キッド級ミサイル駆逐艦
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キッド級ミサイル駆逐艦
DDG-993 キッド
基本情報
艦種ミサイル駆逐艦
命名基準海軍功労者
太平洋戦争中に戦死した少将
建造所インガルス造船所
運用者 アメリカ海軍
 中華民国海軍
建造期間1978年 - 1982年
就役期間1981年 - 1999年
2005年 - 就役中
建造数4隻
原型艦スプルーアンス級 (DD)
前級チャールズ・F・アダムズ級
次級アーレイ・バーク級
要目
軽荷排水量6,950 t[1][2]→7,326 t[3]
満載排水量9,574 t[1][2]→9,950 t[3]
全長171.70 m
最大幅16.76 m
吃水7.01 m
機関方式COGAG方式
主機LM2500ガスタービンエンジン (20,000馬力)×4基
推進器可変ピッチ・プロペラ×2軸
出力80,000馬力
最大速力33ノット
航続距離6,000海里 (20kt巡航時)
乗員士官32名+下士官兵332名
兵装

54口径127mm単装砲×2基

Mk.15 ファランクスCIWS×2基

Mk.26 ミサイル連装発射機×2基

スタンダードMR SAM

アスロック SUM


ハープーンSSM 4連装発射筒×2基

324mm3連装短魚雷発射管×2基

搭載機SH-2 LAMPSヘリコプター×2機
C4ISTAR

海軍戦術情報システム
(リンク 11 / 14)

武器管制システム

FCS
Mk.74 SAM用×2基

Mk.86 砲・SAM用×1基

Mk.116 水中攻撃指揮用×1基

レーダー
AN/SPS-48C→E 3次元式×1基

AN/SPS-49(v)2→5 対空捜索用×1基
※後日装備

AN/SPQ-9A 目標捕捉用×1基

AN/SPS-55 対水上用×1基

AN/SPS-64(V)9 航法用×1基

ソナーAN/SQS-53A 船首装備式×1基
電子戦
対抗手段

AN/SLQ-32(V)5 電波探知妨害装置

Mk.137 デコイ発射機×4基

AN/SLQ-25 対魚雷デコイ装置

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キッド級ミサイル駆逐艦(キッドきゅうミサイルくちくかん、英語: Kidd-class guided missile destroyers)は、アメリカ海軍ミサイル駆逐艦の艦級[1][2]アメリカ合衆国で開発されていたスプルーアンス級駆逐艦防空艦派生型の設計に基づいて帝政イラン海軍が発注したものの、イラン革命によってキャンセルされた艦をアメリカ海軍が買い取って建造を継続・就役させたものである。

イージス艦実用化前夜、有力な防空艦として活躍したものの、イージス艦の増勢に伴って相対的な陳腐化が指摘され、1999年に運用を終了した。その後、2006年までに全艦が中華民国台湾)に売却されて、基隆級駆逐艦(Kee Lung-class destroyers)として運用されている[3]
来歴

1970年代パフラヴィー朝統治下のイラン海軍は、大戦世代のバトル級駆逐艦アレン・M・サムナー級駆逐艦を主力としていたものの、アレン・M・サムナー級にはスタンダード艦対空艦対艦ミサイル発射機を搭載し、また1971年から1972年にかけてイギリス製のサーム級フリゲートを導入するなど、順次に更新強化を図っていた。またこの時期のイランは、モハンマド・レザー・パフラヴィー国王の親欧米路線と潤沢なオイルマネーを背景に軍備拡張を進めており、空軍にはF-14戦闘機陸軍にはM60A1戦車などの新鋭兵器が導入されていたが、海軍も、インヴィンシブル級軽空母にも興味を持つなど、大規模な戦力強化を検討していた[4]

この一環として、1973年頃より防空の中枢となる巡洋艦の保有が検討されはじめていた[5]。当時アメリカでは、DX計画のもとで、画期的な対潜艦たるスプルーアンス級駆逐艦の建造に着手するとともに、同級とファミリー化した防空艦(DXG)の計画を検討していた。帝政イラン海軍はこのDXGに着目し、1974年に6隻を発注したが、船価が1隻あたり3億3,000万USドルに高騰したこともあり[5][6]、1978年3月23日に5・6番艦はキャンセルされた。そして1979年にイラン革命が発生し、イスラム共和制に移行すると、新政府はこのような艦を必要としていなかったことから、2月3日に最初の2隻が、3月31日には残る2隻もキャンセルされた[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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