キャロル・ベイカー
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キャロル・ベイカー
Carroll Baker
1961年宣材写真
本名Karolina Piekarski
生年月日 (1931-05-28) 1931年5月28日(92歳)
出生地 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ジョンズタウン
配偶者Louie Ritter(1953年 - 1953年)
ジャック・ガーフェイン(1955年 - 1969年)
Donald Burton(1978年 - 2007年)
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キャロル・ベイカー(Carroll Baker、本名:Karolina Piekarski、 1931年5月28日 - )は、アメリカ合衆国女優ペンシルベニア州ジョンズタウン生まれ。ポーランド系アメリカ人
略歴

1939年、両親が離婚し、母と妹とともにペンシルベニア州タートルクリーク(Turtle Creek)へ移り住み、同州のグリーンズバーグハイスクールに入学する。その後、母親が再婚し、フロリダ州セントピーターズバーグへ家族4人で移り住む。セントピーターズバーグではセントピート短期大学へ進学、数か月間在籍する。その間、地元のライオンズクラブのタップダンサーとしてデビューする。やがて大学を中退し、フロリダ州各地でダンサーとして出演する。

1949年、"Miss Florida Fruits and Vegetables" にも輝く。

1950年、ニューヨークへ行き、そこで、テレビ チャンネル9の「weather girl」として雇われる。

1953年、『イージー・トゥ・ラブ』の端役で映画デビュー。その後いくつかのテレビコマーシャルの仕事をする。

1956年、『ジャイアンツ』に抜擢された後、続く『ベビイドール』では主演を務めてアカデミー主演女優賞にノミネートされるなど、この年は彼女にとって大転機となった。

1961年、日本人外交官の寺崎英成と結婚したアメリカ人女性のグエン寺崎(寺崎マリコ(マリコ・テラサキ・ミラー)の母)の著書を映画化した『太陽にかける橋』にグエン役で出演し、寺崎英成を演じたジェームズ繁田丹波哲郎らと共演。また、来日もしている。

1964年に『大いなる野望』、1965年に『ハーロー』に主演。その後、イタリアスペインドイツイギリスメキシコと海外の作品に出演する。彼女はハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名を連ねている。

プラチナ・ブロンドの髪で知られているが、実際の髪の色は栗色である。

映画監督ジャック・ガーフェインとの結婚を機に、ユダヤ教に改宗した。
主な出演作品『傷だらけの愛』(1961年)『大いなる野望』(1964年)出演時の宣伝写真

イージー・トゥ・ラブ (Easy to Love 1953年、米国)

ジャイアンツ (Giant 1956年、米国)

ベビイドール (Baby Doll 1956年、米国)

大いなる西部 (The Big Country 1958年、米国)

僕は御免だ (But Not for Me 1959年、米国)

奇跡 (The Miracle 1959年、米国)

太陽にかける橋 (Bridge to the Sun 1961年、米国)

傷だらけの愛 (Something Wild 1961年、米国) 日本未公開

西部開拓史 (How the West Was Won 1962年、米国)

白昼の情事 (Station Six-Sahara 1962年、英国)

大いなる野望 (The Carpetbaggers 1964年、米国)

シャイアン (Cheyenne Autumn 1964年、米国)

シルビア (Sylvia 1965年、米国)

偉大な生涯の物語 (The Greatest Story Ever Told 1965年、米国)


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