キュニョーの砲車
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キュニョーの砲車(キュニョーのほうしゃ)は、フランス陸軍砲兵部隊のためにルイ15世の陸軍大臣であった宰相ショワズールキュニョーに製作させた三輪蒸気自動車の試作車である。1769年1770年の2年間に2台が製作された。の代わりに蒸気機関を使い、大砲の牽引に使えるかどうか検討するために試作され、2台目は全長7メートルを超える大型運搬車だった。これは世界初の自動車と認定され、1台目(1号車)が製作され試運転で走行した1769年が自動車誕生の年とされている。2台目(2号車)は現存する最古の自動車として保管展示されており見学が可能である。これは1770年の試運転中に事故で壊れ翌1771年に補修されたものと伝えられている。

復元されたキュニョーの砲車 動画 https://www.youtube.com/watch?v=KP_oQHYmdRsキュニョーの砲車:1771年修復後の2号車:パリ工芸博物館展示
概要

キュニョーの砲車は、フランス陸軍大臣エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズールが砲兵部隊総監ジャン=バティスト・ヴァケット・ド・グリボーバルに命じ、フランスの軍事技術者、ニコラ=ジョゼフ・キュニョーが開発し、フランス陸軍の砲兵工廠で製作された。世界最初の自動車とされ、動力を乗せトラクション(摩擦を利用した推進力)で自走した。人が乗り操縦(運転)し、実際に走行できた。ピストンを使用した蒸気機関を動力とした最初の乗り物としても、また、蒸気動力で人を運んだ最初の乗り物としても記録に残るものでもある。また、ピストン運動を連続的な回転運動として実現したのも世界史上最も早かった。

5トンの大砲を運ぶ重量物輸送用途の車両として計画され、1号車は予定の2分の1の大きさで1769年に、2号車は実物大で1770年に、フランスの砲兵工廠で製作された。2号車は試走時、事故で破損し、これが最初の自動車事故といわれている。宮廷内での抗争のため、推進者であったショワズールが1770年暮れに失脚してしまい、その後継者はこのプロジェクトを無視した。グリボーバルはじめメンバーは期待をもって翌年1771年前半を修復に費やしさらなる試運転の機会を待ったがそれは与えられなかった。プロジェクトの最終評価はなされることなく、工廠のメンバー、ロランによって倉庫の奥に30年近く保管されていたが、ナポレオン時代1801年に、新設されたアカデミー博物館に移され、再びひっそりと保管展示された。歴史の荒波を乗り越え史上最古の自動車として現在も見学が可能である。

製の火室およびボイラーと銅製の気筒(シリンダー)を2つ備え、2つのピストンによって一つの車輪を両側から交互に力を加えることで駆動した。ハンドルバーによる操舵で前輪を操作し方向を変えることができた。リバースギアを装備し後退することもできた。ブレーキは走行時ではなく停車時のブレーキだった。ボイラーには走行しながらの給水はできず、すぐに水を使い尽くしてしまった。

4人が乗れ、車両速度は時速約9kmだったが、給水のために停車したことで実際の移動速度は時速3.5kmから4kmだった。1770年の2号車は、5トンの大砲を載せ移動速度はほぼ同等の時速約3.5kmが出せた。

その後の発展は19世紀まではゆっくりとしたものだったが、キュニョーの蒸気自動車は輸送の歴史の中で確実な一歩として記録された。
プロジェクト

宰相ショワズールは1758年から1761年まで外務大臣をつとめフランスの対外政策を担当し、七年戦争さなかの1761年からフランス陸海軍の長である戦争大臣となっていたが、1763年プロイセン王国に敗北を喫した。このため、ショワズールはその後、フランス陸海軍の一層の強化に邁進した。また、ショワズールには新技術を積極的に利用しようとする意欲があった。1769年に、ショワズールにスイスの役人プランタがさまざまなアイデアを進言した。その中に蒸気を利用して大砲を輸送するアイデアがあった。ショワズールはこのアイデアの検証をグリボーバルに命じ、グリボーバルはその設計開発者としてキュニョーを推薦した。キュニョーは自身でも蒸気自動車の研究を行っていたが、自動車史に今日までキュニョーの名前が残ったのは、ルイ王朝でのフランスの軍事力強化という時代の国のプロジェクトだったからである。
軍事力強化

ルイ15世治世下で外務大臣を務めたのち戦争大臣となり、陸海軍を所轄していた宰相ショワズールは七年戦争でプロイセンのフリードリヒ2世との戦いに破れる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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