ガー_(潜水艦)
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USS ガー

基本情報
建造所エレクトリック・ボート造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種攻撃型潜水艦 (SS)
級名タンバー級潜水艦
艦歴
起工1939年12月27日[1]
進水1940年11月7日[1]
就役1941年4月14日[1]
退役1945年12月11日[2]
除籍1959年5月29日
その後1959年12月11日にスクラップとして売却[3]
要目
水上排水量1,475 トン
水中排水量2,370 トン
全長307フィート2インチ (93.62 m)
最大幅27フィート3インチ (8.31 m)
吃水14フィート8インチ (4.5 m)
主機ゼネラルモーターズ製248型1,350馬力 (1.0 MW)ディーゼルエンジン×4基
電源ゼネラル・エレクトリック発電機×4基
出力5,400馬力 (4.0 MW)
電力2,740馬力 (2.0 MW)
推進器スクリュープロペラ×2軸
最大速力水上:20ノット
水中:8.75ノット
航続距離11,000カイリ/10ノット時
潜航深度試験時:250フィート (76 m)
乗員士官、兵員59名
兵装.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

21インチ魚雷発射管×10基(前方6,後方4)/魚雷×24本


竣工時
3インチ砲(英語版)×1基7.62mm50口径機銃×2基7.62mm30口径機銃×2基
1943年[4]
5インチ砲×1基20mm機銃小口径機銃×3基

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ガー (USS Gar, SS-206) は、アメリカ海軍潜水艦タンバー級潜水艦の一隻。艦名は北米、中米を原産とする古代魚の一種であるガーに因んで命名された。アリゲーターガー(Alligator gar)スポッテッドガー(Spotted gar)
艦歴

ガーはコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工した。1940年11月7日にペッティンギル夫人(ジョージ・T・ペッティンギル少将の妻)によって命名、進水し、1941年4月14日に艦長ドナルド・マクレガー少佐(アナポリス1926年組)の指揮下コネチカット州ニューロンドンで就役する。ニューハンプシャー州ポーツマスからニューロンドンにかけてのニューイングランド海岸地帯に沿って行われた整調後、ガーはニューロンドンを11月24日に出航し、1941年12月3日にパナマ運河を通過、真珠湾攻撃の三日後にサンディエゴに到着した。メア・アイランド海軍造船所で戦闘準備を行い、1942年1月15日に真珠湾に向けてサンフランシスコを出航した。
第1の哨戒 1942年2月 - 3月

2月2日、ガーは最初の哨戒で日本近海に向かった。名古屋近辺伊勢湾入口、瀬戸内海への入口である紀伊水道などを哨区とした。2月22日夕刻には.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯26度30分 東経157度50分 / 北緯26.500度 東経157.833度 / 26.500; 157.833の地点で「3,000トン級貨物船」に対して三度にわたり魚雷を発射したが、命中しなかった[5]。3月13日朝、ガーは御蔵島西方50海里の地点で特設給糧船秩父丸(日魯漁業、1,525トン)を発見して魚雷を4本発射し、3本命中させて撃沈した[6][7]。3月28日、ガーは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
第2、第3、第4の哨戒 1942年4月 - 11月

4月19日、ガーは2回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。この哨戒では、4月28日からクェゼリン環礁ギー水道沖で哨戒を行い、5月3日には輸送船に対して魚雷を発射したが命中しなかった[8]。翌5月4日にもギー水道沖で輸送船を発見して魚雷を2本発射し、1本が命中[8]。爆雷攻撃を受けたものの被害は無かった。5月17日、ガーは北緯07度15分 東経151度09分 / 北緯7.250度 東経151.150度 / 7.250; 151.150のトラック西方で9,000トン級輸送船とQシップを発見し、Qシップに魚雷を命中させたと判断された[9]。6月8日、ガーは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

7月3日、ガーは3回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。ボルネオ島アナンバス諸島およびマレー半島を結ぶ海域で、シンガポールに出入りする航路を哨戒[10]。この哨戒で唯一見た船は、7月28日に目撃した5,000トン級病院船だった[11]。8月21日、ガーは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

9月17日、ガーは4回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。この哨戒では、機雷敷設の任務も与えられていた。10月12日、ガーはプロカンビア島近海の地点で敵潜水艦を発見したが、追跡中に見失った[12]。10月20日未明、ガーは北緯12度35分 東経100度50分 / 北緯12.583度 東経100.833度 / 12.583; 100.833のタイランド湾の最北部、バンコクにつながる海域に32個の機雷を予定通り敷設[13]。これは、以前にアメリカ潜水艦によってパトロールされた重要な日本の航路を妨害する戦略の一環として行われ、以後潜水艦による機雷敷設作戦は戦争末期までしばしば行われた。10月31日には南緯04度15分 東経117度56分 / 南緯4.250度 東経117.933度 / -4.250; 117.933の地点で貨物船を発見したが、5マイル先にあったため攻撃しなかった[12]。11月7日、ガーは51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がフィリップ・D・クィーク少佐(アナポリス1932年組)に代わった。
第5、第6、第7の哨戒 1942年11月 - 1943年5月水上機母艦能登呂(1943年3月28日)

11月28日、ガーは5回目の哨戒でマニラ湾近海に向かった。12月8日、ガーは北緯00度52分 東経118度54分 / 北緯0.867度 東経118.900度 / 0.867; 118.900の地点でHeinan Maru(不詳、661トン)に対して魚雷を6本発射し、次いで海岸まで追いかけて砲撃により破壊した[14]コレヒドール島バターン半島[15]およびルソン島西岸を往復して哨戒し、12月20日には北緯00度52分 東経118度54分 / 北緯0.867度 東経118.900度 / 0.867; 118.900のボリナオ(英語版)沖で第827船団を発見して魚雷を3本発射したが、命中しなかった[16][17]


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