ガンボ(Gumbo)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州を起源とするシチューあるいはスープ料理である[1]。 ガンボはアメリカ合衆国南部メキシコ湾岸一帯に浸透している料理である。基本的には濃いスープストック、肉または甲殻類、とろみ成分、および「聖なる三位一体」と呼ばれる野菜(セロリ、ピーマン、タマネギ)で構成される。伝統的にガンボは、米にかける形で供される。四旬節の際のガンボ・ザーブ(gumbo z'herbes)という緑色のガンボ[2] も存在する。 ガンボは、ルイジアナ州のクレオールの人々の間では一般的な料理であるが、テキサス州南東部、ミシシッピ州南部、アラバマ州、サウスカロライナ州のチャールストン周辺のロウカントリー、ジョージア州ブランズウィックなどの地域でも食されている。一年を通じて食されるが、通常は寒い時期の料理として知られている。 スープストックは、シーフード・ガンボであれば魚介類で、チキン・ガンボであれば鶏肉を使って可能な限り濃く作る。 典型的なガンボは、鳥肉類、甲殻類、豚肉の燻製のいずれか一つもしくは複数を使う。鳥肉類としては、鶏、アヒル、ウズラなどが使われるのが通常である。地元の甲殻類としては、淡水産のザリガニ、メキシコ湾産のカニ、エビなどが使われることが多い。タッソ(ケイジャン・ハム)、アンドゥイユ(燻製ソーセージ)を入れることにより、料理にスモークの香りが加わる。 ガンボはとろみをつけるのにオクラを使うか、フィレ・パウダーを使うかによって分けることができる。いずれの場合においてもルーを加えることも可能だが、近年はルーは単体で使うのが通例である。ルイジアナでは、オクラとフィレを混ぜるのは一般的ではない。 ケイジャンとクレオールのスタイルで分けることもできる。クレオールのガンボで使うルーは、通常ある程度茶色付いているものの色は浅めで、トマトを入れることもあるが、ケイジャンのガンボはより濃い色のルーを使用、トマトを入れることはない。 ガンボは、ルイジアナがアメリカ料理に対して行った最大の貢献であると言われている。この料理の歴史は、複数の文化が出会った18世紀にまで遡る。フランス料理のブイヤベースがその基礎となった。チョクトー族インディアンの使用したフィレ・パウダーと地元の魚介類が加わったことにより、地方色が強まることになる。西アフリカの奴隷たちがオクラを持ち込み、これがルイジアナの台所にもたらされた。ガンボの語源(後述)は、オクラを意味するアフリカの言葉から来ている。ピーマン、トマト、それに調理されたタマネギは、スペインの入植者たちによってもたらされた[3][4][5]。 ガンボについて書かれた最も古い文献は1800年代初頭に遡る。1885年には、料理書『La Cuisine Creole』の中でフィレ・ベースとオクラ・ベースのガンボの違いについて解説されている。同書は、フィレ、オクラ両方を使ったガンボのレシピを多く掲載しているが、ルーを使ったものは含まれていない[6]。 ガンボは、使われるとろみ成分によって分類することができる。オクラを使ったもの、フィレ・パウダーを使ったもの、およびこれらを使わずルー単体でとろみを付けたものの3タイプである。近年のレシピでは、オクラおよびフィレ使用のタイプは、更にとろみと風味を付けるために、色の濃いルーの使用を指定しているものが一般的である。伝統的にはオクラとフィレ・パウダーは、同じ料理に一緒に使われることはない。 ガンボ という言葉の語源は、アンゴラで話されているバントゥー語の方言でオクラを意味する「kingombo」がなまったものと言われている[7]。 この言葉はカリブ海で使用されるスペイン語に「guingambo」または「qimbombo」として取り入れられた。この二つの言葉は、プエルトリコでは現在も使われている。 フィレ・パウダーは、ササフラスの葉を乾燥させ粉末にしたもので、ヨーロッパ人の入植者たちが入植した当時、チョクトー族が広く使っていたものである。
概要
歴史
オクラ、フィレ・パウダー、ルーオクラを使ったガンボ