キャメル_(バンド)
[Wikipedia|▼Menu]

キャメル
Camel
英モート・パーク公演(2015年)
基本情報
出身地 イングランド
サリー州 ギルフォード
ジャンルプログレッシブ・ロック
シンフォニック・ロック
カンタベリー・ロック
スペース・ロック
活動期間1971年 - 現在
レーベルMCA
デッカ/デラム/Gama
Camel Productions

メンバーアンドリュー・ラティマー (G/Vo)
コリン・バス (B/Vo)
デニス・クレメント (Ds)
ピート・ジョーンズ (Key)

旧メンバーピーター・バーデンス (Key)
ダグ・ファーガソン (G)
アンディ・ウォード (Ds)
ほか 以下を参照

キャメル (Camel) は、イングランド出身のプログレッシブ・ロックバンド

数ある同系列バンドの中でも叙情派のサウンドで知られ、1970年代のプログレ五大バンドに次ぐ一角として活動。1980年代以降は、創始者アンドリュー・ラティマー主導の体制に移行した、
略歴
黎明期(1969年 - 1973年)

[1]1969年イングランドサリー州ギルフォードで、アンドリュー・ラティマー(ギター)、ダグ・ファーガソン(ベース)、アンディ・ウォード(ドラム)のメンバーで「ブルー (Brew) 」という、ブルースを基調としたローカル・バンドを結成。

1971年シンガーソングライター 、フィリップ・グッドハンド=テイトのオーディションを受け、アルバム『アイル・ライト・ア・ソング (真実の心)(I Think I'll Write a Song)』にバック・バンドとして参加。同年、すでにゼムやソロ活動などでキャリアを重ね知名度もあったピーター・バーデンスは、アメリカ進出を考えており、メンバー募集の広告を「Melody Maker」誌に出す。それを見たアンディ・ウォードからのコンタクトがあり、ブルーのメンバーとセッションを行って意気投合。新バンドが発足する。

1972年春、契約が残っていたバーデンスのコンサートを、前年結成した新バンド「キャメル」として行う。コンサートが成功した結果、以後の継続が確定した。その後も母国でライブ活動の実績を積み、翌1973年MCAレコードよりデビュー・アルバム『キャメル・ファースト・アルバム (Camel) 』を発表。

バンド初期は、ラティマーの哀愁漂うエモーショナルなギター(主にギブソン・レスポールを使用)とバーデンスの軽快なキーボード、ウォードの多彩なドラムを軸に、美しいメロディをテクニカルな緊張感のある演奏で聴かせていた。
デッカ・レコード時代(1974年 - 1984年)創設者アンドリュー・ラティマー (1976年9月)

1974年、レコード会社をデッカ・レコード傘下の「デラム」に移籍。セカンド・アルバム『ミラージュ(蜃気楼) (Mirage) 』を発表。

1975年、アメリカの作家ポール・ギャリコの短編小説「スノーグース」を基にした3枚目のスタジオ作品となるコンセプト・アルバム『スノー・グース (Music Inspired by The Snow Goose) 』を発表。リリース後、全曲を演奏する公演も開催。後に、ロイヤル・アルバート・ホールロンドン交響楽団と共演し、全曲を演奏(この模様は後述の1978年のライブ・アルバム『ライヴ・ファンタジア (A Live Record) 』に収録)。以後の公演でも本アルバムからの曲をセレクションしたメドレー (Selection From "THE SNOW GOOSE") を演奏しており、キャメルの代表作のひとつと言える。ただし、ギャリコ側が「スノーグース」の命名に難色を示したため、タイトル頭に "Music Inspired by" と付け加えて発表した。

1976年、4枚目のアルバム『月夜の幻想曲(ファンタジア) (Moonmadness) 』発表。後日、諸問題からダグ・ファーガソンを解雇し、元キャラヴァンリチャード・シンクレア(ベース)に交代。ゲスト・メンバーとしてメル・コリンズ(サックス)等を迎えて活動。

1977年、アルバム『雨のシルエット (Rain Dances) 』を発表。初期の中心人物ピーター・バーデンス (1975年)

1978年、アルバム『ブレスレス - 百億の夜と千億の夢 (Breathless) 』を発表。アルバム収録後、ピーター・バーデンスがラティマーとの軋轢から脱退し、キャメルに入る以前にも活動していたヴァン・モリソンのバンドに加わる。後任に元キャラヴァンのヤン・シェルハース(キーボード)、さらにツアー・メンバーとしてやはり元キャラヴァンのデイヴ・シンクレア(キーボード)が参加。オリジナル・キャメルより元キャラヴァン・メンバーの比率が多くなり、『CARAMEL(キャラメル)』と渾名(あだな)された。

同年、2枚組アルバム『ライヴ・ファンタジア (A Live Record) 』を発表。これは初のライブ・アルバムであった。アルバム『雨のシルエット』までの初期からのライブ録音から選んだ楽曲と、ロンドン交響楽団と共演し『スノー・グース』全曲を演奏したライブ録音を収録。

1979年1月に初来日。ワールドツアー後、キャラヴァン再結成のためデイヴ・シンクレア、リチャード・シンクレアが脱退、さらにメル・コリンズも脱退。コリン・バスとキット・ワトキンスが加入。同年、アルバム『リモート・ロマンス (I Can See Your House From Here) 』を発表。

1980年1月に来日公演。アルバム一枚でキット・ワトキンスは脱退、代わりにダンカン・マッケイが加入。

1981年、アルバム『ヌードの物語 - Mr.Oの帰還 - (Nude) 』を発表[2]第二次世界大戦終戦後、フィリピンルバング島で29年間投降しなかった日本兵・小野田寛郎の当時の生活の模様等を書いた本を、1979年の来日時、アンドリュー・ラティマーが日本のプロモーターから贈られて読み、インスパイアされ制作されたコンセプト・アルバム)。以降、後にラティマーの妻になる詩人スーザン・フーヴァーがコンセプト面の役割を担当。

1981年、アルコール問題などでアンディ・ウォードが脱退。オリジナル・メンバーはラティマーのみとなり、以後バンドそのものがラティマーのソロ・プロジェクトの性質を持つようになる。同年、アルバム『シングル・ファクター (The Single Factor) 』を発表。

1984年、ドイツの東西分裂(ベルリンの壁)をテーマとしたコンセプト・アルバム『ステーショナリー・トラヴェラー (Stationary Traveller) 』を発表。同年5月、キャメル結成20周年記念のライブをロンドンのハマースミス・オデオンで開催。元メンバーのピーター・バーデンスがゲストとして参加し数曲を共演。公演の模様は『プレッシャー・ポインツ - キャメル・ライヴ - (Pressure Points) 』として発売した。
アンドリュー・ラティマー主導期(1984年 - 現在)

1984年、レコード会社等との間で契約問題(印税なども含む)関連の裁判になり、その影響で活動を休止する。結果はバンド側(アンドリュー・ラティマー側)に多くの主張が認められた。そしてラティマーは自宅を売却し、活動の拠点を北米に移して「キャメル・プロダクション」を設立。過去のアーカイヴや新規の音源、マネージメント事業などを自ら管理するようになった。盟友コリン・バス (2008年)

1991年、旧メンバーのコリン・バスらが参加し活動再開。ジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」をコンセプトにした7年ぶりのアルバム『ダスト・アンド・ドリームス 怒りの葡萄 (Dust and Dreams) 』発表。翌年に来日公演。

1996年、アルバム『ハーバー・オブ・ティアーズ 港町コーヴの物語 (Harbour Of Tears) 』を発表。翌年に来日公演。

1999年、アルバム『ラージャーズ 別れの詩 (Rajaz) 』を発表。翌年に来日するが、以降は暫く途切れる。

2002年、オリジナル・メンバーのピーター・バーデンスが死去。同年、アルバム『ノッド・アンド・ウィンク (A Nod And A Wink) 』を発表。

2006年、キャメル・プロダクションの活動拠点を母国に戻す。

2007年5月、ラティマーが1992年以降骨髄線維症になっていたことを妻のスーザン・フーヴァーがキャメル・プロダクションのウェブサイトで公表し、病気の進行状況の悪化により、予定していたツアーを中止。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:39 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef