キャラ_(コミュニケーション)
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キャラとは、キャラクター: character、性格人格)を省略した若者言葉で、コミュニケーションの場における振舞い方に関する類型的な役割を意味する[1]。その具体的な役割に応じて、例えば「まじめキャラ」「バカキャラ」「へたれキャラ」「癒やしキャラ」のようにさまざまなものが存在する[2]

この用法の「キャラ」という語の発祥は定かではないが、1999年の『現代用語の基礎知識』や新聞記事での使用が確認されているため、その頃から日本の若者の間で浸透した表現だと考えられる(漫画ゲームなどのキャラクターの省略形としての「キャラ」はそれより以前からの使用が確認されている)[3]

本項で説明している「キャラ」は、省略されることなく「キャラクター」といわれることもあり[4]、実質的には和製英語といえる[5]。もともと「キャラクター」という言葉には「物語の登場人物」という意味があるが、この意味での「物語」を「小さな共同体(コミュニティ)」と読み替え、「コミュニティ内での個人の位置(イメージ)」という意味で「キャラ/キャラクター」という言葉を使うような思考形式が生まれていったのだと考えられる[6]
キャラによるコミュニケーション

現代の日本の若者の間では、「キャラ」と呼ばれる類型的役割に応じて振舞うというコミュニケーション作法が浸透しており、このような現象・状況はキャラ化・キャラ的コミュニケーション・キャラ的人間関係・キャラゲーム・キャラ戦争などと表現される[注 1]。例えば学校ではクラスが似たような傾向を持った人が集まる細かいいくつかのグループに分かれる現象がみられるが[注 2]、この細分化された各々の小集団の内部でさらに個人に対して「天然キャラ」「いじられキャラ」などの具体的な役割が割り振られていくことになる[10]。グループ内における各自のキャラは自身の本来の性格というより普段行動をともにしているグループのリーダーやほかのメンバーといった他者からあるいは自然発生的に与えられることが多く、場の空気による圧力として本人の意図とは無関係に強制されることもある[11][12][13]。酔った勢いで羽目を外して卑猥な発言をしたのがきっかけで「エロキャラ」扱いされるようになるというように、なんらかの具体的な事件をきっかけにキャラが設定されることもあれば、交遊を深めていく中でいつからともなく自然にキャラが確立されていくこともある[14]

個人に与えられる役割分担という意味では、人類は狩猟・採集などで生活していた時代から現代に至るまでずっと分業を行っていたともいえるが、社会学者森真一によれば「キャラ」は(生活・仕事を成り立たせるためではなく)楽しくコミュニケーションを盛り上げるために割り当てられるという点が異なるという[15]法学者白田秀彰の表現を借りれば、若者たちが演じるキャラ(仮想的キャラ)は、大人の世界で「上司」「教師」のように社会的な文脈によって与えられる規範(社会的キャラ)と違って社会的な要素が欠如しているといえる[13]

キャラ的コミュニケーションのほかに若者の間の人間関係に存在する暗黙の規範としては、摩擦を回避するために仲間内では上下関係をなるべくつけないという「対等性原則」がある[16]。その意味で若者たちのキャラ化は、実際には存在している上下関係を、(例えば「いじりキャラ」と「いじられキャラ」のような形で)表面的にはフラットな関係に読み替えることによって隠蔽するという側面があるといえる[17]
キャラと演技性

周囲から与えられるキャラに即した振る舞いをするという意味ではキャラ的なコミュニケーションは演技性を帯びたものであるといえる。もっとも、人間が日常生活をおくる上でも無意識に演技の切り替えを行っているということは以前から社会学者アーヴィング・ゴッフマンが指摘していることである[18]

ただし、実際に若者を対象とした調査では必ずしも意識的にキャラを演じていると答える者が多数派ということではない。2009年から2010年に神奈川県公立中学校の生徒2874名に対して実施されたアンケート調査[19] では、「自分の気持ちと違っていても、人が求めるキャラを演じてしまう」という質問に対する肯定的な回答はほぼ1/3である。この調査を行った教育学者本田由紀は、少数でない割合とはいえ6割以上はキャラをつくらずにコミュニケーションを行っていることになるため若者のキャラ演出という現象を過剰に重視すべきではないだろうと述べている。元お笑い芸人の研究者である瀬沼文彰による若者へのインタビュー調査でも、キャラを演じている意識があるのは58人中10人と少数であった[20]

キャラによるコミュニケーションといっても興ざめするほど演技性が見え透いてしまうのは嫌われる傾向もある[21]。そのため、集団に対して行った瀬沼文彰のインタビュー調査では周囲の他者に配慮して演技していないと答えた者が多かったとも考えられる[22]。演技性の無いニュートラルな状態は若者言葉で素(す)といわれるが、実際には「素という演技しない状態を演技している」[23] あるいは「(キャラと素をはっきりと使い分けるというより)両者の配分のバランスを調整しながらコミュニケーションをとっている」[24] という面があるともいえる。社会学者の太田省一によると、キャラをめぐる遊戯的なコミュニケーション(キャラゲーム)においてはキャラの演技を完遂できずに素が露呈することは織り込み済みであり、演技の破綻によって結果的に当人の素の人間性が確認されるという形で共同体への帰属意識が強化されるというような効果があるのだとしている[25]
メリット・デメリット

キャラを演じることのメリットとして、実際の本人の性格がどうあれその場で設定されている単純なコードに合わせて振舞うことによって予定調和的なコミュニケーションを円滑化させ、またそれにより親密さを感じることができるという点がある[26]。瀬沼文彰は、「ケチキャラ」「おやじキャラ」のような一見すればネガティブな属性であっても、それをキャラとして捉えてツッコミをいれて笑いに昇華することができるなど、互いが傷つかずにコミュニケーションがとれるという利点を指摘している[27]。さらに別の側面としては、それが虚構的なキャラにずきないということを織り込み済みで演技的に振舞うことにより、「本当の自分」の存在が裏付けられる感覚を得ることもできる[28]

他方で、人間関係の流動性の低い学校空間では、特定のキャラを強制する同調圧力が暴走して(いじられキャラがいじめられキャラになるなど)いじめにつながるなどの弊害があるほか(後述)、キャラ的人間関係への適応の困難が引きこもりと関係しているといった指摘もある(後述)。また、楽しむことや衝突の回避を重視するキャラを介した人間関係は希薄で脆弱なものに過ぎないともいわれる[29]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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