キットカット
[Wikipedia|▼Menu]

キットカット
販売会社ネスレ日本
外部リンクwww.kitkat.com
テンプレートを表示
キットカット(アメリカ合衆国版)の断面英米のキットカットの様々な種類。「Pop Choc」(イギリス)、普通のキットカット(アメリカ)、「Big Kat」(アメリカ)。

キットカット (KitKat) は、ネスレ (Nestle) が製造するチョコレート菓子。

細長い長方形状のウエハースを重ねてチョコレートでコーティングし、棒状にした菓子で、これを4本または2本束ねたものがパッケージされる。

キットカットは販売地域の嗜好性に応じ、パッケージデザインは同じでも国や地域ごとに風味が異なる[1]。アメリカ合衆国はザ・ハーシー・カンパニー日本ネスレ日本がそれぞれ製造している。英語: Have a break, Have a KitKat. のキャッチコピーが有名。

英語での発音は「キッカ」などのように聞こえるが、本項では引用以外は日本で正規に製造販売するネスレ日本が定める『キットカット』とする。
歴史キットカットが生まれたロントリー社のヨーク工場。現在はネスレの工場香港海防博物館に展示されている、戦時中から戦後(1942?1949年ごろ)にかけての青いキットカットのパッケージ

キットカット ("Kit Kat") と称される食品が登場したのは18世紀のイギリスで、当時はミートパイのことを指した。18世紀初頭にロンドンで、クリストファー・カット (Christopher Catt) が経営していたタバーン(食堂)は、経営者の名前から「キット・カット」と呼ばれた羊肉パイを出していた。クリストファーの当時の愛称はキットであった。政治的・文学的な集まり「キット・カット・クラブ(英語版)」(Kit-Cat Club) の名の由来も、第一回の会合がこの食堂で開催されキット・カット・パイを食しながら話を進めたことにある。

チョコレート菓子のキットカットは、ヨークにあった菓子会社ロントリー (Rowntree's) が開発した。ロントリーは1911年に「キット・カット」("Kit Cat" および "Kit Kat")の商標を登録したが、即座にこの名前を商品に使用したわけではない。1920年代に「キット・カット」(Kit Cat) の名称を箱詰めチョコレートに使用したが、1930年代初頭に「ブラックマジック」(Black Magic) や「デイリーボックス」(Dairy Box) という商品に生産を集中してキットカットは生産されなくなった[2]

現在のキットカットと同じフォーフィンガーバー(4本のバーを束ねたチョコレートウェハース)の開発を始めたのは、工場の提案箱に「男性がランチパックに入れて職場に持って行けるようなチョコレートバーの開発を」という従業員から寄せられた提案がきっかけだった[3][4]1935年8月29日に「ロントリーズ・チョコレート・クリスプ」(Rowntree's Chocolate Crisp) の名でロンドンとイングランド南部一帯で発売した[5]

「チョコレート・クリスプ」は大ヒットしたが、1937年に覚えやすいように「キットカット・チョコレート・クリスプ」(Kit Kat Chocolate Crisp) と改名され、宣伝戦略として「キットカット」の名と「ブレイク」(Break、「休憩しよう」と「バーを割って食べよう」の掛詞)というコンセプトで大々的に広報した。しかし1942年第二次世界大戦の激化で食料の配給が滞り、牛乳が十分に入手できなくなったロントリーは、従来の赤いパッケージとレシピを変更し、青いパッケージで「ダーク」味に変更された「キットカット」(チョコレート・クリスプという部分はこの時点から消えた)を発売、「従来のチョコレート・クリスプは戦争が終わるまで作れません」と広告した[4]1949年に牛乳の供給が回復したため、戦前の「ミルク」味と赤いパッケージが復活したが、同時期のブランド戦略の開始により名称は覚えやすい「キットカット」のままとなった。

1940年代に、イギリスでの成功を受けてカナダ南アフリカアイルランドオーストラリアニュージーランドと輸出先を広げた。1958年から広告代理店 JWT Orland の取締役 Donald Gilles が「Have a Break, Have a Kit Kat」のキャッチコピーを作り、テレビコマーシャルなどで使用されて今日まで至る[4]1969年にロントリーは、同業の製菓会社ジョン・マッキントッシュと合併してロントリー・マッキントッシュになった。1970年代にロントリー・マッキントッシュは、西ドイツに工場を設けてヨーロッパへ供給を開始し、アメリカ合衆国1970年ハーシーズと、日本で1973年から不二家とブランド使用と生産に関する合意を交わしてそれぞれ発売した[2]1988年6月にロントリー・マッキントッシュはネスレ社に買収され、キットカットの国際展開もアメリカ合衆国を除いてネスレが一手に引き受けることになり、ネスレはアジアの需要の高まりに対して日本、マレーシア、インド、中国に新工場を建設した[2]。アメリカでは従来通りハーシーズが生産を続け、同社の全米売り上げのトップ5に入るブランドとなっている。
日本のキットカット
概要

日本では1973年にイギリスのロントリー・マッキントッシュ社と提携した不二家から発売され、CMなどでも「マッキントッシュのキットカット」とうたわれていたが、ロントリー・マッキントッシュ社がネスレに吸収された関係で、1989年にネスレと不二家の合弁企業「ネスレマッキントッシュ」(当時不二家マッキントッシュ→ネッスルマッキントッシュ)を設立し、移管。ネスレマッキントッシュはネスレコンフェクショナリーに社名を変更した後、2010年にネスレ日本に吸収された。

2005年には、関連商品としてキットカットをチョコレートでコーティングしていない「クリスピー物語」も発売されている。

2010年8月30日に、発売以来の大幅なリニューアルを実施。37年ぶりにウエハースの食感を改良し、サクサク感を向上させた。

2011年3月に、ポケットタイプの中身をオリジナルサイズ2個から、ミニサイズ3個に変更した。

2014年1月に、パティシエ・高木康政による高級志向のキットカット専門店、「キットカット ショコラトリー」の1号店が池袋にオープン。キットカット専門店としては世界初となり、その後も全国展開を続けている。

2018年1月、天然ピンク色のチョコレート「ルビーチョコレート」を世界で初めて商品化した「サブリム ルビー」を期間限定で発売した[6]
TV放送

関西ローカル情報番組でキットカットの工場見学が過去2回紹介された(いずれも茨城県稲敷市にあるネスレ日本の霞ヶ浦工場)。

毎日放送せやねん!』 - 「かつみ?さゆりのメチャ売れ!」(2008年10月18日放送)

関西テレビよ?いドン!』 - 「矢野・兵動の人気モン見学」(2009年10月15日放送)


2012年10月27日にテレビ朝日系列で放送された『お願い!ランキングGOLD』の「第1回 お菓子総選挙」のチョコレート部門で『キットカット オトナの甘さ』が第11位にランクインし、『キットカットミニ15枚』が他社のチョコレート製品を抑え、第1位となった。2013年4月20日も同番組で「第2回 お菓子総選挙」が開催されチョコレート部門で第1位となった。

CM

1970年代半ば、ラジオCMにブレイク前のダウン・タウン・ブギウギ・バンドを起用し、社名のマッキントッシュ、製品名のキットカット、ゴールデン・トフィーを連呼するオリジナルCMソングが話題となった。
歴代CMキャラクター

1977年 - ベイ・シティ・ローラーズ

1978年 - 沢田研二

1985年 - 1988年 - 宮沢りえ後藤久美子

1992年 - 1996年 - 一色紗英

1996年 - 菅野美穂

1998年 - 中山エミリ

2001年 - 水橋貴己

2002年 - 2006年 - 鈴木杏(ネットムービー『花とアリス』(2003年)。キットカット日本発売30周年記念)※受験生応援キャラクター

2007年 - 2010年8月 - 北乃きい(ネットムービー『ハルノ呼吸』)※受験生応援キャラクター


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:43 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef