キャスト_(バンド)
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メキシコのプログレッシブ・ロック・バンド「キャスト (メキシコのバンド)」とは異なります。

キャスト
キャストのジョン・パワーとキース・オニール
基本情報
出身地 イギリス リヴァプール
ジャンルブリットポップインディー・ロック
活動期間1992年 - 2001年
2010年 -
レーベルポリドール
キャスト・レコーディングス
共同作業者ザ・ラーズ
公式サイト ⇒castband.co.uk

メンバージョン・パワー
リアム・ "スキン" ・タイソン
キース・オニール
ジェイ・ルイス

旧メンバーピーター・ウィルキンソン

キャスト (Cast) は、イギリスリヴァプール出身のロックバンド
概要

1992年、元ザ・ラーズのジョン・パワーを中心に結成。ブリットポップ・ムーブメントに沸いた当時のUKロック界を担うバンドのひとつとして人気を集め、デビュー曲から10枚連続でシングルが全英トップ20入りを記録。ファースト・アルバム『オール・チェンジ』は全世界で100万枚を超えるヒットとなるなど、ザ・ラーズを上回る大きな成功を収めた。

また、キャストのライブを見たオアシスノエル・ギャラガーからは「宗教的経験(religious experience)」と評されるなど、ライブ・バンドとして定評があり、当時のプレスからは「1990年代版ザ・フー」とも呼ばれていた。

2001年に一旦解散、メンバーのソロ活動を経て2010年に再結成。2012年と2015年にサマーソニック出演のため来日。2019年10月には単独来日公演を行った。
来歴

リー・メイヴァース率いるバンド、ザ・ラーズのベーシストとして活動していたジョン・パワーは、バンド活動が中々進展しないこと(詳細は「ザ・ラーズ」の項を参照)、また自身が書き溜めていた楽曲を発表する機会を求めていたことから、1991年にザ・ラーズを脱退。翌年、ジョンはベースからギターに転向し、同郷リヴァプール出身の元シャックのピーター・ウィルキンソン(ベース)をともにキャストを結成。その他のメンバーは流動的だったが、リアム・ "スキン" ・タイソン(リードギター)、キース・オニール(ドラムス)が加わり、不動のラインナップとなる。1994年、エルヴィス・コステロオアシスのライブで前座を務めたことがきっかけとなり、ポリドールと契約。

1995年7月、デビュー・シングル「ファイン・タイム」を発表。全英チャートの17位を記録し、オアシスの「スーパーソニック」が持っていた新人バンドのデビュー・シングル初登場順位(31位)の記録を更新した。同年10月にはジョン・レッキーをプロデューサーに迎えて制作されたファースト・アルバム『オール・チェンジ』を発表。ブリットポップ全盛の時期にあって、親しみやすいポップさを持つキャストの楽曲は大衆から熱狂的に支持され、アルバムは最高位7位、1年半もの間、全英チャート入りするロング・セラーとなり、ポリドール所属アーティストのデビュー作としては最も高い売上を記録した。アルバムからは「オールライト」(13位)や名バラード「ウォークアウェイ」(9位)といったヒット曲が生まれた。

1996年、アルバム未収録の新曲「フライング」は全英4位とバンドにとって最大のヒットを記録。1997年4月、セカンド・アルバム『マザー・ネイチャー・コールズ』を発表。前作と同じくジョン・レッキーがプロデュースしたアルバムは、最高位3位を記録、前作同様プラチナ・ディスクを獲得する成功をおさめた。アルバムからは「フリー・ミー」(7位)、「ガイディング・スター」(9位)など4枚のヒット・シングルが生まれた。

1999年5月発表のサード・アルバム『マジック・アワー』では、プロデューサーにギル・ノートン、ストリングス・アレンジにデヴィッド・アーノルドをそれぞれ起用し、オーケストラを導入するなどよりスケール感を増した路線へシフト。アルバムからは「ビート・ママ」(9位)、「マジック・アワー」(28位)の2枚がシングル化された。アルバムは全英6位を記録したものの、前作までのようなビッグヒットとはならずセールス的には落ち込んだ。この時期にはブリットポップは完全に終焉を迎えており、同じようにキャストの勢いも少しずつ下降線をたどっていった。

2001年7月、4枚目のアルバム『ビートルート』を発表。このアルバムは主にジョン・パワーと共同プロデューサーのトリスティン・ノーウェルによってレコーディングされ、ジョン以外のメンバーはほとんどレコーディングに参加しなかったという。当時、ジョンがハマっていたというファンクレゲエの影響を全面に取り入れたアルバムの音楽性は、旧来からのファンからの反発を招き、先行シングル「デザート・ドラウト」は45位、アルバムは全英78位とセールス面では完全に失敗に終わった。予定されていた全英ツアーをキャンセルとなり、そのまま活動停止(実質的には解散)となった。

解散後、ジョンはソロ活動を開始、フォークやブルース色の強いソロ・アルバムを3枚発表する一方、2005年にはザ・ラーズの再結成ツアーにも参加した。ベースのピーターは、エコー&ザ・バニーメンのサポートや再結成したシャックに再加入した。ギターのリアムは、ロバート・プラントのバックバンド、ストレンジ・センセーションのメンバーとして活躍。ドラムのキースは、ベイビーシャンブルズジョニー・マーなどのツアー・マネージャーへ転向した。

キャスト解散から9年が経ち、2010年にジョンはキャストの楽曲を演奏するソロ・ツアーを敢行。そのツアーでジョンが新たに作って演奏していた曲が、ソロではなくキャストとして発表するに相応しい楽曲群だと感じたジョンは、すぐに各メンバーに連絡を取り、オリジナル・メンバーで再結成することを発表。デビュー作である『オール・チェンジ』発表から15周年に当たるということで、同作の再現ライブを行う形で再結成ツアーを敢行した。

2011年、再結成後初のアルバム(通算5作目)『トラブルド・タイムズ』を制作。まずは同年11月に、制作資金のクラウドファンディングを募るサイト、PledgeMusicを通じてリリースされ、翌2012年2月に一般発売された。プロデュースには初期2作を手掛けたジョン・レッキーを迎え、ブリットポップ全盛期の音楽性を取り戻そうとするようなアルバムとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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