キャッチ22
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この項目では、ジョセフ・ヘラーの小説について説明しています。加藤和彦のアルバムについては「Catch-22 (加藤和彦のアルバム)」をご覧ください。

キャッチ=22
Catch-22

作者ジョセフ・ヘラー
アメリカ合衆国
言語英語
ジャンル戦争小説不条理風刺ブラックユーモア
刊本情報
出版元サイモン&シュスター
出版年月日1961年
シリーズ情報
次作Closing Time(英語版)(1994年、未訳)
日本語訳
訳者飛田茂雄
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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『キャッチ=22』(Catch-22)は、20世紀アメリカ小説家ジョセフ・ヘラー(1923年 - 1999年)が1961年に発表した長編小説[1]。日本では古くは『軍規二二号』とも訳されていた[2]

第二次世界大戦中、地中海の小島に駐留するアメリカ空軍基地を舞台に、混沌と不条理が渦巻く世界をグロテスクなまでに誇張して描いた作品[3][4]。ヘラーの長編小説第1作であり、戦争を批判的に描きつつ、彼の持ち味であるブラックユーモアがことのほか精彩を放つ代表作でもある。本作はベストセラーとなり、無名のヘラーを一躍大家の地位に押し上げた[5][1]

1970年にマイク・ニコルズ監督によって映画化されている[5]
発表までジョゼフ・ヘラー(1986年の写真)

ヘラーは1923年、ニューヨーク州ブルックリン生まれのユダヤ系アメリカ人で、第二次世界大戦では空軍の航空士としてイタリア戦線に出征、中尉として終戦を迎えている。1948年にニューヨーク大学文学部を卒業し、翌年コロンビア大学の大学院でM.A.の学位を取得した後、オックスフォード大学で1年間英文学研究に従事、1950年から1952年までペンシルベニア州立大学の英文学講師を務めた。学生時代から『エスクァイア』誌などに短編小説を寄稿しており、1952年からは『タイム』、『ライフ』、『マッコールズ(英語版)』各誌の広告ライターや宣伝担当役員となる。1953年から『キャッチ=22』の執筆に取りかかり、8年を費やして書き上げた[6][7]
題名の経緯

本作の表題である「キャッチ=22」とは、物語内に登場する架空の軍規の名前を指しているが、1955年に『ニュー・ワールド・ライティング(英語版)』に第1章が掲載された際に付けられていた表題は「キャッチ=18」となっていた[8]。しかしながら、原稿の改定に時間を要し、刊行予定が1961年10月にずれこんだことで、同年1月に出版されたレオン・ユリスの新刊『Mila 18』と数字が重複するという理由から改題を余儀なくされた[9]。次に「キャッチ=11」という候補が挙げられたが、1960年に公開されたルイス・マイルストンの映画『Ocean's 11』と類似するという理由から没となり、ヘラーは「キャッチ=14」という表題とするようサイモン&シュスター編集のボブ・ゴッドリーブへ伝えた[9]。しかし、ゴッドリーブが平凡すぎるという理由で納得せず、最終的にゴッドリーブによって「キャッチ=22」という案が捻り出され、本作の表題とされた[10]。ゴッドリーブは2をふたつ重ねるという表題について、後付けではあるがこの小説の構造をよく表していると自己評価している[9]
反響

1961年、戦争の愚かさを皮肉な笑いで痛烈に批判した『キャッチ=22』によってヘラーは文壇に登場した[11]。戦争を題材に、不条理に徹した笑いという独自の視点から当時のアメリカを批判した本作について[11]、アメリカの文芸評論家フレデリック・R・カール(英語版)は「ブラックユーモア小説の聖典のように仰がれ続け、(中略)このカテゴリの長編小説としては頂点を極めている」と評した[12]。その一方で、レイモンド・M・オールダマンは「作品の問題点は多い。繰り返し、構成上の締りのなさ、結末のまとめ方のまずさなど。これらはまだなんとか説明がつくが、作品の総体としてのインパクトに欠けている」と指摘している[13]

発表当初、この作品の大仰な笑いと雑多な語りのために評価は二分されたが、徐々に複雑な構成や表現を読み解く批評が登場した。1971年、トマス・アレン・ネルソンは「『キャッチ=22』には責任という主題と結びつく様々な考えや問題を提示する、あるシニカルな行動様式がある」と、不条理で荒唐無稽に見える描写の下に、「責任」という社会的・人間的主題が存在することに着目する論文を発表した[11]。出版から25年後の1986年、アメリカの作家・文芸評論家のジョン・オールドリッジ(英語版)(1922年 - 2007年)は、『ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー』で『キャッチ=22』に対する高い評価が確定したと宣言、この作品について「この国が飲み込まれてしまったと思われた悪夢的状況をきわめて正確な隠喩的表現で映したもの」と評価し、社会風刺作家としてのヘラーの功績を称えている[11]
ベストセラー

『キャッチ=22』は、アメリカのベトナム戦争への直接介入以来、ますます出版部数を伸ばした[14]。アメリカ文学者の亀井俊介は「ベトナム反戦の若者たちは大喜びだった」と述べている[3]。1970年代に入ってからは売上はさらに倍増、1976年の時点で800万部を超えた[14]

『キャッチ=22』は、同世代のカート・ヴォネガット(1922年 - 2007年)らと並んでアメリカン・ブラックユーモア小説の代表格としての評価を獲得し[7]モダン・ライブラリーが選ぶ最高の小説100[15]タイム誌が選んだ小説100選ガーディアン紙「英語で書かれたベスト小説100冊」にそれぞれ選ばれている。

その一因として、本作の日本語訳者飛田茂雄(1927年 - 2002年)は、非現実的でユーモア作家の気まぐれの産物と思われた人物や出来事が、この小説の出版前はもとよりそれ以後も次々に起こり、現実の社会が小説を模倣する形になったとし、『キャッチ=22』を「奇想天外の戦争小説」と評している[16]。また、ヘラーが1974年に発表した長編小説『なにかが起こった(英語版)』の日本語訳者である篠原慎(1934年 - )も『キャッチ=22』について「おかしいが笑えない、読むうちに思わず慄然とするような迫力に満ちている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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