キッコーマン
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キッコーマン株式会社
KIKKOMAN CORPORATION

野田本社
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 2801
1949年5月16日上場大証1部(廃止) 2801
2013年7月12日上場廃止
本社所在地 日本
278-8601
千葉県野田市野田250番地
設立1917年大正6年)12月7日
(野田醤油株式会社)
業種食料品
法人番号2040001071167
事業内容持株会社としてのグループ戦略立案及び各事業会社の統括管理
代表者堀切功章代表取締役会長CEO
中野祥三郎(代表取締役社長COO
山ア孝一(代表取締役専務執行役員CSO
資本金115億9900万円
発行済株式総数2億1038万3202株
売上高連結:4681億19百万円
(2021年3月期)
営業利益連結:426億13百万円
(2021年3月期)
純利益連結:288億28百万円
(2021年3月期)
純資産連結:3114億02百万円
(2021年3月期)
総資産連結:4274億70百万円
(2021年3月期)
従業員数連結:7,645人
(2021年3月31日現在)
決算期3月31日
会計監査人EY新日本有限責任監査法人[2]
主要株主日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 10.04%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 5.50%
(株)千秋社 3.19%
主要子会社キッコーマン食品(株) 100%
キッコーマン飲料(株) 100%
キッコーマンビジネスサービス(株) 100%
日本デルモンテ(株) 100%
マンズワイン(株) 100%
(株)フードケミファ 100%
キッコーマン総合病院 100%
関係する人物茂木啓三郎(元社長、中興の祖)
茂木友三郎(元社長・会長、現取締役名誉会長兼取締役会議長
外部リンクキッコーマン株式会社
特記事項:東京本社は東京都港区西新橋二丁目1番1号に所在する。各種経営指標は2017年3月期。
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キッコーマン株式会社(: KIKKOMAN CORPORATION[3])は、千葉県野田市に本社を置く、醤油を主とする調味料加工食品の大手企業である。2009年(平成21年)10月に新設分割により3つの事業子会社を設立し、純粋持株会社に移行した。日経平均株価の構成銘柄の一つ[4]
概要詳細は「野田の醤油醸造」を参照「亀甲萬」紋をイメージロゴとしているキッコーマンの最も有名な製品である卓上醤油瓶(英語ラベル「KIKKOMAN」「Soy Sauce」)

江戸時代野田周辺は水運が盛んであった。東側の利根川沿いは大豆小麦の生産地、西を流れる江戸川下流には行徳塩田があり、大消費地の江戸にも通じているなど、醤油造りに有利な条件が揃っていた。有力醸造業者であった茂木一族と梨一族の8家が合同して1917年大正6年)に設立した「野田醤油株式会社」が前身である。後述のように、複数あった醤油商標のうち亀甲萬(キッコーマン)を後に統一商標および社名とした。現在は醤油、及び醤油を使ったタレ、つゆ、ポン酢出汁など和風醸造調味料が主力で、ウスターソースなども製造・販売している。

第二次世界大戦前から海外展開を積極的に行い、世界100ヶ国以上で醤油を販売している。また、主力の醤油のシェアは高く、日本シェア30%、世界シェア50%である。特にアメリカ合衆国でのシェアは55%と高く、「Kikkoman」は日本の醤油(Japanese soy sauce)のブランドとして広く定着している。

本店、野田工場(千葉県野田市野田110)のほか、国内拠点の約半分が創業地である野田市周辺に集中している。野田工場の敷地内には、1939年昭和4年)に建てられた御用蔵があり、現代でも空調を使わない伝統製法で醤油を醸造している。見学ができるほか、ここで製造された「亀甲萬御用蔵醤油」が販売もされている。1991年平成3年)は工場見学用の企業博物館「もの知りしょうゆ館」を開館。年間約13万人が訪れる[5]西日本向けには兵庫県高砂市の高砂工場(高砂市荒井町新浜1-1-1)も主力工場としての役割を担っている。営業・販売等の社内での管理業務については、東京都港区西新橋二丁目に所在する東京本社が行う。

醤油以外にも様々な事業展開を行っており、調味料、健康食品、バイオ事業、外食中食事業、食料品卸売事業を幅広く展開している。かつては利根コカ・コーラボトリングコカ・コーラ国内ボトラーの一社)に出資していた。

1985年(昭和60年)、農林水産省果樹試験場とキッコーマンの共同研究でオレンジカラタチを融合した世界初のバイオ果実「オレタチ」という果実が誕生した。現在は食用には至ってないが、野田工場内「もの知りしょうゆ館」の中庭に植えられている。
商号・商標

現社名は、前身8家の合同による野田醤油会社創立に際し、醤油統一商標「亀甲萬」とする[6]。前身の1つ、茂木佐平次家の用いた商標「亀甲萬」は香取神社の亀甲と「は萬年」をかけたとされる。あるいは、元々の考案者は第4代鈴木万平であり、譲渡されたという説もある[7]

2008年(平成20年)6月にコーポレート・ブランドを刷新した。制定から20年以上にわたって使われてきたコーポレート・マークは、これまでの大文字(KIKKOMAN)から小文字(kikkoman)に変更し、ブランドカラーは赤からオレンジに、マークの右上には伝統の六角形のマーク(六角形の中に「萬」)が添えられた。製品に記載されるコーポレート・マークについては、刷新後に、これまで記載されていなかったパッケージ正面にも記載されるようになった。

コーポレート・スローガンは2005年(平成17年)に食育スローガンとして制定されていた「おいしい記憶をつくりたい。」。このスローガンは日本国内向けで、世界では「seasoning your life」を用いる。

卓上醤油差しのデザインはGKデザイングループ社長の榮久庵憲司による。アメリカ合衆国で、2007年立体商標の権利を取得している。ちなみにアメリカ向けの醤油差しには、「REFILL ONLY WITH KIKKOMAN」(詰め替えはキッコーマンに限る)と記されている。
沿革茂木佐平治

1661年寛文元年) - 上花輪村名主19代高梨兵左衛門が野田で醤油醸造を始める[8]

1662年(寛文2年) - 茂木七左衛門家が味噌づくりを始め、後年には分家の茂木七郎右衛門家が高梨家とともに醤油を作り始める[9]

1781年天明元年) - 後の野田醤油の基礎になる亀屋市郎兵衛、高梨兵左衛門、粕屋七郎右衛門(茂木一族)、茂木七左衛門、大塚弥五兵衛、杉崎市郎兵衛、竹本五郎兵衛の7家が成立、野田醤油仲間結成[9][10]。 後、茂木一族各家など醸造家が増えていく。


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