キリストの墓
[Wikipedia|▼Menu]

キリストの墓(キリストのはか)は、キリスト教において、イエス・キリストが埋葬された後に復活したと信じられている墳墓。ここではそれ以外の、キリストの埋葬や遺骸に関する世界各地の諸説・伝承についてや創作も取り上げる。

一般にキリスト教徒に信じられているところでは、キリストの墓の場所はエルサレムの「聖墳墓教会」あるいは「園の墓」である。しかし、異説も存在する。
キリストの遺骸

エルサレムにイエス・キリストの墓と信じられているところが2つある。伝えられているところによれば、コンスタンティヌス1世の母ヘレナが326年ごろエルサレムを訪れ、当時はヴィーナス神殿となっていた地を比定した。 これを取り壊して建てられたのが、現在正教会非カルケドン派カトリック教会などが共同管理する聖墳墓教会である。しかし、『ヘブライ人への手紙』(13:12)の記載などから、処刑場は城壁外にあったのではないかとの疑念が出され、聖公会などは旧城壁外にある「園の墓」(Garden Tomb)をそれと信じている。

このどちらにもキリストの遺骸は無い。ニカイア・コンスタンティノポリス信条に従えば、イエス・キリストは十字架上で死に、葬られるが復活し、40日後に天に昇ったとされる。したがって、いったん葬られた場所は存在するが、遺骸は地上には残されていない。その代わりになったともいえるが、カトリック教会では中世、キリストの聖遺物への崇敬が盛んに行われた。たとえば聖十字架とされる物質は早い時期から各地の教会で崇敬の対象となっていた。カトリック教会ではイエスの母マリアも死去することなく天にあげられたと信じられている。
(参考)釈迦の遺骸

仏教の開祖の釈迦の遺骨(仏舎利)も、直後8つの遺骨と灰と容器に別々に分割され、10の墓が作られた。その後それらは分割され、アジア各地に墓が作られ日本にもそれは存在する。それは墓とは呼ばれず仏舎利塔ストゥーパ多宝塔などと呼ばれる。ただし、全てを集めると象一頭分を優に上回り、蝋石などが仏舎利の代用とされている場合も多いようである。
(参考)ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフの遺骸

イスラム教の開祖である預言者ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ預言者のモスクがその霊廟となっている。
キリスト教の立場からみた場合のキリストの墓が存在する可能性

キリストの遺骸を祭る墓があるかもしれないと主張する人たちも居る。他の宗教の場合と異り、キリスト教においては、キリストの遺骸は失われたのではなく、信仰上存在しないということをまず踏まえなければならない。

まったくキリスト教を信じない人は、イエス・キリストが人であったのならば、その遺骸は存在するだろうと考えるかもしれない。しかし、それを祭る墓があるためには、イエス・キリストその人を信奉する人たちの存在を仮定しなければならない。

その墓があるためには、イエス・キリストを信奉するが、その肉体が天に上げられたのではないと信じる人が居なければならない。これは正統的なキリスト教からすれば異端となる。グノーシス主義的なもののひとつ、エビオン派養子的キリスト論を、分かりやすい例として挙げる。彼らによれば人間イエスと神性キリストを区別する。人間イエスはナザレのヨセフマリアの間に産まれた子であって、彼が洗礼者ヨハネから洗礼を受けたときに聖霊が降り、神の子イエス・キリストとなった。また、十字架につけられるときにキリストの神性はイエスから離れた。十字架上で死んだのは人間イエスであって、キリストではない。

この考えに立てばキリストは一足先に天に昇っているから、人間イエスの遺骸は地上に残されているはずである。しかしこの思想では、キリストが去ったあとの人間イエスの遺骸を信奉する意味も無くなるので、墓が存在する理由には多少無理がある。

イスラム教の『クルアーン』に登場するイーサー(イエス)は、十字架にはつけられておらず、つけられたのは身代りだとされている。身代りの人物が誰であるかはいろいろだが、この話は16世紀までにはヨーロッパにも伝わっていた。最近では、バーバラ・シーリング(またはスィーリング)が弟ヤコブが身代わりをしたという説を唱えている。

イエスが十字架で死なずに生き延びて、別の地で手厚く葬られたのならば、その墓があるかもしれない。
キリストの墓についての諸説
インド・カシミール

イエスが救われ身体を癒した後にユダヤの土地から抜け出し、「イスラエルのさまよえる子羊たち」を探すために、東に向かったと言う説がある。

この説の実証のひとつとして、インドカシミール地方にイエス(ユス・アサフ)と書かれた墓が見つけられている。カシミールのユダヤ人はすべてイスラム教に改宗しているが、その墓を守る家族だけが改宗せぬことを許され現在もユダヤ教徒である。古い墓には、ユダヤの言葉であるヘブライ語での記述があり、記述によるとイエスは112歳(100歳以上)まで生きたとされる。

また、イエスと書かれた墓の近くにはモーセと書かれた墓もある。モーセがユダヤ民族の移動の際に失われた人々を探しに出たとされているが、たどり着いたのがカシミールと言うわけである。

イスラム教系新宗教アフマディーヤでも、イーサー(イエス)はインドを訪れたと説く。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef