「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」
シンディ・ローパー の シングル
初出アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』
B面ライト・トラック・ロング・トレイン
リリース1983年8月20日
1984年2月25日
規格7インチシングル
12インチシングル
ジャンルニュー・ウェーブ
時間3分58秒
レーベルエピック、ポートレート、CBS
作詞・作曲ロバート・ハザード
プロデュースリック・チャートフ
ゴールドディスク
プラチナ(米)
シルバー(英)
シンディ・ローパー シングル 年表
ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン
(1983)タイム・アフター・タイム
(1984)
ミュージックビデオ
「Girls Just Want To Have Fun」
「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」 (Girls Just Want to Have Fun) は、シンディ・ローパーのソロ歌手としての最初のメジャーシングル曲。世界的なヒット曲になった。日本でのシングル発売時のタイトルは「ハイ・スクールはダンステリア」[1]であったが、後に原題を片仮名表記したタイトルに修正された。 プロモーション用も含め、シングルは38以上のヴァージョンがリリースされた。最も一般的なものは7インチシングル(ジャケットは様々なものがある)で、国により1983年か1984年に発売された。次に一般的なものは12インチシングル盤で、これも1983年または1984年に発売された。 曲はロバート・ハザードによるもので、彼自身1979年にレコーディングしている。当初は男性視点の歌詞であった。ローパーヴァージョンではハザードの許可のもと、女性が演じるのにあわせた些細な歌詞変更がローパー自身により行われた。これは1983年のソロデビューアルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』に収録された。シンセサイザー・サウンドに乗せた、女性の社会的地位に対する賛歌である。 制作当時のシンディは「全ての女性たちに向けたアンセムを作りたい」と考えていたこともあり、男性作家が男性目線で書いたこの楽曲を歌うことに拒否感があり、プロデューサーのリック・チャートフに対しても「こんな曲、絶対やらない!」と断固拒否していた。しかし、チャートフと共に女性目線で歌うならばどうすればいいかアイデアを出し合いながらデモの制作を進め、最終的には納得のいく仕上がりになったと後のインタビューで明かしている[2]。 マイリー・サイラス、パール・ジャム、グレッグ・ラズウェル、ジョン・メイヤー、アル・ヤンコビック(替え歌 "Girls Just Want to Have Lunch")、アルヴィン&チップマンクス、ベン・ギバート、シビル・シェパード、ローリー、エミリー・オータム、トリプル・イメージ、ザ・ダンディ・ウォーホルズ、ノーマン・パーム、デヴィッド・ローリングス、ジ・オーディナリー・ボーイズ、キャムロンらのみならず、30人(組)を超えるアーティストからアルバムやライヴでカヴァーされた。またメキシコのバンド、ロス・ホロスコポス・デ・デュランゴはデュラングエンス・ヴァージョンとスパニッシュ・ヴァージョンの "Solo Quiero Bailar (I Just Want To Dance)"を発表した。ザ・チーター・ガールズは録音をしたものの、シングルはキャンセルされアルバムにも収録されなかった。 シングルは様々な形で発売され、たとえばオーストラリアではバースデイ・カードに同梱の3インチCDがリリースされた。また、カラオケヴァージョンも非常に多く作られている。ローパーは後に完全な手直しをし、1994年にレゲエ風のアレンジを施した「ヘイ・ナウ(ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン)」としてヒットした。2005年には再度リメイクし、チャートフ、ウィットマンとローパーのプロデュース、ゲストボーカルに日本のパフィーを迎えてアルバム『ザ・ボディ・アコースティック』に収録した。 シングルは奇抜なミュージック・ビデオとともにリリースされた。このビデオは1983年の夏にマンハッタンのロワー・イースト・サイドにあるマザー・スタジオで撮影された。撮影費用は3万5000ドルもかからなかったが、これはボランティアの出演者と、当時最先端の機材を無料で借りられたことによる。父親役はプロレスラーの“キャプテン”ルー・アルバーノが演じたが、母親役はローパーの実母のカトリーヌであり、ローパーの弁護士であるエリオット・ホフマンがローパーのダンス・パートナーを演じた。マネージャーのデヴィッド・ウルフや実弟のブッチ・ローパー、ポートレート/CBSの秘書軍団も出演者として駆り出された。 ローン・マイケルズ (Lorne Michaels) はホフマンの顧客という縁でローパーに、新品の100万ドルするデジタル編集機の貸し出しを快諾。これを使い、ローパーとお固い弁護士がニューヨークの通りでスネークダンスを踊る出演者を先導し、盛大なパーティに突入する映像を作成した。 当初は深夜のMTVで内輪向けに流されたが、すぐにヘヴィーローテーションされるようになり、1984年にMTVの最優秀女性ビデオ賞 (en:MTV Video Music Award for Best Female Video シングルは10か国以上で1位になり、15か国以上でトップ10に入った。1位になったのは、オーストラリア、ブラジル、カナダ、チリ、アイルランド、イスラエル、日本(オリコン洋楽シングルチャートで1984年4月30日付から3週連続1位[3])、ニュージーランド、そしてノルウェーである。
概要
ミュージック・ビデオ
順位