ガンジス河
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ガンジス(ガンガー)
ヨガ聖地リシケーシュを流れるガンガー
延長2525 km
平均流量18,490 m³/s
流域面積1730000 (840000) km²
水源ヒマラヤ山脈
河口・合流先ベンガル湾
流路 インド
バングラデシュ
流域 インド
バングラデシュ
ネパール
中国*
ブータン*
*ブラフマプトラ川水系のみ
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ガンジス川(ガンジスがわ、ヒンディー語: ????)は、ヒマラヤ山脈の南側、インド亜大陸の北東部を流れる大河である。長さは約2525km[1]、流域面積は約173万km2(ただしブラフマプトラ川水系を除くと約84万km2)。
名称

ヒンディー語サンスクリットではガンガー(????、Ga?g?)と呼び、これはヒンドゥー教川の女神の名でもある。また漢語ではこれを音写し恒河(ごうが、中国語音は Henghe)と呼ぶ。英語では the Ganges と呼び、これは和名の由来でもある。「the Nile(ナイル川)」などと同様、それだけで完結する固有名であり、本来は Ganges River のような言い方はしない。
流域の歴史紀元前600年頃の十六大国

インダス文明末期の紀元前1900年から紀元前1300年ごろに、インダス川流域からの植民者がガンジス川とヤムナー川の河間地方(ドアーブ)へとすみついた。やがてインダス文明が崩壊すると、インドの文明の中心はインダス川流域からガンジス川流域へと移動した[2]紀元前1000年ごろに先住のドラヴィダ人にかわってアーリア人がガンジス川流域に住み着いた。

やがてガンジス流域を中心に十六大国と呼ばれる諸国が成立し、互いに覇権を競うようになった。このころの時代をヴェーダ時代と呼ぶが、最も古いヴェーダであるリグ・ヴェーダにおいて神聖な川とされているのはシンドゥ七大河インダス川サラスヴァティー川であり、ガンジス川は含まれていなかった。しかしそれに続く後期ヴェーダ時代に編まれた『サーマ・ヴェーダ』・『ヤジュル・ヴェーダ』・『アタルヴァ・ヴェーダ』の3つのヴェーダにおいては、ガンジス川は神聖な地位を獲得することとなった[3]。十六大国は抗争を繰り返すが、やがてその中から現在のビハール州を本拠とし、ラージャグリハを首都としたマガダ国と、現在のウッタル・プラデーシュ州北東部を本拠としたコーサラ国が強大化していった。

このころ、当時支配的だったバラモン教に対する批判として、ブッダによって仏教が起こされ、またジャイナ教もこの地域で起こった。やがてパータリプトラに首都を移したマガダ国がコーサラ国を破ってガンジス流域を統一した。

マガダ国ではいくつもの王朝交代があったが、紀元前317年頃に成立したマウリヤ朝アショーカ王の時代にインドをほぼ統一し、初の統一王朝となった。この後は王朝分立が続いた後、330年ごろにパータリプトラにてグプタ朝が成立し、再びガンジス流域を統一した。

その後、ガンジス流域を統一したのはデリーに本拠を置いたデリー・スルターン朝及びムガル帝国である。ムガル帝国の衰退後はアワド太守ベンガル太守が自立し各地を治めたものの、やがて河口部のコルカタに本拠を置いたイギリス東インド会社1765年に下流域であるベンガルの支配権を獲得して以後領域を拡大し、インド大反乱で支配権を取り上げられて以後は全域がイギリス領インド帝国領となった。

その後、1947年インド・パキスタン分離独立を経て、東パキスタンとなっていた下流域がバングラデシュ独立戦争の結果1971年バングラデシュとして独立し、現在の政治領域が確定した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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