キエフ級航空母艦
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キエフ級航空母艦
1143型航空巡洋艦
3番艦「ノヴォロシースク」
基本情報
艦種航空巡洋艦軽空母
運用者 ソビエト連邦海軍
 ロシア海軍
建造期間1973年 - 1987年
就役期間1975年 - 1995年
建造数4隻
前級1123型(モスクワ級)
次級1143.5型(アドミラル・クズネツォフ級)
要目
#諸元表を参照
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キエフ級航空母艦(キエフきゅうこうくうぼかん、英語: Kiev-class aircraft carrier)はソ連海軍が運用していた航空母艦の艦級。ソ連海軍では航空巡洋艦(Тяжёлые авианесущие крейсеры проекта、TAvKR)として扱われており、計画番号は1143型、計画名は「クレチェト」(: ≪Кречет≫、「ハヤブサ」の意)[1]

ソ連初の実用艦上機であるYak-38を搭載しており、イギリス海軍インヴィンシブル級航空母艦とともに、近代的な軽空母の先駆者として高く評価されている[2]。本項では、改設計型の11433型、および11434型までを一括して扱う。
来歴

1960年代、旧ソ連海軍では、地中海などの遠隔海域において北大西洋条約機構(NATO)軍の潜水艦発射弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)による戦略パトロールに対抗するため、多数の哨戒ヘリコプターを集中運用できる1123型対潜巡洋艦(モスクワ級)2隻が就役していた[3]。同級は非常に優れた対潜戦能力を示したことから、海軍はさらに発展型の1123.3型として「キエフ」の建造を計画しており、同艦は1968年10月に、原型艦2隻と同じく、ムィコラーイウの第444造船所(ウクライナ語版、ロシア語版、英語版)で起工される予定であった[3]。しかしこの時期、海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ元帥は、試作垂直離着陸機(VTOL機)であるYak-36の性能に感銘を受け、次期対潜巡洋艦にはこれとP-120(SS-N-9)艦対艦ミサイルを搭載するよう指示したことから、1123.3型の建造は取りやめられた[3]

1968年9月2日、国防省は、1123.3型の建造中止と、これにかわる1143型対潜巡洋艦の建造を正式に指示し、艦名は1123.3型のものが引き継がれて「キエフ」とされた[1]。竣工は1973年と計画されたため、国防省は1ヶ月で作戦要求案をまとめ、造船所は1968年内に原案を、1969年中に技術案を作成する必要があった[1]。このため、第444造船所と第17設計局(モスクワ級の設計担当部署)は、要求案の公表前に原案作成に着手、9つの案が作成された[1]。これらは、固有兵装をほとんど持たない原子力空母(排水量45,000トン、CATOBAR方式、MiG-23など搭載機50機)という冒険的な案から、1123型を踏襲した保守的な案まで多彩であった[1]。しかし上記の通り時間的余裕が乏しかったことから、最終的に選ばれたのは、アングルド・デッキを備える一方で発艦支援設備(カタパルトなど)や着艦拘束装置を持たないV/STOL空母という漸進案であった[1]

1968年10月、ゴルシコフ元帥は1143型対潜巡洋艦の作戦・技術規則要求を承認するとともに、艦対艦ミサイルをP-500「バザーリト」(SS-N-12)に変更し、排水量を28,000tに増加させることを許可したが、P-500搭載のためにはこれでも不足することが判明し、翌年夏にはさらに1,000t増加した[1]。また本級の最重要装備といえる艦上攻撃機であるYak-36M V/STOL軽襲撃機は、1969年1月に作戦・技術規則要求の承認を受け、1970年3月には技術案が承認、その翌月にはさっそく初号機が完成した[1]1970年4月、海軍と造船省は1143型の技術案を承認、1971年2月には建造計画が承認された[1]
設計甲板配置概略図。緑色部分が飛行甲板で、赤色部分に兵装等が配置されている。

モスクワ級では他国のヘリコプター巡洋艦と同様、艦の前方には通常の巡洋艦と同様に兵装を搭載、中央部に上部構造物を配し、後甲板をヘリコプター甲板としていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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