ガラスの林檎/SWEET_MEMORIES
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「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」
松田聖子シングル
初出アルバム『Seiko・plaza
A面ガラスの林檎(#1)
SWEET MEMORIES(#2)
リリース1983年8月1日
ジャンルアイドル歌謡曲
レーベルCBS・ソニー
(8cmCD含む)
ソニー・ミュージックレコーズ
(12cmCDのみ)
作詞・作曲松本隆(作詞)
細野晴臣(作曲 #1)
大村雅朗(作曲 #2)
ゴールドディスク


第25回日本レコード大賞・金賞(#1)・編曲賞(#2)

第14回日本歌謡大賞・最優秀放送音楽賞

第12回FNS歌謡祭・最優秀歌唱賞

'83あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 ゴールデングランプリ

チャート最高順位

週間1位(オリコン

1983年8月度月間1位(オリコン)

1983年9月度月間6位[1](オリコン)

1983年10月・11月度月間3位(オリコン)

1983年12月度月間5位(オリコン)

1983年度年間7位(オリコン)

1984年度年間84位(オリコン)

1位(ザ・ベストテン・#1)

1983年度年間13位(ザ・ベストテン・#1)

8位(ザ・ベストテン・#2)

1983年度年間63位(ザ・ベストテン・#2)

1位(ザ・トップテン・#1)

3位(ザ・トップテン・#2)

松田聖子 シングル 年表

天国のキッス
(1983年)ガラスの林檎 / SWEET MEMORIES
(1983年)瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ
(1983年)


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「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」(ガラスのりんご/スウィート・メモリーズ)は、1983年8月1日にリリースされた松田聖子の14枚目のシングルである。目次

1 解説

2 収録曲

3 特記事項

4 カバー

5 関連作品

6 脚注

7 参考文献

解説

品番:07SH 1366(レコード)

1989年には8cmCDとして、2004年には紙ジャケット仕様の完全生産限定盤12cmCD(ジャケットは差し替え前のもの)として再びリリースされている。

収録曲
ガラスの林檎(3:57)(作詞:
松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣・大村雅朗)作曲担当の細野は制作に当たり、ディレクターからサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」のような曲を作って欲しいと依頼された[2]。作詞担当の松本隆は、前年に聖子に提供した楽曲『秘密の花園』『天国のキッス』とあわせて、「たまたま、ある種宗教的な世界、シュプリーム(至上)のもの(がテーマだった)」「花園とか天国とか林檎とか…そういうものは、性的であって、同時に聖なるものだと思う」と語っている[3]。松本と細野の共作の場合、通常は松本の詞先であったが、本曲においては細野が、マンネリ化を防ぐため曲先で作ろうと提案していた。しかしいざ作り始めると作業が行き詰まったため、結局、松本がスタジオの廊下にあるソファーの上で、急遽、詞を書き上げたという逸話を後に語っている。当年の『第34回NHK紅白歌合戦』披露曲。

SWEET MEMORIES(4:35)(作詞:松本隆/作曲・編曲:大村雅朗)デビュー以来、聖子の楽曲のアレンジを多く担当しており、アルバム曲の書下ろしも担当していた大村雅朗による、シングル曲としては初起用となった楽曲[4]。発売当初からファンの間では名曲と評価が高かったが、サントリーCANビールCMソングになったことで評判となり(後述)、急遽両A面として同年10月に再発売するに至った[5]。最終的には、当初B面であったにも関わらず非常に人気の高い曲となった。聖子自身も好きな曲として挙げる事が多く、コンサートやディナーショーのセットリストに組まれる事の多い一曲である。また、カバーの定番として数多くのアーティストがカバーを行っている。2番の前半部分は聖子の楽曲で初めての英語詞であった。聖子は最初に楽曲を受け取った時、「こんな大人っぽい歌を私が歌うんですか」と驚いたという[6]。なお、本曲の全編英語詞のバージョンも存在する。松本隆は後年、「聖子さんの歌を作る時は、その時点の彼女のキャパ(力量)の2-3歩先を行く歌を作る。ほとんどの歌い手はそれに対応できないが、彼女は見事に付いてくる。そして、『SWEET MEMORIES』に関しては10歩くらい先を行っており、作曲の大村雅朗と『今回は付いて来られないかな? 難しすぎたかな?』とも話したが、彼女は見事に歌い上げた」と賞賛した[7]。イントロは松武秀樹シンセサイザーで創ったものである。松武によると、大村雅朗から「口では表現できない、雪がシャーっという感じで、聴いてて気持ちいい音にしてくれ」と依頼され、「逆回転の音みたいなヒヤっとする冬」をイメージしたイントロを創作したとのことである。また、番組では大村雅朗がこの楽曲を、プロデューサーである若松宗雄とスタジオにこもり約1時間で作曲したエピソードや、松本隆は初めてデモテープを聴いた時に「完全にジャズだった」ともコメントしている。(FBS開局50周年記念特番「風の譜?福岡が生んだ伝説の編曲家大村雅朗」より)1999年、『第50回NHK紅白歌合戦』披露曲。2020年、マクドナルド「ごはんバーガー」CM曲に起用。

特記事項

「SWEET MEMORIES」のタイアップとなったCMは全編アニメーションであり、登場人物が全てペンギンパピプペンギンズ)のキャラクターになっており、ジャズバーで女性歌手が本曲を歌い、それを聴いた客が感動して涙するというものであった。放送当初は歌手名のクレジットが表記されていなかったため[8]、歌っている歌手は誰なのかと話題になった。しかし当初はレコードを買っていたファン以外は歌手が聖子だということがわからず、レコード会社2社から「歌っている新人歌手を自社で使いたい」と引き合いの電話が来たという[9]。聖子の母親すらも、聖子本人から知らされるまで気づかなかった。しばらく後に“唄/松田聖子”のクレジットが表示されるようになり、本作レコードの売り上げ再浮上へと繋がった。この経緯から、聖子の歌唱力を世間に認知させる契機になった、と評される[10]名曲である。

本作は「ガラスの林檎」としてリリースされて3週間目でオリコンシングルチャートの1位を獲得(1983年8月15日付)した後、一旦ベスト10外まで順位を下げるが、B面の「SWEET MEMORIES」への反響で再びじわじわと順位を上げていった。両A面シングルとして新しいジャケットのものが発売され(83年10月20日発売。なお、オリコンシングルチャートでは9月26日付から両A面表記になっている)、10月31日付の同チャートで11週ぶりに1位に返り咲いた。さらに、翌11月7日付では自作「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」が1位に入り、本作とあわせてシングルチャートの1位と2位を独占、9週間にわたり同時にベスト10入りしていた。

最終的に本作は1位は合計2週、ベスト10以内は「ガラスの林檎」として8週、両A面で10週であった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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