ガリシア州の政党連合
ガリシア統一左翼
Esquerda Unida(EU)
報道官エヴァ・ソーラ
ガリシア統一左翼[1](ガリシア語: Esquerda Unida、EU)はスペインの全国政党(連合)統一左翼のガリシア州での連合組織。2012年の自治州議会選挙において5議席を獲得した。また、自治州内の自治体議会において14議席を有する(カンブレ、フェネ、フェロル、ムガルドス、ネダ、ビベイロ、ビラガルシーア・デ・アロウサ、オ・グローベ、他)。 1986年、スペインのNATOへの残留をめぐって国内で激しく議論が交わされている時、ガリシア共産党(PCG、スペイン共産党のガリシア支部政党組織)、社会主義行動党
歴史
結成
1995年、1993年の総選挙と自治州選挙において選挙連合を組んで、議席を得ることはかなわなかったものの、ガリシア統一左翼の歴史の中で最高の結果をもたらしたガリシア社会党=ガリシア左翼(スペイン語版)(PSG-EG)の一部が加入した。また、同年の自治体選挙においても、ルーゴとフェロルで3議席を獲得し、ガリシア統一左翼の歴史始まって以来の最高の結果であった。 1997年5月25日、代表アンショ・ゲレイロ(全国レベルでは新左翼民主党
内部分裂
ルーゴ自治体議会議員カルロス・ダフォンテを中心とする一派とガリシア共産党書記長マヌエル・ペーニャ=レイに率いられたグループは集会を招集、全国組織Izquierda Unidaとこれまで同様の関係を維持すること、次期州議会選挙においてIzquierda Unidaの名称で臨むこと(選挙委員会がガリシア語での名称Ezquerda Unidaの使用中止を決定したことによる)、そしてマヌエル・ペーニャ=レイを選挙での自治州首相候補とすることを決めた。そして翌1998年マヌエル・ペーニャ=レイを代表代行に選出した。
その後、アンショ・ゲレイロに率いられたグループはガリシア左翼(スペイン語版)を結成した。そして裁判所は最終的に統一左翼(Izquierda Unida)のガリシア支部政党連合にたいしてEsquerda Unida(ガリシア語で統一左翼の意)の名称の使用を認めた。今日政党ガリシア左翼は存在せず、またそのメンバーの多くは再びガリシア統一左翼(EU-IU)のメンバーとなっている。
2000年に開催された党大会で、ガリシア共産党(PCG)のカルロス・ダフォンテ書記長が代表に選出され、2002年7月にPCGの書記長を辞するまでその地位にあった[3]。2003年の党大会ではフェロル地区の責任者であり、ムガルドスでPSdeGとBNGと連立し、自治体政府の一翼を担っていたが、その後与党を離脱したピラール・ディアスがEU-IU代表に選出された。
2004年の総選挙では、得票31,908(1.74%)で、州内では第3勢力であるBNGと大差をつけられた第4勢力に終わった[4]。その後、代表のピラール・ディアスは支援者の支持を十分集めることができず、辞任、そして2005年の次期大会開催まで暫定委員会が組織を率いることとなった。2005年大会でフェロルの自治体議会議員のヨランダ・ディアスが新代表に選出された。 2005年の自治州議会選挙では、自治州首相候補にヨランダ・ディアスを掲げたが得票12,000票あまり(得票率0.8%)で、第4党に終わった。2007年の自治体選挙では全ガリシアで22,587票(得票率1.37%)を得て、14議席を獲得[4]した(前回の2003年の選挙では19,643票、得票率1.17%、獲得議席11であった[4])。特に代表のヨランダ・ディアスが出馬したフェロルで4議席、そしてビラガルシーア・デ・アロウサで3議席と躍進した[4][5]。
ヨランダ・ディアス代表