キャスリーン・セベリウス
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アメリカ合衆国政治家キャスリーン・セベリウスKathleen Sebelius

生年月日 (1948-05-15) 1948年5月15日(76歳)
出生地 アメリカ合衆国
オハイオ州シンシナティ
出身校トリニティ・ワシントン大学
カンザス大学
所属政党民主党
配偶者K・ゲイリー・セベリウス
親族ジョン・ギリガン(父,元オハイオ州知事)
ケイス・セベリウス(義父,元連邦下院議員)
アメリカ合衆国
9代目保健福祉長官
在任期間2009年4月28日[1] - 2014年6月9日
大統領バラク・オバマ
カンザス州
44代目知事
当選回数2回
在任期間2003年1月13日 - 2009年4月28日
副知事ジョン・E・ムーア
マーク・パーキンソン
カンザス州
23代目保険長官
在任期間1995年1月9日 - 2003年1月13日
州知事ビル・グレイヴズ
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キャスリーン・セベリウス(Kathleen Sebelius,旧姓はギリガン(Gilligan),1948年5月15日 - )は、アメリカ合衆国政治家。所属政党は民主党、宗教はローマ・カトリックである。

2003年から2009年までカンザス州知事を務めた他、2008年度の一般教書演説に対する反対声明発表者や[2]、民主党全国州知事会会長など党内の要職を歴任した。バラク・オバマ政権で9代目アメリカ合衆国保健福祉長官を務めていたが[3]2014年4月10日医療保険制度改革の保険加入サイトで、不具合が起こった責任を取って辞任を発表し[4]、2か月後に退任した。
生い立ち・政界進出までの経歴など

1948年5月15日にオハイオ州シンシナティカトリック教徒の家に誕生した。父のジョン・J・ギリガンは文学者で、また民主党員でもあり、後に下院議員やオハイオ州知事を務めた政治家である。彼女は、シンシナティ市内にある幼稚園から高校課程までの一貫教育を行っているカトリック系の私立学校「サミット・カントリー・デイ・スクール」を卒業後、同じくカトリック系の私立大学トリニティ・ワシントン大学に進学、さらにその後カンザス大学行政学修士号(行政学修士号(MPA))を取得した。
知事になるまでの政治経歴
カンザス州保険長官就任まで

セベリウスが政治家としてのキャリアをスタートさせたのは、カンザス州議会下院議員に就任した1986年のことである。彼女は1974年にカンザス州に移り住んだ後、1977年から1986年までの約10年間にわたってカンザス州法廷弁護士協会(現・カンザス州弁護士協会)の最高責任者兼チーフロビイストを務めた。その後、1986年にカンザス州議会の下院議員に就任してからは、1994年にカンザス州保険長官[5] の選挙に出馬するために議員を辞職するまでの8年間にわたって同職を務めた。
カンザス州保険長官として

カンザス州の保険長官に立候補・当選したセベリウスは、1995年から2003年にカンザス州知事に就任するまでの8年間にわたって長官を務めた。セベリウスが勝利するまで、保険長官のポストは長年にわたって共和党の政治家が就いてきたポストであり、そのためセベリウスの勝利は、政治・選挙予測の専門家たちを驚かせることとなった。ちなみにこの当選によりセベリウスは、当選までの10余年の間で、民主党員としてはじめて保険長官に就任した人物となった。

セベリウスは保険長官に立候補するにあたって、保険業界からの選挙資金の献金を辞退すると共に、在任中にはインディアナ州の保険会社による地元カンザス州で最大の健康保険会社、ブルークロス・ブルーシールド・オブ・カンザス(BCBSKS)[6] への買収提案を阻止するなどの業績を挙げた。特にこのBCBSKSの買収阻止は、アメリカで初めて買収提案が拒否された事案として、セベリウスの政治業績の中でも特に注目すべき業績である[7]
カンザス州知事としてコンドリーザ・ライス国務長官(当時)と面会するセベリウス(左から2人目)ら4人の州知事たち。写真左側から順に、ヘイリー・バーボア知事(ミシシッピ州)、セベリウス、ライス国務長官、ジェニファー・グランホルム知事(ミシガン州)、ソニー・パーデュー知事(ジョージア州)の各氏。

セベリウスは2002年のカンザス州知事選挙で初当選を果たし、その後2期約6年にわたって知事を務めた。ちなみに2002年の初当選により、セベリウスは父のジョン・ギリガン(元・オハイオ州知事)と共に、州は異なるものの全米初の父娘2代で州知事になった人物となった。
2002年カンザス州知事選挙 (1期目)

2002年の州知事選挙において、セベリウスは共和党候補のティム・シャレンバーガーを得票率53%対45%で破り[8]、州知事初当選を果たした。このセベリウスの当選によって、民主党は1995年にジョアン・フィニー知事(当時)が任期満了で退任して以来、およそ8年ぶりに共和党からカンザス州知事の座を奪還した。また、前述のフィニー知事はカンザス州初の女性知事でもあり、セベリウスはカンザス州で2人目の女性知事となった。

1期目の任期中において、セベリウスはタイム誌で「全米で最も素晴らしい州知事5人」の1人に選ばれるなど、その政治姿勢・政策は非常に高い評価を受けた。また当選以来、人気・知名度も着実に上昇し、2006年1月の調査では「全米で最も人気のある州知事ランキング」で12位タイに入るなど、知事としてのキャリアを着実に重ねていった[9]
2006年カンザス州知事選挙 (2期目)2007年5月4日にカンザス州グリーンスバーグを襲った竜巻の現場で行われたR・デイヴィッド・ポールソンFEMA長官(当時)による救援・復旧作業に関するブリーフィングに同席するセベリウス(前列右端の女性)ら関係者。なお前列左端の男性は、カンザス州選出のサム・ブラウンバック上院議員(共和党)である。

セベリウスは2006年5月26日に、2期目に向けて出馬することを表明した。その4日後には、カンザス州共和党の議長を務めていたマーク・パーキンソンが民主党に転向することを表明し、これを受けてその翌日には、セベリウスが退任予定であったジョン・ムーア副知事の後任としてパーキンソンを副知事候補(いわゆるランニング・メイト)に指名することを発表するなど、再選に向けた支持固めは着々と進んでいった。ちなみにパーキンソンは、1991年から92年まで州議会下院で、1993年から97年まで州議会上院でそれぞれ議員として活動するなどカンザス州政界で豊富な経歴を持つ人物で、また政治思想的には公教育への支援強化を支持しており、共和党内でも穏健派と見なされていた人物である。ちなみに前述のムーア副知事も、元々は共和党員であったがセベリウスを支持して民主党に転向、ランニング・メイトに指名されたという共通点を持っている。

セベリウスの対抗馬となったのは、共和党のジム・バーネット候補(カンザス州議会上院議員)であった。ちなみに選挙戦前の2004年時点では、カンザス州の全有権者のうち50パーセントが共和党員として登録しており、民主党員として登録しているのは27パーセントに過ぎず[10]、民主党セベリウス陣営にとっては不利とも思われる状況であった。しかし、同年9月1日に公表された世論調査会社ラスムセンが行った世論調査では、バーネット議員に対して11パーセントリードという大差を付け[11]、また別の世論調査では20%近くリードしているという結果が出るなどセベリウスのリードは盤石のもので、11月7日に投開票が行われた選挙では、得票率で57.8%対40.5%という20%近い大差を付け、地滑り的勝利を収めた。


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