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ガメラ対深海怪獣ジグラ
Gamera vs. Zigra
監督湯浅憲明
脚本高橋二三
製作永田秀雅
『ガメラ対深海怪獣ジグラ』(ガメラたいしんかいかいじゅうジグラ)は、大映東京撮影所が製作し、ダイニチ映配の配給で1971年(昭和46年)7月17日に公開された特撮映画である。
同時上映は『赤胴鈴之助 三つ目の鳥人』(1958年公開作品のリバイバル上映)。
ストーリー「鴨川シーワールド」で全編ロケが行われた
1971年、日本の月面基地が謎の宇宙船の襲撃を受け、世界各地で謎の大型地震が発生していた。
その一方、鴨川シーワールド近郊では、付属する国際海洋研究所の科学者である洋介とトム、その子供である健一とヘレンが休暇を過ごしていたが、謎の宇宙船に誘拐されてしまった。ジグラ星人を名乗る船内の宇宙人X1号は、高度な科学を有する自分たちが地球の海を管理すると宣言し、人類に降伏を要求。見せしめに東京をマグニチュード13の大地震で壊滅させる。さらに、洋介とトムを催眠術で眠らせたが、健一とヘレンは2人を連れて脱出した。4人に逃げられたジグラ星人は、X1号を地上に送り込み、健一とヘレンの暗殺を命じる。
ガメラによって仁右衛門島に送り届けられた2人の通報により、国連は地球防衛軍を結成してジグラ星人に対抗しようとしたが、自衛隊のジェット機部隊は宇宙船の反撃で全滅。だが、鴨川シーワールドに潜入したX1号も、健一とヘレンに逃げられてしまう。2人が助けを呼ぶ声で飛来したガメラは、ジグラ星人の宇宙船を破壊し、母星へ帰る手段を失ったジグラ星人は、水圧の違いから巨大化。水中ではガメラを翻弄して、陸上戦ではオレンジ光線でガメラを仮死状態にして勝利を得た。陸上生物への復讐に燃えるジグラは、地球の植民地化と人類の家畜化を図る。
そのころ、飼育係の山田の機転で洋介とトム、そしてX1号=菅原ちか子の催眠術が解けた。ガメラを復活させるべく、洋介らは潜水球[注釈 1]で海中へと向かう。だが、ジグラは潜水球を捕獲、洋介たちを人質に人類に降伏を迫るが拒否される。一度はジグラに敗れ、海上に足だけを出して仮死状態となったガメラだが、落雷の電気ショックで復活。ジグラが居眠りをしている隙に潜水球を救出する。ガメラと再び対決するジグラだが、ガメラはジグラを地上に引き上げた。鴨川シーワールド周辺で繰り広げられた戦いの末に、ついにジグラのオレンヂ光線を封じ、この強敵を火炎放射で倒すのだった。
概要吉田義夫扮する老人が登場する一場面は、千葉鴨川沖の仁右衛門島でロケされた
前作『ガメラ対大魔獣ジャイガー』(1970年)に続き、予算の増額が行われた。経営不振の渦中にあった当時の大映の作品にあって、まずまずの興行成績を記録したことから次回作の企画も出たものの、1971年12月に大映が倒産したため、結果として永田大映のガメラシリーズとしては最後の作品となってしまった[1]。監督の湯浅憲明は大映倒産の報を聞いた後、1人倉庫にこもり、悔しさのあまり周り一切を叩き壊したという。
本作品では海底での特撮描写が多く、通常は手前に水槽を置いて特撮セットを組むが、湯浅によると本作品ではセットの天井にも水槽を置き、水中感を出す照明を使用したことで海底の雰囲気を出したという[1]。
タイアップでロケ先となった鴨川シーワールドの精巧なミニチュアセットが組まれたが、壊すわけにもいかず、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(1968年)にも似たスケール感の乏しい戦いとなってしまった一方、当時の「大映ハレンチ青春路線」の新スターである八並映子の起用により、従来の大映特撮映画と比べて乏しかったお色気描写が強調された作風になっている。