キューバの鉄道
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キューバ鉄道
キューバ鉄道路線図
基本情報
キューバ
起点ハバナ
開業1924
路線諸元
営業キロ4,226 km
軌間標準軌(1,435 mm)
電化区間140 km
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キューバ鉄道の旅客路線図

キューバ鉄道(西:Ferrocarriles de Cuba, FCC)は、キューバ共和国における旅客輸送と貨物輸送を担っている国有鉄道会社であり、西インド諸島における随一の鉄道事業者である。



路線

キューバ国鉄は1,435mmの標準軌を採用しており、その路線は、キューバの西端であるグアネ(ピナール・デル・リオ州)から、東端のグアンタナモまで広がっている。長さ835kmの「中央線」は、ハバナから、東部のサンティアゴ・デ・クーバまでを結んでいる。キューバ国鉄のフラッグシップである「1号列車」も、ハバナとサンティアゴ・デ・クーバの間で運行されている。その他の長距離旅客路線として、ハバナからピナール・デル・リオ(西部線)、シエンフエゴス(南支線)、サンクティ・スピリトゥス、バヤモ・マンサニヨ、グアンタナモを結ぶ路線がある。キューバ国鉄は、キューバ国内の6つの1級港湾(ハバナ、マリエル、マタンサス、ヌエビタス、サンティアゴ・デ・クーバ)を結び、そして全ての州都を結んでいる。キューバ国鉄の総延長4,226kmのうちほとんどが非電化であり、140kmだけが電化されている。

「ハーシー電鉄」(現在のハーシー線)は、ハバナとマタンサスの間の電化路線であり、ザ・ハーシー・カンパニー1916年砂糖プランテーションを購入した際に、労働者と生産品を輸送するために建設した。現在もこの路線は、ハバナ北部とマタンサス間の通勤路線として、ハーシー電鉄時代の設備を使用して運行されている[1]
歴史
植民地時代

キューバの鉄道の歴史は、当時キューバの摂政女王であった、マリア・クリスティーナ・デ・ボルボンが、キューバで最初の鉄道建設を承認した、1834年10月12日に始まった。1836年には、ガスパル・ベタンコート・シスネロスが、"Ferrocarril de Camaguey a Nuevitas"と呼ばれる馬車鉄道を、カマグエイに設立した。ラテンアメリカで最初の蒸汽鉄道路線である「ハバナ鉄道会社」は、1837年11月19日に、ハバナとベユカル間、27.5kmの路線として開業した。この時点で、キューバの宗主国であるスペインには、まだいかなる鉄道路線も存在していなかった。この、27.5kmの路線は、1839年11月19日にはさらに17km先のグイネスまで伸び、1843年12月には、サン・フェリペとバタバーノの2都市もこの路線網に加えられた。1847年には17km、1848年には21km、そして1849年にも21km延伸し、鉄道網は拡張された。

1859年2月3日には、ハバナで最初の路面電車である「ハバナ都市鉄道」が開業した。
革命前1913年頃キューバ中央鉄道でサトウキビ運搬に使用されていた貨車

アメリカ生まれのカナダ人鉄道経営者、サー・ウィリアム・ヴァン・ホーンは、20世紀初頭のキューバの鉄道網拡大を支援した。彼は、1900年に設立された「キューバ鉄道会社」に投資した。

1924年、「キューバ鉄道」と「キューバ連絡鉄道」との紛争をきっかけに、現在に至る「キューバ鉄道」が設立された。その他、1916年設立の「キューバ北部鉄道」や「トゥナス・デ・ザザ鉄道」「グアンタナモ西部鉄道」なども、すべて1920年代にキューバ鉄道へ合併された。

1940年から1959年にかけて、キューバの旅客列車はバッド社フィアット社からディーゼルエンジンを搭載した気動車車両を導入したことにより近代化された。これらの車両は、ハバナ - サンティアゴ・デ・クーバ間などの主要路線で4両程度の編成を構成し、中速の列車に投入された。また同時期には、ハバナとキューバ東部地方との間に4社または5社の主要な会社による大規模な都市間バス網も競うように開設された。

そして、いくつかの砂糖工場では、老朽化した蒸気機関車を電気式ディーゼル機関車に切り替えた。

1958年時点で、キューバは他のどの国よりも平方マイルあたりでより多くの鉄道網を構築していた。

また、革命以前は、マイアミとハバナの間に鉄道連絡船が運行されていた。
革命後1980年から2007年にかけてのキューバ鉄道網の営業距離数推移を示す図表

1958年12月の、サンタクララの戦いにおけるフルヘンシオ・バティスタ政府軍装甲列車の破壊は、キューバ革命の成功における重要な足がかりとなった。

1959年のキューバ革命終結後、公営と私営の鉄道網を国有化することにより、「キューバ国営鉄道」が設立された。ただし、「MINAZ」は、主に砂糖製品を輸送するために、独自の鉄道網を運営し続けた。

革命により交通システムが国有化された後、数十年に渡り鉄道関連機器の主たる供給元だったアメリカから交換部品を入手できなくなったことや、効率的なシステムを壊してしまったことと相まって、サービス競争の欠如や、国防費のへの予算流用により、キューバ鉄道の状態は徐々に悪化していった。

1963年から1966年にかけて、イギリス国鉄の支援により、タイプ4型(後のタイプ47型)機関車に基づいた新しい機関車を入手した。これは、ダービシャーのハットンにあるクレイトン社で組み立てられた[2]

キューバ危機の後、アメリカの禁輸措置に伴い新しい鉄道車両を購入することは難しくなった。幾つかの車両は、ユーゴスラビアのような第三国を介して届けられた。


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