キューバの雪解け2015年4月11日にパナマで初の首脳会談に臨むバラク・オバマ(右)とラウル・カストロ
日付2015年7月20日 (2015-07-20)
ローマ教皇フランシスコ
アメリカ合衆国大統領バラク・オバマ
キューバ国家評議会議長ラウル・カストロ
ローマ教皇フランシスコ
関係者 カナダ
キューバ
バチカン
アメリカ
結果アメリカ合衆国とキューバの国交回復
キューバの雪解け[1](キューバのゆきどけ、英語: Cuban Thaw[2][3]、スペイン語: deshielo cubano[4][5])は、半世紀以上にわたり対立してきたアメリカ合衆国とキューバの関係改善の動きである。
2014年12月17日にアメリカ合衆国大統領バラク・オバマとキューバ国家評議会議長ラウル・カストロは国交正常化交渉の開始を電撃発表した。数か月以内に大使館を開設し、銀行や通商関係の正常化を話し合うことでも合意した。両国政府は2013年からカナダ政府とローマ教皇フランシスコの仲介で、秘密裏に交渉を続けてきた[6]。
2015年4月にオバマ政権はキューバの「テロ支援国家」指定を解除すると発表した。その後の45日間にアメリカ連邦議会も解除に反対しなかったことから、同年5月29日にリストの除外が正式に決定した[7]。
2015年7月20日にアメリカとキューバ相互に大使館が再び開設され、1961年に断交して以来54年ぶりに国交が回復した[8]。
2016年3月20日にはオバマが1928年のカルビン・クーリッジ以来88年ぶりに現職の合衆国大統領として、キューバを訪問した[9]。
アメリカとキューバを結ぶ半世紀以上ぶりの定期航空便の第一便として、2016年8月31日にジェットブルー航空387便がフロリダ州から離陸し、サンタ・クララに着陸した[10]。
オバマの後を継いだドナルド・トランプは2017年6月16日にオバマの対キューバ政策を「完全に」解消するとした自身の路線を打ち出した[11]。オバマ前政権下で緩和されたキューバ軍関連組織との商取引規制や渡航制限などの対キューバ制裁強化策は同年11月9日から施行された[12]。 キューバで1952年に政権を掌握したフルヘンシオ・バティスタはアメリカ合衆国に従属する政策を推し進めたため、次第に反政府活動が活発化するようになった。その中でフィデル・カストロ率いる革命軍は農民の支持を得て勢力を拡大し、1959年1月1日にキューバ革命でバティスタ政権を武力で打倒することに成功する[13]。 しかし、革命後に成立した政権は農地改革の過程でアメリカ企業を接収したため、これに反発したアメリカがキューバの主要産業である砂糖の輸入を停止して対抗した[14]。この後にキューバが砂糖の買い付けなど経済協力を申し出たソビエト連邦に急接近したことを受け、アメリカが1961年にキューバとの国交断絶を通告したため、キューバも「社会主義革命」を宣言した[14]。1962年10月にはキューバに核弾頭搭載のミサイル基地建設を進めるソ連に対し、アメリカが戦艦と戦闘機でキューバを海上封鎖して核戦争の一歩手前までいくキューバ危機に巻き込まれることになった[14]。
キューバ革命から孤立政策へ