キョードー東京
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株式会社キョードー東京
Kyodo Tokyo, Inc.
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
107-0062
東京都港区南青山5-2-1
NBFアライアンス4階
設立1950年10月
業種サービス業
法人番号1010401008268
事業内容ライブエンターテインメント事業
代表者代表取締役社長 山崎 芳人
資本金6000万円
売上高250億円
従業員数50名
外部リンク ⇒kyodotokyo.com
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株式会社キョードー東京(キョードーとうきょう)は、東京都を中心に、関東地方で展開しているイベント興行会社。また、同社を中心とするキョードーグループの中核会社のことである。
歴史

1953年に永島達司がプロモート会社として「新々プロダクション」を設立、翌1954年に内野二朗が経理担当として入社。以来、日本人歌手のマネジメントと並行して海外のアーティストを招聘してプロモートを行う。1957年には社名を「和栄プロダクション」へ、次いで「協同企画」へ変更。このころ嵐田三郎(現会長)が入社。

1959年からは赤坂の有名ナイトクラブニューラテンクォーターのショーのプロデュースを手掛け始める[1]。ニューラテンクォーターの経営に携わった岩宮尊・野上宏・吉田彦太郎は、戦前から上海児玉誉士夫の部下として、児玉機関で活動していた[2]。永島達司・内野二朗・嵐田三郎は、これをきっかけに児玉と深い繋がりを構築していく[1][3]

1962年には内野が協同企画を退社し汎芸能企画事務所を設立して、ニューラテンクォーター等ナイトクラブの"仕込み"を引き受けるようになる。汎芸能企画事務所は1964年に「協同企画エージェンシー」に社名を変更。永島の協同企画と業務分担して、招聘を永島が、興業取り仕切りを内野が担当するようになる。

1965年にはモンキー・ダンスに注目し、ゴーゴークラブの先駆けとなる「ゴー・ゴー・ア・モンキー」を企画。オープニングにはザ・ベンチャーズアストロノウツが出演し話題を呼んだ。キョードー東京は舞台美術や照明、音響効果に経費を惜しまずどんどん新しいものを取り入れていった。

1966年にはビートルズの来日公演を日本武道館で行い、マスコミの注目を集める[4][注釈 1]

1968年、スポーツ部門を設立し、嵐田三郎を長とし、4月にアメリカ西海岸で流行していたローラーゲーム東京12チャンネルでレギュラー放映をスタート[5]。続いて日本テレビから、TBSテレビが中継していたキックボクシングをできないかと相談があり、協同ジムを発足し、キックボクシング興行に参入した[6]。日本テレビのプロデューサー・後藤達彦は嵐田と慶応義塾大学の同級生という繋がりからである[7]。嵐田は格闘技に疎いので、内野二朗が雇っていた神村栄一に選手を手配させた[8]。神村は大山道場出身で、共に稽古していた藤平昭雄盧山初雄[9]日本拳法空手道の錦織利弘[10]、らをスカウトした[9][10]。藤平はTBSのエース・沢村忠を意識して「大沢昇[9]」、盧山は内野二朗と嵐田三郎をあやかり「嵐五郎[9]」、錦織は「錦利弘[10]」と、それぞれリングネームを命名された[9][10]


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