ガリシア州
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、スペインの自治州について説明しています。ポーランドおよびウクライナの歴史的な地域名については「ガリツィア」をご覧ください。

Galicia
スペイン自治州



紋章

州歌: Os Pinos

州都サンティアゴ・デ・コンポステーラ
最大都市ビーゴ
公用語カスティーリャ語ガリシア語
行政単位自治州
 ?  スペイン
国会(下院)
国会(上院)
州議会
州首相23議席
19議席
75議席
アルフォンソ・ルエダ
PPdeG
下位区分4県、53コマルカ、314自治体
県4県
面積第7位
 ? 総計29,574 km2(5.8%)
人口 (2013)第5位
 ? 総計2,765,940 人1
 ? 人口密度93.44 人/km2
住民呼称galego/-a
GDP(名目)第6位
 ? 総計56,670 mill. ? (2010)
 ? 一人当たり20 726 ?
HDI0.948 (第10位)
ISO 3166-2ES-GA
固有言語ガリシア語
自治州憲章1981年4月28日
祝祭日7月25日(ガリシア民族の日)
公式サイト
1スペイン全体の6.13%

ガリシア州(ガリシアしゅう、Galicia、あるいはGaliza[注釈 1])は、スペイン自治州の1つである。スペイン北西に位置し、南はポルトガル、東はアストゥリアス州カスティーリャ・イ・レオン州に接し、北と西は1490キロメートルの海岸で大西洋カンタブリア海に面する。州都はサンティアゴ・デ・コンポステーラ。自治州政府はシュンタ・デ・ガリシア(Xunta de Galicia)。
地理

ガリシアはおよそ北緯41度から北緯44度の間に位置する。年間を通して穏やかな気候で、最寒月でも摂氏8度以下になることは少ない。1年を通じて雨が降り、年間降水量も豊富である。しかし、内陸部に入ると気候も気温・降水量も違ってくる。また、入り江の多い複雑な海岸線で知られており、海面上昇で形成されるリアス式海岸の語源となったのがこの地域で、「リアス」とはガリシア語あるいはカスティーリャ語(スペイン語)での入り江(リア)の複数形である。この地形のために漁業が盛んであり、特にポンテベドラ県沿岸部のリアス・バイシャスでは養殖漁業が盛んである。また、観光客には美しい風景が魅力となっている。地層は多様であるが、変成岩花崗岩が主である。なお、この花崗岩はサンティアゴ・デ・コンポステーラなどで舗装材などとして用いられた。

主なリア:リア・デ・ポンテベドラ

リア・デ・フェロル

リア・デ・ベタンソス

リア・デ・コルーニャ

リア・デ・ムーロス・エ・ノイア

リア・デ・アロウサ

リア・デ・ポンテベドラ

リア・デ・ビーゴ

スペイン内陸とは異なり、海洋性の気候のために手付かずの緑の森が残されている。その森は、大西洋性気候の場所ではオークブナを中心とする大西洋型森林、地中海性気候の場所ではコルク樫コナラを中心とする森、松やユーカリなど最近植林された樹木などの林の3種類に分けられる。州の内陸部はなだらかな山地で比較的標高が高く、東に行くほど標高が高く北部にテーラ・チャ高原がある。大きな川はないが無数の小さな川が横切っている。山地は険しくないが、内陸の人口は少なく、開発は遅れている。

主な川:シル川

ミーニョ川(州最大の河川でルーゴ県東部の山岳地帯を水源としている。)

シル川

ウジャ川

タンブレ川

サール川

自然の豊かなガリシアだが、近年は環境問題を抱えている。森林伐採が進み、製紙業のために導入されたユーカリが生態系のバランスを崩している。オオカミやシカなどの動物も減少傾向にある。2002年11月19日にはガリシア州近くの大西洋上で一重船殻構造のタンカーであるプレスティージ号が沈没して重油が流出し(英語版)、ガリシア州の沿岸は大量の重油によって汚染され、付近に住む海鳥などに大きな被害が出た上、水産業にも打撃を受けた[1]
ガリシアの地名

ガリシア地方の居住形態は、一部の都市部の中心地域を外れれば、多くの集落が分散しているため、地名が多い。一説によると、スペインの地名の半数近くがガリシアのものであるともいわれる。したがって、出身を表す場合、コンセージョ(市町村に相当)以外に教区(パロキア)を示すことも普通であり、また、その教区内の集落(アルデア)にまで言及することも珍しくない。
歴史.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "ガリシア州" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年1月)
鉄器時代の家を発展させたガルシアの東にあるen:Palloza

トリアカステーラにある Eiros Cave からは、ネアンデルタール石器物や動物の遺骸が見つかっており、古くから人の居住があったことが判ってる。この海の沿岸周辺には新石器時代頃の巨石記念物が残されており、巨石文明があったことが示されている[2]

ガリシアの名は古代ローマの属州ガラエキア(現在のスペイン西部とポルトガル北部)から来ている[3]。そのガラエキアの起源はギリシア語の「カライコイ」(Kallaikoi、καλλαικoι、ヘロドトスが記述を残す)から来ており、古代にドウロ川(カスティーリャ語でドゥエロ川)以北に住んでいたケルト系の民族を指していた。この地域で話されているガリシア語は俗ラテン語(口語ラテン語)を起源とするロマンス諸語の一つであり、この地でのケルト語はすでに滅んでいる。キリスト教は、ローマ時代末期に様々なルートを辿ってガリシアへ伝来した。

5世紀から6世紀にかけては、スエビ王国ガリシア王国)の中心地であったが、584年に西ゴート王レオヴィギルドに征服された。この時代に、ガリシア北部ブリトニア(es:Britonia)にブリトン人移民による司教座ができた。このブリトン人たちは、アングロ=サクソン人グレートブリテン島侵攻から逃れてやってきた人々である。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:77 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef