キャロル_(バンド)
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キャロル
CAROL
出身地
日本 京浜地区
ジャンルロック
ロックンロール
ブルース・ロック
活動期間1972年 - 1975年
レーベル日本フォノグラム
(現ユニバーサルミュージック

メンバー矢沢永吉ベースボーカル
ジョニー大倉ギター・ボーカル)
内海利勝(ギター・ボーカル)
ユウ岡崎(ドラムス

旧メンバー今井英雄(ドラムス)
相原誠(ドラムス)
サミー(ギター)
ビートルズリッチー・ブラックモア

CAROL(キャロル)は、1970年代に活動した日本ロックバンド[1]1972年に結成し同年デビュー、1975年解散。
メンバー
矢沢永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 - )
ベースボーカル担当でバンドのリーダー[2][注 1]広島県広島市出身[5][6]。多くの作曲を手掛けた。
ジョニー大倉(ジョニー おおくら、1952年9月3日 - 2014年11月19日
サイドギターボーカル担当。神奈川県川崎市出身[6]。本名の大倉洋一名義で多くの作詞を手掛け、「ロックに日本語の歌詞を乗せる」というスタイルを確立させた[7][8][9]
内海利勝(うちうみ としかつ、1953年5月30日 - )[10]
リードギターボーカル担当。神奈川県鎌倉市出身[6]神奈川県立柏陽高等学校時代にエリック・クラプトンに憧れてギターを始め、もっぱらクリームなどのブルースロックを演奏していた。関東学院大学進学後、セミプロのバンドで活動していた頃にキャロルに参加[11]。解散後はイギリスのレゲエバンドThe Cimaronsとのコラボレーションでアルバム発表。いち早くレゲエのリズムを取り入れるなど意欲的で「たわごと」「鏡の中の俺」がヒットした。原田芳雄のバックバンドのギタリストを務めたこともある。2012年には矢沢のデビュー40周年記念公演にゲスト参加しており、現在もblues file No.1やソロで活動している。
ユウ岡崎(ユウ おかざき、1951年12月14日 - )
ドラムス担当。東京都豊島区出身。キャロルのデビュー前はいくつかのアマチュアバンドやセミプロバンドで活動していた[12]。初顔合わせの時、メンバーに「YOUたちなんかやってるのは、アレでしょ。ロッケンロールでしょ?」と言ったことから芸名が「ユウ岡崎」となった[13]
元メンバー
今井英雄(いまい ひでお)
ドラムス担当。結成からデビュー前まで在籍。後に吉野大作バンドに参加。※現在、ネット上で広く語られている「今井茂利(茂淑の誤変換と思われる)」は、神無月、ハート・オブ・サタデイ・ナイト、初期のダンガンブラザースなどのバンドに在籍した別のドラマーであって、キャロルとは無関係の人物である。
相原誠(あいはら まこと)
ドラムス担当。ユウ岡崎が2ndシングルを録音後に離脱したため、代わって正式メンバーとして加入した。3rdシングルの「やりきれない気持ち / ホープ」、1stアルバム「ルイジアンナ」収録の「ホープ」(シングルと同じバージョン)、「ワンナイト」を担当。その数ヵ月後に岡崎が復帰した為、入れ替わりで脱退となった。後にダウン・タウン・ブギウギ・バンドに参加。2020年4月13日、虚血性心不全のため逝去(68歳没)。
猿山(サミー)幸夫
サイドギター担当。元乱魔堂ベーシスト。ジョニー大倉が失踪中であった1974年初頭の2ヶ月弱のみ在籍。後に大倉のバックバンド「ジョニー&ダーリン」にベーシストとして参加。
経歴
アマチュア期

1972年4月、矢沢永吉川崎駅近くのイトウ楽器店に自ら書いた貼り紙で募集をかけ[5][14][15]ジョニー大倉、内海利勝、今井英雄と矢沢の4人で[15]、同年6月結成される[5][15][16][17][18][19]。貼り紙の文句は、「ビートルズロックンロール好きなヤツ、求ム!」だった[20][21]。当時はフォークメジャーシーンに浮上しはじめ[5][22]ディスコはバタバタ倒れて、ロックンロールを演奏できる場所がなくなっていった時期だった[5][23][24][25]ジョニー大倉が矢沢に電話して京急川崎駅で待ち合わせたが、矢沢は当時吉田拓郎みたいな肩まで伸びた長い髪で、ジョニーのリーゼントを笑ったという[21][26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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