ガリシア統一左翼
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 ガリシア州の政党連合
ガリシア統一左翼
Esquerda Unida(EU)
報道官エヴァ・ソーラ
創立1986年
合併元ガリシア共産党(PCG)、社会主義行動党(PASOC)(注1)、ガリシア共和主義左翼(ERG)(注2)、ガリシア人民共産党(PCPG)(注3)、緑の党(Os Verdes)
政治的思想連邦主義社会主義共産主義、エコ社会主義、ガリシア民族主義、民族自決主義
政治的立場左翼
国内連携統一左翼(IU)
選挙連合アルテルナティーバ・ガレーガ・デ・エスケルダ(AGE)
自治州議会議席5 / 75(AGE内)
自治体議会議席14 / 3,811
公式サイト
http://www.esquerdaunida.org/
注1:2001年政党連合を離脱。
注2:2002年政党連合を離脱。
注3:1989年政党連合を離脱。

ガリシア統一左翼[1]ガリシア語: Esquerda Unida、EU)はスペインの全国政党(連合)統一左翼ガリシア州での連合組織。2012年の自治州議会選挙において5議席を獲得した。また、自治州内の自治体議会において14議席を有する(カンブレフェネフェロルムガルドスネダビベイロビラガルシーア・デ・アロウサオ・グローベ、他)。
歴史
結成

1986年、スペインのNATOへの残留をめぐって国内で激しく議論が交わされている時、ガリシア共産党(PCG、スペイン共産党のガリシア支部政党組織)、社会主義行動党(スペイン語版)のガリシア支部組織、共和主義左翼(スペイン語版)(ガリシア共和主義左翼)、ガリシア人民共産党(スペイン語版)(PCPG、スペイン人民共産党(スペイン語版)のガリシア支部組織)などと特定の政治勢力に参加していない人々によって、選挙連合として結成された。1989年政治、社会運動体に転換した。初代代表者(Coordinador Xeral)はPCGの書記長アンショ・ゲレイロが就いた。

1995年、1993年の総選挙自治州選挙において選挙連合を組んで、議席を得ることはかなわなかったものの、ガリシア統一左翼の歴史の中で最高の結果をもたらしたガリシア社会党=ガリシア左翼(スペイン語版)(PSG-EG)の一部が加入した。また、同年の自治体選挙においても、ルーゴフェロルで3議席を獲得し、ガリシア統一左翼の歴史始まって以来の最高の結果であった。
内部分裂

1997年5月25日、代表アンショ・ゲレイロ(全国レベルでは新左翼民主党(スペイン語版)に支持された)率いる全国編成評議会、全国会議で採択された決定に反して、同年の州議会選挙においてガリシア社会主義者党(PSdeG)と共闘することを決定した[2]

ルーゴ自治体議会議員カルロス・ダフォンテを中心とする一派とガリシア共産党書記長マヌエル・ペーニャ=レイに率いられたグループは集会を招集、全国組織Izquierda Unidaとこれまで同様の関係を維持すること、次期州議会選挙においてIzquierda Unidaの名称で臨むこと(選挙委員会がガリシア語での名称Ezquerda Unidaの使用中止を決定したことによる)、そしてマヌエル・ペーニャ=レイを選挙での自治州首相候補とすることを決めた。そして翌1998年マヌエル・ペーニャ=レイを代表代行に選出した。

その後、アンショ・ゲレイロに率いられたグループはガリシア左翼(スペイン語版)を結成した。そして裁判所は最終的に統一左翼(Izquierda Unida)のガリシア支部政党連合にたいしてEsquerda Unida(ガリシア語で統一左翼の意)の名称の使用を認めた。今日政党ガリシア左翼は存在せず、またそのメンバーの多くは再びガリシア統一左翼(EU-IU)のメンバーとなっている。

2000年に開催された党大会で、ガリシア共産党(PCG)のカルロス・ダフォンテ書記長が代表に選出され、2002年7月にPCGの書記長を辞するまでその地位にあった[3]。2003年の党大会ではフェロル地区の責任者であり、ムガルドスPSdeGBNGと連立し、自治体政府の一翼を担っていたが、その後与党を離脱したピラール・ディアスがEU-IU代表に選出された。

2004年の総選挙では、得票31,908(1.74%)で、州内では第3勢力であるBNGと大差をつけられた第4勢力に終わった[4]。その後、代表のピラール・ディアスは支援者の支持を十分集めることができず、辞任、そして2005年の次期大会開催まで暫定委員会が組織を率いることとなった。2005年大会でフェロルの自治体議会議員のヨランダ・ディアスが新代表に選出された。
ヨランダ・ディアス代表

2005年の自治州議会選挙では、自治州首相候補にヨランダ・ディアスを掲げたが得票12,000票あまり(得票率0.8%)で、第4党に終わった。2007年の自治体選挙では全ガリシアで22,587票(得票率1.37%)を得て、14議席を獲得[4]した(前回の2003年の選挙では19,643票、得票率1.17%、獲得議席11であった[4])。特に代表のヨランダ・ディアスが出馬したフェロルで4議席、そしてビラガルシーア・デ・アロウサで3議席と躍進した[4][5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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