ガルム・ウォーズ
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ガルム・ウォーズ
Garm Wars: The Last Druid
監督
押井守
脚本押井守
原作押井守
製作鈴木敏夫
石川光久
出演者メラニー・サンピエール
ランス・ヘンリクセン
ケヴィン・デュランド
音楽川井憲次
制作会社Production I.G
製作会社バンダイナムコエンターテインメント
Production I.G
配給 東宝映像事業部
アーク・エンターテインメント[1][2][3]
公開 2014年10月25日(TIFF)
2015年10月2日[1][4]
2016年1月18日
2016年3月9日
2016年5月20日
上映時間92分
製作国 日本
カナダ
言語英語
製作費20億円
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『ガルム・ウォーズ』(英題:Garm Wars: The Last Druid)は、押井守監督によるファンタジー映画。2015年10月2日に北米公開された[1][2][3]。日本公開は、2016年5月20日[5][6]
概要
当初のプロジェクト

企画当初の題名は『G.R.M.』[7]、通称『ガルム戦記』[8]であった。1997年10月、バンダイビジュアルが打ち出したデジタルエンジン構想の映画として、大友克洋監督作『STEAM BOY』とともに製作が発表された。この席では、総製作費24億円、2000年公開予定と告知された。実写・特撮アニメCGを融合させたハイ・ファンタジー映画で、「キャストも含め、全てをコンピュータで加工して描き出す」「セルアニメーターに3Dデジタルアニメ3DCGソフトウェアを使いこなしてもらうための再教育」「CGアニメーターがケレン味をどの様に表現するか」「主要キャラクターは全員サイボーグで仮面・甲冑を着けているが、それらも肉体の一部として表現する」「役者・現実の生活感を排除して、どうやって惑星・異世界のキャラクターとして表現するか」「本来アニメでしか成立できないテーマを実写で表現する」[9][10]というコンセプトを提示していた。

当初の計画では、総監督に押井、共同企画・原作に伊藤和典[11]、特技監督に樋口真嗣、CG監督に秋山貴彦、メカデザインに竹内敦志前田真宏、さらに製作総指揮にジェームズ・キャメロンを迎えることになっていた。押井は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の制作が終わった頃、「予算60億円」という破格の条件でオファーを受けたという[12]。映画の制作拠点としてデジタルエンジン研究所が設立され、アイルランドにロケハンに行くなど、3年間の準備期間に8億円の予算がつぎ込まれた[13]。しかし、1990年代はデジタル映画制作の導入期であり、機材のスペックが低く、制作管理のシステムも整備できていなかった[14]。企画内容に予算対効果で疑義が生まれ、またセガバンダイの合併騒動もあり、1999年に企画は凍結された。

この没企画から派生して、より現実的に内容をダウンサイジングした映画『アヴァロン』が制作され、2001年に公開された。製作費は『G.R.M.』の開発費よりも少ない6億円だった[13]

伊藤が脚本を担当して2002年に放映されたテレビアニメ『.hack//SIGN』において、「劇中人物が執筆した小説『ANNWN アンヌーン』の台詞」という設定で[15][16]、内容の一部が語られた[17]

この企画にはアニメーション版と実写、3DCG版の2本のパイロットフィルムが存在する。それらは2001年頃に東京国際ファンタスティック映画祭などで上映されてからお蔵入りしていたが、1996年に制作されたアニメーション版(12分22秒)は『ガルム・ウォーズ』劇場前売り券の特典DVDに収録され、BDソフト映像特典には2本とも収録された[18][19]
再始動から完成版の公開まで

企画の凍結後も、プロジェクトの再始動を望む声は多く聞かれた[20]

2012年、押井と関係の深いプロダクションI.Gの協力により、プロジェクトは再始動した。押井は「日本人キャストや日本語はファンタジー映画に向かない」という考え方で[21]、本作は『アヴァロン』と同じく「全編海外ロケ・外国人キャスト・外国語台詞」で撮影された。撮影はカナダで行われ、モントリオールでのスタジオ撮影のあと、5,000km離れたブリティッシュコロンビア州で戦闘シーンが撮影された[22]。仕上げ段階では日本側でカラーグレーディング(色調節)や二次元的な特殊効果を加えている[23]

企画が復活した理由としては、映像技術の進化で製作の目途が立ったことと、資金面でカナダの税制優遇措置「タックスクレジット[24]を利用できたことが大きい[21]。ただし、制作中は自己資金を用意せねばならず、現地スタッフへの支払いが滞って撮影がストップし[25]、プロダクションI.Gの石川光久社長が億単位の資金を投入する決断をして完成までこぎつけた[26]。押井は「ここまで危ない橋を渡ったのは初めてです」と述べている[25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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