キャロル・ロンバード
[Wikipedia|▼Menu]

キャロル・ロンバード
Carole Lombard
 1930年代の宣伝写真
本名Jane Alice Peters
生年月日 (1908-10-06) 1908年10月6日
没年月日 (1942-01-16) 1942年1月16日(33歳没)
出生地インディアナ州 フォートウェイン
死没地ネバダ州 ラスベガス・バレー レッドロック・キャニオン国立保護区 ポトシ山 (en)
国籍 アメリカ合衆国
配偶者ウィリアム・パウエル (1931-1933)
クラーク・ゲーブル (1939-1942)
テンプレートを表示

キャロル・ロンバード(Carole Lombard、1908年10月6日 ? 1942年1月16日)は、アメリカ合衆国インディアナ州出身の女優である。1930年代40年代にコメディ映画で活躍し、"スクリューボール・コメディの女王"と呼ばれた。

本名はジェーン・アリス・ピーターズ (Jane Alice Peters)。
生涯

1908年インディアナ州フォートウェイン生まれ。6歳と2歳年上の兄が2人いる。1914年、両親の折り合いが悪く、この後も離婚はしなかったが母親が2人の兄とキャロルを連れてロサンゼルスに移住し別居した[1]。キャロルがロサンゼルスに住んでいた頃、近所に住んでいた映画監督の目に留まって12歳で映画デビューしたが、その後しばらくは普段の生活を送った。12歳の時に『陰陽の人』に少しだけ出演(1921年)

一劇団に入りいくつかの舞台に立つ。1924年にフォックス社から再びデビューが決まり高校を退学したが、翌年の1925年に契約を解除された。しかしロンバードは1930年にパラマウントに契約した頃から、フォックスから契約を解除された理由は、自動車事故で顔に傷を作ったからだと主張しており、死後数十年それが事実とされていたが、実際は自動車事故の2年前にフォックスから契約解除されている。この自動車事故は1927年9月に発生しており、当時のボーイフレンドとドライブ中にロンバードは自動車事故に遭い、割れたフロントガラスが鼻から左頬下を切り裂いたことで顔面に傷が残ったが、当時契約していたマック・セネットは彼女の美貌と才能を評価していたので、顔の傷を気にせずに契約を反故にしなかった。しばらくの間、マック・セネットのコメディ映画に多数の新進女優と共に水着美人などとして顔を出していたが、1930年にその美貌が認められパラマウント社と7年間の長期契約を締結した。折りしもサイレントからトーキーへの過渡期であり、その波に乗り切れずに人気が落ちた俳優がいる一方、セクシーな声と、知性的でなおかつコケティッシュな魅力を持った彼女は徐々に頭角を現してゆく。ウィリアム・パウエルとともに(1933年)

1934年ハワード・ホークスのコメディ『特急二十世紀』に出演、同作品のヒットによりコメディエンヌとしてスターの座を掴んだ。その後もジョン・クロムウェルアルフレッド・ヒッチコックエルンスト・ルビッチなどの作品に出演、コメディでもドラマでも活躍した。

プライベートでは1931年に年上の俳優のウィリアム・パウエルと結婚するが、慎み深く知的で教養ある上品な紳士のパウエルと、頭の回転が早くユーモアたっぷりだが、若いが故に教養に乏しく下ネタもぶっちゃけ話も平気で話すロンバードとは性格が合わず、パウエルの強い意向で2年後の1933年に離婚をした。パウエルとの離婚でプライドが傷つけらた辛さを慰めてくれたのが、当時の人気歌手で若手俳優のラス・コロンボであったが、彼は1934年に友人が所持する拳銃が暴発した事故で28歳の若さで命を落とした。ロンバードは恋人の突然の死にショックを受け、大好きだったパーティーにも出掛けるのを止めるなど落ち込んだ。

1937年には人気が絶頂期であったにもかかわらず、パラマウントとの契約を更新せずそのまま退社したが、これはフリーで活動することで仕事を選ぶことが出来るようになり、その結果としてスケジュールに余裕を持たせることで、1936年の1月から付き合い始めた新しい恋人のゲイブルとの交際に専念出来るからという理由であった。そして1939年には3年間交際をしていたクラーク・ゲーブルと再婚した。ゲイブルは長年別居中の年上の妻が居た為、不倫ということでゴシップコラムニストや大衆から大きなバッシングを受けたが、二人は芸能界を引退に追い込まれても一緒になると覚悟の上で結婚を決めた。この二人の真摯な態度にメディアも感銘を受け大衆も彼らを祝福した。過去二回の結婚に失敗していたゲーブルは、頭が良くイタズラ好きでユーモアがあり天真爛漫な性格のロンバードを愛し、その短い結婚生活中にはなかなか子宝に恵まれないという辛い経験もしたが、彼の生涯の中で最も幸せなひと時であったという。

ゲイブルは1930年代半ばに映画で共演を重ねたジーン・ハーロウとの恋愛関係を解消し、ロンバードと交際を始めたが、彼と別れたハーロウはロンバードの前夫のウィリアム・パウエルを本命の恋人に選び交際をスタートさせた。偶然とは言えこの二組のカップルはパートナーを交換することになったが、最後はどちらも女性パートナーが死亡するという悲劇的な最後を遂げることとなった。


第二次世界大戦中は戦争に関連した銃後の支援活動や慈善活動に力を注いだ。1942年1月16日戦時国債キャンペーンのため故郷のインディアナにいた彼女は、ロサンゼルスに戻る途中で飛行機がラスベガス近郊で墜落、33歳にして母親と共に死去した。同機へ搭乗する直前にファンに向かって言った「みなさんにさようならを言う前に一言。私と一緒に支援活動に参加してください! V for Victory!」が最後の言葉だった。クラーク・ゲーブルとともに(1939年)

彼女の死に落胆したゲーブルは映画界を一時引退し第二次世界大戦に従軍したほど。また戦後ゲーブルはもう二度結婚をしているが、1960年に死去した際には、その遺体は遺言により「キャロル・ロンバード・ゲーブル」と刻まれていたロンバードの墓の隣に埋葬された。戦時国債キャンペーンに参加。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef