キャイ?ン
復興庁「Dシャトルプロジェクト」(2018年)
左:ウド、右:天野
メンバー天野ひろゆき
ウド鈴木
結成年1991年
事務所浅井企画
活動時期1991年 -
出会い山中伊知郎の紹介
旧コンビ名ランドレース(ウド)
コンビ解消(天野)
チャネリングファック1号2号
現在の活動状況テレビ・ラジオ・ライブなど
芸種漫才
コント
ネタ作成者天野ひろゆき
過去の代表番組もしもツアーズ
いまあま・シネマガ
ウリナリ!!
特上!天声慎吾
リンカーン
同期ウド
千原兄弟
FUJIWARA
バッファロー吾郎
なだぎ武
堀内健・原田泰造(ネプチューン)ほか天野
飯尾和樹(ずん)
ナインティナイン
宮川大輔
よゐこ
日村勇紀(バナナマン)ほか
公式サイト ⇒公式プロフィール
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キャイ?ンは、浅井企画に所属する日本のお笑いコンビ。 2人共お笑い芸人として浅井企画に所属。同い年だが、ウドの方が1年先に事務所へ入っている。当初はそれぞれ別々のコンビを組んでいたが、解散を経て山中伊知郎の助言により1991年に現在のコンビを結成[注 1]。捉えどころの無いウドのボケとそれを転がす天野のコンビネーションによってキャイ?ン独自の笑いのスタイルを作り上げ、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)の若手新人芸人ネタを披露するコンテストコーナーと、その後に行われた大喜利コーナーにて人気・知名度が急上昇した[注 2]。登場する時に行う「キャイ?ンポーズ」も当番組で一般によく知られるようになり、現在は数々のバラエティ番組へ出演中。キャイ?ンポーズ コンビにおける同期(これは天野のデビューと一致する)は、ナインティナインや宮川大輔といったNSC大阪校9期やよゐこ、日村勇紀(バナナマン)など。しかしウドは天野の1年先輩であり、同期は千原兄弟、FUJIWARA、なだぎ武などのNSC大阪校8期や堀内健・原田泰造(ネプチューン)があたる。しかしネタ作りなどを天野に任せていたり、天野に対し『天野くん』と溺愛する仕草をしたりするため天野含め芸人はウドと同期として接している。ウド曰く漢字表記の『天野君』では硬くなりすぎるため『天野くん』と、「くん」は平仮名表記が適している[注 3]。 先述の通りネタは天野が全て書いており、天野曰く「ウドならこう言う」とイメージしながら作っている。結成当時は時事ネタの爆笑問題と、ボケの玉袋筋太郎によるバカキャラが売りの浅草キッドが最も勢いのある漫才師とされ、天野はその中間を狙って難しい時事ネタをウドというバカキャラを通して解りやすく伝えるのを根底にネタを書くとのこと。またウドはネタの覚えが悪いため、ネタ中のフリのほとんどは天野が行っている[注 1]。 例えるなら漫才ブームで見られた「ボケが主導で、それにツッコミが一言ツッコミを入れる」と同様に「ツッコミが主導で、ボケが一言ボケてからツッコミがツッコむ」スタイルであるといえる。 コンビ名は漫画『マカロニほうれん荘』に登場するキャラクターのセリフからとったもので、天野が命名。「?」の部分だけはウドが考えた。その時のコンビ名候補としてウドは「ヒトエーズ(2人とも目が一重だから)」を推していた[注 1]。 初舞台は「チャネリングファック1号2号」という適当につけたコンビ名を名乗りギャグを多用した漫才を演じていたが[注 4]、この名前ではテレビには出られないことに気付いてコンビ名を改めた。 ウドの天野に対する溺愛ぶりが有名で、「お笑い界一仲の良いコンビ」と称される。同じく仲良しのコンビとして知られる三村マサカズ(さまぁ?ず)からも「デビューからこれだけ変わらないコンビも珍しい」と言われるほど仲が良い(詳細はウド鈴木を参照)。 デビューしたての頃にビートたけしのお笑いウルトラクイズで共演したことがきっかけで出川哲朗と親しくなり[注 4]今でも「隊長」と呼び、自分たちのことを「出川ファミリー」と称するほど慕っている。
メンバー詳細は「天野ひろゆき」および「ウド鈴木」を参照
天野 ひろゆき(あまの ひろゆき、1970年3月24日 - )(54歳)
ツッコミ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。
ウド 鈴木(ウド すずき、1970年1月19日 - )(54歳)
ボケ担当、立ち位置は向かって左。
来歴・人物