942年10月
解散年月日1994年1月18日
解散理由新党結成のため
後継政党イタリア人民党
キリスト教民主中道
本部所在地ローマ
政治的思想・立場中道[1]
キリスト教民主主義[2]
ポピュリズム[3]
社会保守主義[4][5]
シンボルキリスト教民主党党章
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キリスト教民主党(キリストきょうみんしゅとう、: Democrazia Cristiana、略称: "DC")は、かつて存在したイタリア政党
概要

ムッソリーニ政権によって1926年に解散させられたカトリック政党・イタリア人民党の流れをくんだ政党である。

冷戦下において左翼政党が支持を伸ばす中、中道右派キリスト教民主主義路線とカトリック教会の支持の下、イタリア社会党イタリア民主社会党イタリア共和党などと連立政権を組んだのみならず、イタリア共産党と「歴史的妥協」を行うことで、第二次世界大戦後の冷戦下においてほぼ一貫して与党(連立与党)の座にあった。

しかし長期政権は汚職・腐敗を産んだ上、冷戦崩壊後の1990年代初頭には党の最高権力者だったジュリオ・アンドレオッティ首相がマフィアとの親密な関係を指摘され、多くの検挙者を出した。これによって支持率は低下。党は分裂し、解散に追い込まれた。
主義・主張

西側諸国共産党としては最大規模の勢力を誇ったイタリア共産党(PCI)の勢力を前に、共産主義キリスト教をはじめとする宗教の存在を否定することもあって反共的な姿勢が強く、PCIと対立していた。また同じく反共主義アメリカ合衆国による様々な支援や、反共団体の「ロッジP2」などとの強い関係が度々取りざたされた。

いっぽう社会政策においては回勅レールム・ノヴァールムに端を発するキリスト教民主主義の影響が強く、経済においても自由市場よりも階級協調を重視する社会的市場経済混合経済も参照)の色彩が強かったが、マルクス主義的な階級闘争の考え方は拒絶していた。イデオロギー的にはキリスト教カトリック)の下で保守から中道左派までを広く含んでおり、包括政党の様相を呈していた。これは同じキリスト教民主主義政党であっても、保守政党の色彩が強いドイツキリスト教民主同盟などとは一線を画していた。

また、そうした党内の幅の広さゆえ、多くの派閥を有していた。党のもともとの路線である中道派の指導者にはアルチーデ・デ・ガスペリジュゼッペ・ペッラがいたが、のちにアミントレ・ファンファーニアルド・モーロマリアーノ・ルモールチリアーコ・デ・ミータらが党内の中道左派的な傾向を代表し、またアントニオ・セーニジュリオ・アンドレオッティアルナルド・フォルラーニらが党内の右派・保守派から中道右派的な傾向を代表していた(ここに挙げた人物はすべて首相経験者である)。概して、連立政権が右寄りになった際には党は左寄りに、逆に政権が左寄りになった際は党が右寄りになる傾向があった。これは二大政党制による政権交代を特色とするウェストミンスター・システムとはまったく異なる政治状況で、首相の実際上の政治権力は著しく弱いものとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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